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教師は子どもを評価している。それ以上に、子どもは教師を評価している。

よく職員室にいると、同僚から、
「A子、また○○したよ。だって△△だから」
「B男、本当に□□なんだよな。」
などという子どもに関する声が聞こえてきます。多くの場合、ほめ言葉ではなく、不平や不満、つまりはマイナスの評価です。 

私たち教師は、子どもたちを評価する立場にいます。
最もわかりやすい例では「通信表」でしょう。私たち教師が作成する評価の集大成ですね。

ここで、忘れてはいけないことがあります。
私たちも、子どもたちから評価されているのです。

いい先生なのか、悪い先生なのか。好きなのか、嫌いなのか。

例えば、朝の時間、教卓の周りに子どもが集まってくるかどうかが一つ目の評価かもしれません。大好きな先生だったら、ランドセルを片付ける前に、話しかけに来るかもしれません。反応する先生も笑顔で、

「こらこら、まずはランドセルを片付けないさいね。」

などと、楽しそうに促して、子どももうれしそうに自分の席へ戻るのです。こういう姿があるのは、子どもも先生に、◎の心の通信表をつけているというわけです。

反対も書いてみましょうか。嫌いな先生だったら、ランドセルを片付けても、先生の周りにはだれも寄り付きません。それどころか、

「コラ!ランドセルを片付けてから友達と遊びなさい!!」

なんて、朝から先生が語気を強めることもありますね。
こうした先生は、いい人が多いのです。でも、よくしようという思いが強く、「指摘する」「指導する」という子どもとマイナス面の関りだけになっていきます。そうすると、ますます悪循環ですね。

悪循環におちいる先生は、自分も子どもたちに評価されている、ということを意識していないように思います。

教師が評価するのが当たり前、子どもを育てるのが当たり前。何も悪いことではないように見えますが、やはり、子どもはクラスの人数分だけ、先生を評価しているのです。

学級崩壊におちいったベテランの先生。「こうあるべし」という指導を繰り返して、子どもたちの評価を下げてしまいました。何が起こったか?30人分の逆襲評価にあって学級崩壊しました。

また、教師側だけにできることがあります。それは、やさしい見方ができる学級経営をすることです。許し合い、認め合える学級の空気を作ることができれば、おのずと子どもの先生を見る目も柔らかくなります。

教師が、子どもの中途半端な人間性も「またかあ!」と笑顔で認めていれば、先生の中途半端な人間性も「先生!またかあ!」と、笑顔で認めてくれるはずです。

まずは教師である前に、「子どもが学校で幸せに生きられるようにする大人」でありたいと思っています。つまるところ、子どもが、「自分は先生に愛されている」と思ってくれるように(大事にされている、という評価をもらうように)相手を大切に思うことから始めたいのです。

子どもは優しいし素直なので、一生懸命な先生であれば多少授業が下手でもいいのです。授業技術がものすごくあってもドライな先生もいますが、そうした先生よりも、「大事にしているという評価を子どもから獲得できる先生」の方が、ずっといいと思っています。

「自分が」が主語も大切ですが、「子どもが」と考えてみることも、大切なのだと思います。
 
                           三浦健太朗

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