「脱成長」を思う元日営業
元日、イオンに行きました。
特に理由はありません。強いて言うなら、31日は家から一歩も出ず、元日も家から出ないと、食べてばかりでなんとなくまずいなぁと思ったからです。
息子たちはゲームコーナーへ。私はというと、服をちら見する程度。
店内の様子はというと、ゲームセンターにゲームコーナー、フードコーナー、食料品コーナーは混雑していました。その中を忙しそうに回る店員さんの姿。
店員さんの姿に、元日から本当に大変だなぁと思って眺めていました。
忙しいそうに動き回る店員さんの姿を見て、道中の営業している店のことを思いました。
交通・運輸・放送などのインフラストラクチャな仕事は、元日営業という概念がなく、年中無休(本当に頭が下がります)なのですが、コンビニ、◯OOKOFFのような中古屋、地元スーパーは、しっかりと営業していました。
私が子供の頃は、元日のお店は基本的にお休みしている
が当たり前でしたが、いつから元日営業が当たり前になったのか。
なるほど、1996年の大手スーパー2社から。競争をするなら、相手が休んでいるうちに客を呼び込む!おそらく、どちらかが元日営業を打ち出し、追従する形になったのかなと。
ただ、便利を求め続けると、どうしても不便がやってきます。
元日営業がなくなっても困る人はごく僅かだと思います。
それ以上にメリットがあるかなと。
元日営業をしなければ、当然店員さんはお休みになります。家族との時間も増えるし、自分の好きなことができるし、新たな消費を生むような気がします。
資本主義経済は成長することで経済が回っていきます。どんどん新しい方法が生み出され、生活は豊かになりました。
ただ、成長しすぎによる弊害もあるように感じます。
ちょっとの便利を実現し、他と差別化させようと、たくさんの犠牲を払っているように感じます。しかも、一部の富裕層にさらにお金が舞い込んで、低所得者にしわ寄せに合うような構図が安易に想像できます。
豊かになった日本。豊かになりすぎた日本。
これ以上の便利を求めず、今ある幸せを上手に享受することで、当たり前の有り難さを知り、脱成長にかじを切ってもいいのかなと思う元日でした。
「ありがとう」の対義語は「当たり前」
年末年始、当たり前に働いている方々に感謝の気持ちがなくなってはいけない。
年末年始、働いているみなさまに感謝の気持ちをもって、今日も1日過ごしたいと思います。
三浦真司@ラッパぼうず