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東ティモールは日本に比べて「豊か」!?〜東ティモールにある「余白」〜
こんにちは、NIJIN教育ラボメンバーのこーだいです。
以前、私が青年海外協力隊として東ティモールで活動している事については、ご紹介しました。
今回は、東ティモールにいるからこそ見えてくる「豊かさ」について考えてみたいと思います。
皆さんにとっての「豊かさ」とは、何ですか?あるいは、豊かな状態とは、どのような状態でしょうか?
1.東ティモールと日本、豊かなのはどっち?
東ティモールは、2002年に独立した、日本に比べると非常に若い国です。東ティモールと日本を比べるとインフラや様々なサービス、エンターテイメントに至るまで多くの面で日本の方が充実していると感じる人が多いと思います。そういった意味では、日本の人は東ティモールの人よりも豊かであると思います。しかし、東ティモールには多くの日本の人たちが忘れてしまっている「豊かさ」がある気がするのです。
昨年の10月に5名の東ティモール人と日本を訪れました。日本に到着後、そのうちの一人に「日本はどう?」と尋ねてみました。返ってきた答えは、「日本人はみんな常に歩いていて、誰も止まっていないね。日本人は勤勉だね。」というものでした。その答えを聞いたとき、頭の中に東ティモールの様子が浮かんできました。東ティモールには、昼でも夜でも道端に座ってボーッとしている人や楽しそうにしゃべっている人たちがいます。何をしているわけでもありませんが、のんびりと座っています。
このとき、東ティモールには、日本よりも「余白」があるのではないかと思いました。もちろん、日本にもゆとりのある生活をしている人はいると思いますし、東ティモールにも忙しい人はいると思います。
しかし、この「余白」が日本人の私から見ると一つの重要な「豊かさ」に感じられるのです。東ティモールでは時間に追われている人がほとんどいません。多くの出来事がオンタイムでは始まらないことは一つの課題かもしれませんが、時間に追われる切迫感がないためか、もともとの特性か、東ティモールにはイライラしたり、小さなことで怒ったりする人もほとんどいません。日本に比べモノやサービスなどは充実していないかもしれませんが、心が豊かな人は多いように感じます。
2.子どもたちにとっての「豊かさ」とは?
子どもたちについても近いことが言えるかもしれません。日本の子どもたちには、どれくらいの「余白」があるでしょうか。もちろん教科教育は重要ですし、学校行事なども重要です。さらに、近年、必要性が訴えられている英語教育やプログラミング教育なども重要であると思います。
しかし、本当にその全てが等しく全ての子どもたちにとって重要なのでしょうか?子どもたちは、学校で先生から多くのことを与えられ、家では親から多くのことを求められています。放課後はスケジュールがいっぱいでゆっくり友だちや家族と過ごせない子どもたちも少なくないと思います。
私はもう少し子どもたちが自ら考え、やるもやらないも選択できる「余白」があってもいいのではないかと思います。その「余白」が心の「豊かさ」に繋がるのでは?と。
子どもたちにとって、真に重要なこととは何でしょうか?そして、子どもたちにとっての必要な「豊かさ」とは、何でしょうか?
NIJIN教育ラボ こーだい
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