先生のための「みらいの校則」を考えてみた。
先生をやめてから変わったことは、ドライブ中に何も考えなくなったことだった。
先生をやっていた時代は、交通ルールに違反したら教育委員会に出向き謝罪し、始末書を書き、職員室で肩身の狭いをした。私は幸いにも違反をしたことはないけれど、やってしまった先生の姿を見て、自分もそうなりたくはないから車の運転には気を遣った。
悪いことじゃない。
車は凶器、細心の注意を払いながら運転するのはドライバーの責務でもある。
しかし、「教育委員会に謝罪とか面倒なことはしたくない」ことを目的に安全運転するのは違うだろうとも、思う。
先生本来の力を解放したい
昔、学校をこういう風に変えたいと提案したときに、教頭に言われた一言が今でも忘れられない。
「私たちは、公務員ですから。」
「税金をもらって仕事をしているのです。」
税金をもらっている公務員だから『波風を立てないことが一番』だというのは、面倒をさけたいから安全運転するのと同じように、目的を間違えていると、私は思う。
先生が「先生」であることを目的にしてしまうのは、なぜだろう?
『校則』を変えることで、先生を「先生」から解放し、子どものために本来の力を生き生きと発揮してほしいと願い、この筆を進めることにした。
事なかれが目的化
工藤勇一先生が指摘しているように、学校現場には「手段の目的化」が少なくない。
例えば、学級通信。
保護者からクレームが来ないようにだとか、周りの先生がやっているからやろうというような、事なかれ(波風を立てないことが一番)が目的になっていないだろうか。
数十年前、学級通信をはじめた先生は何を想って書いたのだろうか。
真意とずれたことをすると、人間、心が擦り切れていく。
今のネガティブな現場を生み出したのは、「公務員だから」としか言えない管理職のように、やりたくもないことを「事なかれ」のために渋々やってきた積み重ねであると、私の目には映る。
先生のための校則を考えてみた。
①定時手当
定時で帰る先生には、浮いた光熱費やアフター5の研修代として手当を付けます。
②授業は1日2コマまで
担任時代、本気授業は1日2コマが最適でした。本来の好奇心を引き出し、学ぶ楽しさを実感した子どもは先生がいない時間も協働しはじめます。
(このようなことを言うと見守りはどうする?などと言われるのだが、授業以外は先生でもできる)
③教育に資する副業を奨励
空いた時間は研鑽、社会への価値提供に充てます。先生は副業OK、セミナーを自主開催したり、執筆したりして対価を得ることができます。
④固定電話は不要
旧時代の象徴ともいうべき固定電話は捨てます。代わりに、先生には仕事用のスマートフォンを支給。やり取りはスマホで完結できるようにします。
⑤フレックス制度
全員同じ始業時刻、退勤時刻を撤廃します。コアタイムを設け、働く時間を自己決定できるようにします。
まとめ
今回は先生のための『みらいの校則』を考えました。
時代遅れの校則は児童生徒の可能性を縛りますが、先生も校則に縛られている負の部分があるように思うのです。
未来の学校がよりよくあるように、
先生がもっとわくわくして仕事をすることが、
子どもの可能性につながると信じています。