身近な災害と子どもをつなげる
台風14号が猛威を振るっている。
大きな被害が出ないように祈るばかりである。
昨年度の本校の公開研究発表会で地元の土石流を題材にした授業を行いました。検討の段階から賛否両論様々ありましたが、子どもたちに残ったものも私の中に残ったものも多い授業でした。今年、その山に記録的短時間大雨情報や避難指示が出たことがありました。その時には、取材で聞いた被災されたかたのお話を思い出すと同時に、その方の無事を願い山の方向を見つめる自分がいました。(幸い大きな被害は出ておらず、避難指示は解除された。)
一昨年度、同じ4年生を担任したときに市役所の方に子どもたちがFAXで質問を送って答えてもらうことがありました。その時に私自身も昨年度取り上げた地元の土石流について初めて知りました。その後資料を集め授業を展開しました。昨年度4年生で土石流の授業をしているときに一つ上の子どもたちが教室に来て、去年の勉強覚えているよと言いに来てくれました。
話を昨年度の授業に戻すと、学級で地元で起きたどの災害を調査していくか話し合った際に土石流と大きく意見が分かれたのは、1991年の台風19号でした。私自身は、この台風の時小学生で悪天候のなか学校に行き、教室で台風のニュースを見たことを覚えている。また、強風の被害を受けたことや農家が多い地域の学校だったので、その冬は多くの家のお父さんが農閑期に出稼ぎに行っていたことも印象に残っています。
子どもたちの理由を聞く中で、地元の基幹産業である農業に与えた影響の大きさを訴える子が多かった。また、その時の様子を保護者に聞き取りをしてきた子どもも多く、身近な保護者の声を通して、その時の様子を理解することがより切迫感を感じることにつながっていたように感じました。
今夏、ひょんなことから台風19号をいかに教材にするかという論文を、大学時代に師事した恩師が研究紀要に投稿していることに気付き読むことがありました。1994年の論文なので、当然SDGsやESDという言葉はなく環境教育における自然災害の教材化といったところがテーマの論文でした。
その中で印象に残ったのが、「子どもの思考や体験をくぐり抜けた事実」という言葉でした。自分の昨年度のでいくと、市役所の方や被災された方のお話を聞くことやお家の人に災害の聞き取りをすること。それろを通して子どもたちがつかんでいったものだと思います。それらが絡まり合ってひとつの授業になっていっていきました。
災害が起きないことに越したことはないものの、日本という国は災害と近い国でいつどこでどんな災害が起きるのかそれこそ予測困難だと感じています。過去の災害から自分の命を守るとはどういうことなのか、子ども自身が動いて学んでいく授業を目指していきたい。
今 伸仁