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前職を生かした学級経営その2〜児童編〜

 前回、“前職(保育士)を生かした学級経営”というタイトルで投稿した者です。前回の保護者対応編に引き続き今回は児童編をお話したいと思います。

保護者編の締めくくりに、保護者が学校に求めるものは「児童一人ひとりに目を向けること」と書きました。今回の児童編でも結論から申し上げますと、児童を“みる”に尽きると思っています。
 
 この“みる”とは「見る」「観る」「視る」でニュアンスが少しずつ違います。よく教師の指導書や参考書には、「児童をみる」については児童の興味関心や特技、長所を見つけて伸ばすことや児童の言動の変化やサインを見落とさないことなどとても重要なことが書かれていて、私もそのようなことを意識して児童と関わっています。みなさんも実践されていると思いますので、今回はちょっと目線を変えて、一つずつこれらの“みる”について私の勝手な持論(保育士経験から得たもの)ですが、お話させてください。
 
 まず、「見る」とは、みなさんもご存じの通り、様子を見るや調子を見るなど児童の姿を見ることです。
保育士時代こんな場面がありました。2年目の時に受け持った5歳児のA男はトラブルも多く問題行動がみられました。経験が浅かった私はなかなか信頼関係を築けずにいました。そんな時、そのA男が友達(B男)とトラブルになりB男を押し倒しました。その一場面だけをみて私は一方的に叱り、泣かせてしまいました。そのやり取りを見ていた先輩保育士が「Aくんはセミを守ろうとしていたんだよ」と教えてくれました。なんとA男はセミを故意に踏もうとしたB男からセミを守ろうとして押し倒したのです。そんな経緯も知らず私は一方的に指導し、A男の押した場面だけにフォーカスしていたのです。勿論、押すことはよくないので指導はしますが、何か問題を起こす子でも何かしら必ず理由や背景があり、それを汲み取ること、そして、断片的に捉えず、連続性をもって子どもを”見る”ことの大切さを痛感しました。みなさんの学校でもどうしても問題行動が多い児童がいると思います。毎日そういった児童と過ごしていくと問題児というレッテルを貼って接し、注意することが多くなり関係を築くことができにくい場合も出てくると思います。そんな時私はこの“見る”ことを意識して、表面化している問題行動の他にも、その裏側や前後関係も想像しながら児童の指導に当たるように心がけています。上手くいかないことも往々にしてありますが、“見る”ことを大切にすることで子どもはこの先生はわかってくれる、見てくれているという安心感や信頼感に繋がり、それが学級経営を円滑にしてくれています。

 次の「観る」は簡単に言うと見物するという意味です。
学校は集団行動がどうしても多く、チャイムがなっても着席せず「座りなさい」「授業がはじまってるよ」と言ったり、教室移動や整列する場面では「早くしなさい」「静かにしなさい」などの注意することがあると思います。私は、ここぞという時に叱りたいので極力注意したり、指導したりしたくなく、このような場面はでは小言みたくなってしまうのでどうしようかと考えていました。そこで、思いついたのが、観る=見物、傍観です。この教師は何を言ってるの?!職務放棄じゃないの、とも思われかもしれません。このねらいとしては、児童の自立です。こちらが毎回、「早くしなさい」「座りなさい」など伝えて行動を管理することはすぐにできます。しかし、長期的にみて児童にとってこれはプラスのことなのかを考えた時に、自分たちで気付いて行動できた方がいいなと思い、ただただ観ているのです。もちろん始めた当初は、自分たちで行動できるまで時間がかかり、好き勝手に行動している子もいました。そこで、適宜、時間の大切さや自立できている子に注目させたり、名言を使ったりしていくことで、徐々に自分で気付き行動できる子が増え、気付いていない友達がいるとさりげなく促してくれる子も出てきます。また、相乗効果で褒める子も増えますし、そして学級全体に「先生が何も言わなくてもできるなんて、素敵すぎる」と一言伝えるとクラスとしての風土も高めることができます。この取り組みは、子どもの発達段階、児童との信頼関係、他のクラスの先生に迷惑をかけないなどを留意しなくてはなりません。しかし、こちらがただただ観ること(待つという姿勢)で叱ることも減り、児童の自律心を育てることができています。
                                                                                                              
 3つ目の「視る」ですが、これは調査するということです。また保育士時代の経験を回顧します。
5年目に受け持った4才児C男は、生活リズムも乱れがちで着てくる服が匂うことも時々ありました。虐待を疑っていましたが外傷はありませんでした。そこで、私は事前の段階の対応として、転園してきたので前の保育園の記録を読んだり、連絡を取ったり情報を収集しました。また、着てくる服が続いたり、食欲が異常に旺盛だったり情緒が不安定のときは個別面談の機会を設けました。そのようにすることで家庭の実態を把握できアンテナを張ることができました。そして、ある日連絡なしで保育園を5日連続欠席が続き、連絡が取れませんでした。園長に相談し児童相談所と連携をすることになり、母親はネグレクトで往々にして夜不在になることが判明しました。虐待の対応について、保育士や教師が最初に果たせる役割は「気づき」です。保育士、教師は「命を守る」という責任も果たしているのだと改めて考えさせられました。このような経験から「視る」ことを意識して、虐待に限らず児童の家庭環境を知り学級経営に生かしています。
 
番外編「みてもらう」
 担任が児童を“みる”というのは当たり前なんですが、他の先生、保護者にみてもらうこともしています。
この「みてもらう」とは、学校では同じ学年の先生、特別支援の先生、専科の先生、管理職の先生たちにみてもらいウィンザー効果(※1)を活用しています。「音楽の先生が〇〇くんのことほめてたよ」「〇〇先生ががんばってるねって言ってたよ」などの褒め方をすることで担任から言われるよりも効果抜群でやる気がアップします。この方法を駆使するポイントとして、普段から他の先生とのコミュニケーションを取って、子どもからも他の先生ことについてさりげなく聞いておき「先生の授業楽しいって言ってます」などもして双方の素敵なところをお伝えしています。ちゃっかり、保護者や他の先生にみてもらうことで、児童に還元しています。
 
※1 ウィンザー効果とは
直接本人から伝わるよりも第三者を介して伝えた方が信憑性が増したり、影響を与えることができる心理効果です。たとえば、Aさんから直接自分のことを褒められたとします。嬉しく思うと同時に、「大げさに言っているのかな」と感じたり、「何か裏があるんじゃないか」などと勘ぐってしまうことってありますよね。しかし、Bさんから「Aさんが、あなたのことを褒めてたよ」と言われた場合、Aさんから直接言われるよりも素直に受け取れる気がします。このように、第三者から伝えた方が信憑性が増す効果をウィンザー効果といいます。
 
 このように、“みる”というたった2文字ですが、奥深いなと改めて感じています。保育士の経験を経て児童をみることで、児童の姿が多角的になり、立体的になっていくのかなーと思います。今回は少し、経験則での持論で参考になるか分かりませんが、投稿してみました。最後まで読んでいただきありがとうございました!

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