【読書】教師の勝算ー勉強嫌いを好きにする9の法則
1学期に読んだ本のうちの1冊「教師の勝算ー勉強嫌いを好きにする9の法則」(ダニエル・T・ウィリンガム)は、自分の教育に対する価値観を、新たな視点から考え直すきっかけを与えてくれました。読書教育とも関連が深かったので、ここにまとめておきたいと思います。
この本の著者は、認知心理学者です。「なぜ子どもは学校が好きではないのか?」「なぜ子どもはテレビで見たことは全部覚えているのに、私の言うことは全部忘れるのか?」など9つの問いが挙げられており、それに対して認知心理学の観点から答えていくという構成です。
知識は大事
私が、この本を読んで最も心に残ったのは「知識は大事」ということでした。知識というと、みなさんどんなことを思い浮かべますか?「〇〇年に~が起きた」というような歴史的事実やかけ算九九などでしょうか。私は、知識というと暗記するものというイメージがありました。最近では、知識はインターネットですぐ調べられるから覚える必要はない。それよりも思考力を高めることが大事なんだという言説も多く見受けられます。この本を読むまでは、確かにそうだなと思ってしまっていた自分がいました。
しかし、本書の第2章では、「過去30年の研究結果により『よく考えるには知識が必要である』という科学的に否定できない結論が導き出されている。」(P.58)と書かれています。それは、思考することが長期記憶に保持された知識を引き出して使うことと密接にかかわっているからだと筆者は指摘しています。考えるときには、これまでに自分の知識としてもっていたものをもう一度引っ張り出して、そこに新たな解釈を付け加えたり、意味を拡張したりするということです。(本の中では様々な例を出しながら、わかりやすく提示されています。)
そうなると、「知識は既に多くの知識をもつ人がさらに多くを手に入れることができる。」(P.82)という記述にも納得ができます。これまでにもっていた知識と比較したり関連付けたりしながら知識を増やしていくとするならば、当然、知識が多ければ多いほど、そこから思考を発展させ、さらなる知識を手に入れることができます。
考えるときに分からないことをインターネットで調べることは容易ですが、新しい知識同士をつなぎ合わせて思考を深めていくのは困難です。調べて知識を深める場合には、自分の中にあった概念と新しい知識とを統合させて再構築するということが少なからず必要になってくるのではないでしょうか。とすると、使える状態になっている知識があることが前提となります。
國學院大學教授の田村学氏が著書「深い学び」(2018 東洋館出版)の中で「駆動する知識」という言葉をたくさん使っていましたが、本書で述べられている知識の重要性とも関連するように思いました。知識というものが丸暗記して覚えるものではないというのが、ここまでの内容で伝わったと思います。子どもたちが知識を使えるものとして長期記憶にとどめるために、教師はどうすればよいかがこの本の中にはたくさん書かれており、どれも興味深かったです。そして、私はやはり、読書がここで大きな役割を果たすと考えています。
読書と知識獲得
第2章には、「子どもに読書をさせるために最善を尽くす」という項があり(P.94)、知識獲得のために読書が有効であるということは、筆者の述べているとおりだと感じます。読みさえすればよいのではなく、適切な読解レベルの本へ誘導することが望ましいということが書かれていました。そのためには、教師や司書の専門的な関わりはとても大事だと思います。
しかしまずは、難しく考えず、様々な本に触れる機会を作ることから始めればいいと私は思います。自分の子どもと一緒に読書しているときも、教室で子どもと本について話すときも、本の内容をその子なりに受け止めていることが伝わってきます。(もちろん、すべての本に対してではありませんが。)「この言葉、どこかで聞いたことがあるな」「あの本でも出てきたな」というレベルでも、後に頭の中で知識体系をを構築していく際の手掛かりになるかもしれません。
また、絵を見るだけでも記憶に残る場合がありますし、本から醸し出す雰囲気から子どもの心に響いて残っていくものがあります。「絵ばっかりの本じゃなくて、文が多い本も読もうね」などと、あまり言いすぎると、負担感が増えてしまうので、気を付けたいですね。
子どもに本からたくさんの知識を得てほしいと思うのなら、大人は本について子どもと対話するのがよいと私は思います。言語化する中で、思考が促され、これまでの知識との結びつきが生まれるからです。本を読んでその内容について誰かに話すということを繰り返していくと、それが習慣化し、アウトプットすることで思考力が次第に高められていくのではないでしょうか。
