何者でもない自分を忘れない
お姉ちゃん?お母さん?奥さん?シェフ?
生きていると
生きているだけなのに
いつの間にか沢山の名前が付いている
生きていると
生きているだけなのに
いつの間にか誰かの誰かになっている
生きていると
生きているだけなのに
いつの間にか
いつからか何者かになっている
日々増えていく名前は人生の勲章だけど
誰かの誰かとして生きることは尊いけれど
いつからなったかわからない何者として生きる事も生きがいだけど
何者でもない
なんの肩書きもない自分を
忘れないでいたい
そんな想いを思い立ったままに記していこうと思う。
『ねーね』
私には歳の離れた弟と妹が居ます。
ふたりは私の事を『ねーね』と呼び
ふたりが私を『ねーね』と呼ぶから
私は『ねーね』になりました。
いつの間にか貰ったこの名前は、私の宝物で
いつの間にか貰ったこの名前は、私の勲章のように感じます。
『お母さん』
私には母が居ます。
私が生まれた時から私にとっての『お母さん』
私が『お母さん』と呼ぶから
私の母は『お母さん』になりました。
そして『ニジちゃんのお母さん』なのです。
いつの間にか私のお母さんになっていた母。
今はまだ想像もつかないが
いつか私も、いつの間にか、私の娘の母になると思うと今からちょっと緊張してしまう。
誰かの誰かとして生きていくことは随分尊いことのように感じます。
『ニジ』
私はこのnoteを今、『ニジ』として書いています。
これを読んで下さっている貴方にとって私は『ニジ』です。
あなたが『ニジ』と呼ぶから
私は『ニジ』になりました。
自分で付けたこの名前も自分を含めた誰かに
呼んで貰ってこその名前なのではないでしょうか。
SNSの中で自分に名前を付けたり、SNSの中で友人から愛称を貰ったり
自分で何者かになる事を選んだり、誰かに何者かにして貰ったりする中で
いつの間にか生まれた何者かの自分で
何者かとして生きることも生きがいのように感じます。
『何者でもない自分』
では果たして自分は何者なのか
考えてみて欲しいのです。
私はこう思います。
『何者でもない』
のではないでしょうか。
生まれた時からあなたはあなたで
他の何者でもなく、逆に何者でも良いのです。
自分の生きやすい自分でいて欲しいのです。
タイトルから少し離れてしまったような気もしますが
どうか自分だけは自分を忘れないでいて下さい。
読んで下さった皆様に伝えているようで
この文章はきっと
何者かになろうともがく私自身が
いつか押し潰されてしまいそうになっても
自分の事を忘れないでいて欲しいという
自分への手紙なのかもしれませんね。
それではこの辺で