少年院・刑務所を見学して
もう何年も前のことになりました。教育委員会の企画で生徒指導主任が参加できる研修会がありました。少年員や刑務所に行き、現地を見学しながら話を聞くことができるというもので、私は大きな魅力を感じました。普段から生徒指導主任として、全校で起きる万引きやいじめの全てに直面していましたから、強い問題意識をもっていたのです。
子どもたちが将来、どうなったら幸せに生きていけるようになるか?そのための指導とはどういうものなのか?
刑務所や少年院に行けば、見えるものがあると感じました。
現地では、送致される人、服役する人は男子が多い、という話を聞きました。生まれながらに男子がもつ特性がある、ということでした。また、当時は12歳から少年院送致になることが法案で決まったあたりでしたので、小学校6年生くらいの子が、壁の中で学ぶ気持ちを現地で想像することができました。私たちが接している子たちは、普通の学校で学んでいる子ですが、やはりこういった場所で時間を過ごすことになる子もいるのです。自由に外出できない環境で、一体彼らはどんな気持ちで空を見上げるのかと感じました。
刑務所や少年院で働いている方から実際に話を聞くことができたのですが、話している感じは学校の先生みたいだったことも忘れられません。私の同僚にいても、何の違和感もない感じです。接し方について質問してみると、やはり私たちがもっている感覚と同じでした。将来、出所してからの人生がよくなるように、温かい気持ちをもって接しているのです。刑務所では労働に従事します。実際の工場を見ることができました。整然ときれいに片付けられており、そこで働いている服役している人たちが、しっかり仕事をしていることがわかります。外の世界で生きていける準備を手伝っている方々の気持ちも伝わってくるようでした。
野球大会もあるようです。昨日、ちょうと大会だったようで、グラウンドには大会の様子がうかがい知れるものが少しだけ残っていました。応援用の垂れ幕があり、生き生きとした応援の声が今にも聞こえてきそうです。塀の中にあるグランドですが、空は高く、気持ちがよかったことを覚えています。
最も胸に刺さった話は、
「出所した後、待っている人がいる人は、ここにはあまり戻ってこない。」
という話でした。裏を返すと、「出所しても、誰も待っていない人ほど、再犯する可能性が高い」ということです。待ってくれている人、つまり、自分を大事にしてくれる人、と言い換えることができそうです。人は、愛されるからこそ成長し、強くなれるのだと、改めて思いました。そして、過ちは乗り越えていけるのです。このことは、いつでも私の胸の中に残る言葉となりました。
今現場に戻ってきていて、毎朝子どもたちを玄関で迎え入れています。これが楽しくてしょうがありません。さすがに全員は無理なのですが、できるだけ名前を呼んで、一人一人に声をかけていきます。
「昨日休んでいたでしょう。今日は大丈夫?」
「あれ、元気ないね。なにかあった?」
何気なくやっているのですが、その根底には、
「この学校には、あなたを待っている人がいる」
というメッセージなのかもしれません。自分のことを待っている先生が学校に一人でもいる。このことが、子どもを強く、優しい子にする理由の一つなのかもしれないと思っています。
三浦健太朗
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?