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中国、蘭州市との教員交流事業に行って

 私が勤務していた八戸市は中国の蘭州市とつながりがあり、コロナ前にはずっと生徒の交換事業を行ってきました。教員も交流をしようということで、私は八戸市第一号の教員交流事業の派遣員として蘭州市に2週間行ってきました。コロナがはやるずっと前の話です。

蘭州市の宴会
 中学校の体育の先生と二人、蘭州市に乗り込みました。空港から車に乗って高速を走ります。やたらにクラクションをならしまくる中国の車に恐怖を感じるも、無事ホテルに到着。
 夜は宴会。店の奥の「VIP room」に通されました。おいしいものを食べられて、ラッキー、と思っていたのは、その瞬間だけ。待っていたのは白酒(バイチューという60度の酒)を「ワド!」と言いながら、一気飲みをする習慣を身に着けた先生たち。
 私たち客人は、参加されている方々、全員の歓迎を受けるために、全員とワドをします。さらに、飲み会には、食べきれない量の料理が次々と出てきます。三蔵法師も歩いた雨の少ないシルクロードなので、やせた土地に強い羊がごちそうです。
 北海道生まれで、ジンギスカンが大好きな私でも、10日間連続で羊を食べた時には、さすがにつらかった。さらにさらに、恐ろしいことは、あらかじめ白酒の瓶が10本ほど用意されており、全て飲み切らなければ帰れない!!というシステムだったのです(ちなみに、この話を聞いたのは、中国滞在最終日でした…)。日本の時間が決まったコースシステムの、なんと素晴らしいことか…。

ワドをしまくって

 蘭州の小学校の先生たちと盛り上がり、「we are ガションフォアー(若者達)」と叫び、ワドをしまくった日がありました。気が付いたときには、トイレを枕にして寝ていました。相方の中学校の先生も寝ていました。叩いても起きません。しかも、周囲には誰もいませんでした…。中国の蘭州で我々二人、しかも意識がもうろうとして苦しい。あまりにもお酒が入りすぎ(その日は最高の白酒15本!!)、あたりはぐるぐるとしています。そのうち、先生方が数名きて、私たちをホテルの部屋まで運んでくれました。体重83キロの私を一人でおぶってくれたのは、若い体育の先生。彼は私の命の恩人だと、いまだに感謝です。

じゃんけん一気飲み大会

 武威市というところに行ったときには、朝の8時から深夜0時まで学習する超進学校の校長先生とじゃんけん一気飲み対決みたいなことをしました。そのじゃんけんは、5本の指、全てを使います。よくルールもわからないままにやったのですが、全部負け。白酒6杯、一気飲みしました。相棒の中学校の先生も、全敗して一気飲みしていました。他の方と私がじゃんけんした時には何度か勝てたので、やはりあの校長先生はすごかったのだと思います。

中国の先生たちは、人情味たっぷり

 とにかく毎日、バイチューの洗礼を浴びました。10日連続の戦い。最後には、京都下り松で吉岡一門の70人を切りまくった宮本武蔵の感覚でした。フレッシュな状況で、なおかつ全力でもてなそうとしている刺客達を、根性でなぎ倒していった…。本当に、そんな気持ちになりました。
 ちょっと悪い表現で書いていますが、本音です。しかし、中国の先生たちは本当にいい方ばかりでした。「私の弟よ」みたいなことを言ってくれて、家族のように親身になって接してくださいました。お茶が減ってきたらすぐにいれてくれるし、トイレに立つと場所を案内し、帰ってくるまで待ってくれているし、手がよごれると何も言わなくてもティッシュをとってくれるし、カラになった皿があったらもう一皿頼んでくれるし、お腹が空いていないか何度も聞いてくれました。どうしたらみんなで心地よく生活できるか、すごく考えていました。ちなみに、宴会や昼食の費用は、全て年長者もち。私たちは、全くお金を使わない毎日を過ごすことができました。お世話になった校長先生は、「私たちはみんな、集まる、ということを何よりも大切にしています。同僚も、あなたがたも、みんな、家族だと思っています。」と、おっしゃっていました。本当に、人格者でした。だから、コロナの時にはすぐにメールをしました。「私たちが、世界の皆さんに迷惑をかけて申し訳ない」と返信が来ました。報道では、中国政府、中国の人は厚顔無恥、知的財産権の侵害を平気でする国、みたいな話がされていますが、その国にとびこめば、そんなことはないのだと感じることができました。やはり、国民レベルで私たちが海外とつながることが大切なのだと思います。

 蘭州市については、続きをまたいつか書きたいと思います。
 というか、教育について書いていませんね…。今度は蘭州市の教育について、ちゃんと書きたいと思います。

                    三浦健太朗

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