しかし、これも、やりすぎには注意です。「どう思った?」「なんでそう思うの?」など大人が問いかけすぎるとそれが、面倒くさくなってしまう子もいます。あくまで、子どもが話したいときに話せる相手でいること、おおらかに構えて、一緒に本を楽しむ隣人でありたいものです。
学校であれば、子どもが友達同士でこのような関係性がになるのが望ましいと思います。特に、中学年以上になると、教師や保護者の意見より友達の意見を聞きたくなるでしょう。本について友達と語り合うのは、自然にできるようになるものではないので、学級経営、授業での取り組みなどを工夫して、そのような素地を養えるといいなと思います。
知識と思考は分けて考えることはできない
「知識はICTを利用したドリル学習で、思考力は探究学習で身に付けさせればいい。」みたいな教育観を耳にすることが多い今日この頃ですが、この本を読んで、それですべてが可能になるという考えは危険だなと思いました。
例えば国語。かぎかっこの使い方について教科書で出てきたときに、プリントで練習したり、パソコンで練習問題を解いたりする指導が考えられます。その後、テストなどで問題を解くと正解する子が多いのに、いざ作文を書くという時になると、かぎかっこを正しく使えないというのはよくあることです。
では、どうしたらいいかというと、かぎかっこを使った文章に触れることがまず大事なのではないでしょうか。そして、「自分もかぎかっこを使った文を書きたいな」と思う。そして、使ってみる。すると、習ったかぎかっこの使い方がどうもあやふやだということに気づく。そこで、教科書や本を参考にしたり、先生に教えてもらったりして、「かぎかっこはこうやって使うんだ」ということを身に付けるわけです。かぎかっこの知識は、使ってみる中で初めて使える知識となるのではないでしょうか。
また、「かぎかっこを効果的に使う」というテーマなら、「知識」という個別のものとしてではなく、これまでの経験に関連した複雑なものが絡み合って学びが成立します。このように、学ぶ対象が抽象的になると学習から取り残されていく子が増えてきます。(本書では、読解力の中心が”理解”に移っていく時期が小学校4年生ごろであり、そこで学習についていけなくなる子がいることを「4年生のスランプ」の原因の1つとして挙げていました。「10歳の壁」という言葉は日本にもありますね。)
思考しながら知識を深め、知識を使いながら思考力を高めるということが大事ということになると、「知識はICTを利用したドリル学習で、思考力は探究学習で身に付けさせればいい。」というふうに切り分けることは困難です。もちろん、ドリル学習を否定するつもりはありませんし、本書でも練習の大切さを謳った章があるほど、繰り返し練習することを大事にしています。ただ、知識を身に付けるということは、一緒に思考力を育てることにもなり、様々なアプローチを通して行っていくということを忘れてはいけないと思いました。
経験の違いに注意を払って
本書では、他にも注目すべき指摘がたくさんありました。特に、第6章の問い「本物の科学者や数学者、歴史学者と同じように子どもに考えさせることはできるか」では、初学者と熟達者の思考の仕方の違いが述べられており、とても興味深かったです。大人は、自分の中に様々な知識が蓄積されており、それが体系化されているので、子どもたちが何につまずいているのか分からないということが時々起こります。にもかかわらず、子どもたちに一方的なものの伝え方をしたり、努力不足を指摘したりしてしまいます。その点には十分注意しなければならないと、この本を読んで強く思いました。
また、若手教員への指導についても考えさせられました。「そんな言い方では伝わらないに決まってるでしょう。」「ちょっと考えれば、こうしたらダメになることくらいわかるでしょう。」そんな意見は、経験があるからこそ出てくるものだと思います。でも、先生になりたての頃は、本当に分からないことだらけ。知識として「子どもを頭ごなしに叱ったらダメ」ということを知っていたとしても、実際にどういえば子どもの心に届く指導ができるのかは、経験したり試行錯誤したりしないと分からないものです。若い先生たちを追い詰めるのではなく、理解して豊かな経験を積んでいけるようにサポートしていくのは、中堅やベテランの務めだと思います。
広い視野で物事を見ることができる人になりたいといつも思っています。でもついつい自分のものさしで見てしまう。それが人間なのかもしれません。今回、認知心理学の本を読んで、人にはそれぞれ経験の違いがあり、それがものの理解に大きく影響を及ぼしているということを強く認識しました。客観的に物事を捉え、子どもそれぞれに合った指導をしていくために、時々この本を読み返したいと思います。