創作に近道も回り道もない
作家志望者だったころは、どうすれば早く作家になれるかばかりを考えて、いつも近道を探していました。
そして、いろいろな方法を試しては結局上手くいかず、「こんな回り道をするんじゃなかった…」と後悔していたものです。
今回は「創作に近道も回り道もない」という話です。
ゴールへの近道を探す
私は効率主義の人間なので、どうすればすぐに上手くなれるか、早く作家になるにはどうすればいいかを常に考えていました。
ゴールへの近道を血眼になって探していたのですね。
そのために、たとえば以下のようなことはずいぶんやりました。
小説の指南本を読み漁る
自作の分析をする
勉強法、練習法を調べ、実践する
ですが、それらの試みが受賞するのにものすごく役立ったかというと、「微妙……」というのが私の印象です。
方法論や練習法を調べることに注力するより、ただ愚直に量を書く方がよほど意味があったと思うからです。
その辺りは以前記事にしましたが、いまのところの結論は「長編を10作書くまでは何をしてもムダ」というものです。
そのことに気づいたときはがっかりしました。
いままでやってきたことは何だったのかと脱力したものです。
効率重視などと言いながら、膨大なエネルギーをムダに使って回り道をしていたわけですからね。
ですが、少し経って思い返したとき、「回り道でもなかったのかな?」と認識を改めることになりました。
回り道でもない?
「回り道でもなかったのかな?」というのは、よくある「その努力は決してムダではなかった」という認識ではありません。
正直に言って、ほとんどの努力はムダだったと思います。
四の五の言わずに、ただ量さえ書けばよかったです。
私が気づいたのは、「近道も回り道もないのかもしれないな」ということです。
だいたいにおいて、私たちは近道や回り道をこんな風に考えているものでしょう。
普通の道があって、そこをショートカットできるのが近道で、わざわざ迂回するのが回り道です。
こう考えると、確かに近道は得だし、回り道は損です。
できれば近道したいと思うし、回り道は避けたいでしょう。
至極当然のことです。
ですが、この「普通の道」というのは何なのでしょうか?
その道はゴールを目指す人たちでごった返しているイメージなのですが、「そもそもこんな道はないのではないか」というのが私が気づいたことです。
自分の道しかない
おそらくですが、この「普通の道」というのは幻想です。
本当はそんな道はないと考えています。
どうも私たちは、他の人たちと道を共有していて、その道を大勢で走っていると思いがちのようです。
そのイメージでいると、近道とか回り道とか、競争するという発想がでてきて、けっこう苦しくなるのですね。
私の考えでは、道はたぶん、こうなっています。
人それぞれに自分の道があるだけです。
大勢で走っている「普通の道」はないのですね。
自分の道しかないので、近道も回り道もありません。
近道や回り道という考え方が出るのは、共通の道があるという誤解から生じた幻想だというのが、いまのところの私の考えです。
自分には、自分の道しかない
この考え方が間違いだとしても、こう考えた方が気が楽になるのは確かだと思います。
そう考えれば、近道もなければ、回り道もありません。
誰もが常に自分の道の途上にあり、他の人と道を共有していないのです。
ですから、そもそも誰とも競っていないのですね。
このように認識を改めることで、私はずいぶん気が楽になりました。
近道があるんじゃないか、ムダに回り道したんじゃないか、また追い抜かれてしまった……などと気に病むことが減ったからです。
自分の道がどんな道になっているのかはわかりません。
まっすぐな人もいるでしょうし、なかにはとても険しい道の人もいるでしょう。
ですが、どうせ自分専用の道ですから、そこまで急がなくても大丈夫です。
作家志望者の方の中には、道に迷ってしまったと思っていたり、行き詰まってしまったと考えている人も多いと思います。
ですが、ここまでの話でわかるように、自分の道で迷うことはできません。
もうちょっと言うと、迷うことや行き詰まること、動けなくなることも織り込み済みの道なので、なんの心配もないのです。
何度も言いますが、その道はあなた専用の道であり、あなた以外には誰もいません。
つまり、あなたを害する脅威もないのですね。
ですから、気が済むまで休んでも構わないのです。
このように、おそらく創作には(あるいは人生にも?)近道も回り道もなく、自分の道しかありません。
そうでなかったとしても、そう思い込んだ方がいいです。
そうすれば、もっと気楽に、もっと安心して創作を楽しめるようになるでしょう。
今回のまとめ
「創作に近道も回り道もない」という話でした。
近道と思ってもだいたい近道じゃない
ムダな回り道をしたと思っても本当は回り道じゃない
近道や回り道という発想が出るのは、共通の道をイメージしているから
皆が一緒に走っている共通の道はない
人それぞれに自分の道しかない
自分の道しかないから、近道も回り道もなく、誰とも競っていない
まっすぐでも険しくても、それが自分専用の道だからしょうがない
勘違いでも自分の道しかないと思った方が気が楽になる
たまに他人の道は見えるので、それで羨ましく思ったりすることはありますね。
でもその人の道に入ることはできないので、羨ましがっても仕方がないです。
それではまたくまー。
(023.4.7追記)
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