東京が大嫌い(所感10コ)
逃げろ!!!東京が来るぞー!!!!
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年始に andymoriというアーティストの曲をよく聴いていた。andymoriは、世の中への怒りや虚しさを直接的なやり方でセンチメンタルに表現するより、熱狂的にギターをかき鳴らすことで比喩的な世界を創ってしまうことをきっと意図的に選んでいて、こういう2段構えの世界観をもった曲が好きだ。andymoriは、2008年にデビューをして、2014年に解散した。
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最近たくさん食べるのにはまっている。今年は身体を鍛えたい。でも最近は夜更かしをしたり、シーシャやたばこを吸ってみることにもはまっている。
アドレナリンに任せて徹夜をしたりシーシャやたばこを試したりすることは、「自傷行為の反動で生きている実感を得られること」以上の何にもならなくて、まったく意味がないと思う。でもそれは規則正しく真っ当に生きるより《生きてる》っぽくて最近は好きだ。
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村上春樹の小説が、頼りない"僕"の苦しみをヒロインが一緒くたに背負うような"マッチョな(=男根主義的な)"構造を持っているという批評をどこかで読んだ。確かにそういう構造を自分は楽しんでしまっているんだと思う。
そうはいっても「世界中のジャングルの虎がみんな溶けてバターになってしまうくらい好きだ」とかキザを通り越してもはやかっこいい。
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「エモい」という言葉が、「懐かしい」「寂しい」「しみじみする」「感動する」「もの悲しい」といった言葉を一度に背負って以来、「エモい」はぼくらの、自分の感情を表現する難しさを味わうことのできる機会を奪っていると思う。
こうしたいわゆるエモは、毎日アメーバ的に更新されていって、かつて抒情性をもっていたものがベタな大衆性を持って、その威力を失っていく。そういう感覚に敏感でいたい。
だから、この歌はすごいかっこいいと思う
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2000年アメリカ生まれの、『underscore』というミュージシャンの「spoiled littele brat」という曲を何度も聴いてる。後半の「shu-u-u-u-u-u...」「bra-a-a-a-a...」と壊れたラジオのように畳み掛けてくるエフェクトが、終わらない欲求に自壊しながらも走り続ける"現代の若者"感を大げさに助長していて、そこに東京の空気感を重ねてしまう。
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ぼくらはいつも他人からの声に晒されていて、それを聞いた上で聞かなかったフリをして無視するのも、聞いた上で痛みを想像するのも見かけ上では同じことだけど、まるっきり違う。
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ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル、後藤正文がエッセイで、「自分の意見を公言することだけではなく、音楽を作ることや聴くことや、ぼくらが日々行う消費活動でさえも、広い意味では政治的である。」みたいなことを書いていた。じゃあテレビを見たり他愛のない話をして笑ったり遠回りして帰ったり何も考えずにぼーっとするのも政治だ。
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東京が好きな人には躁鬱な人が多い気がする。東京にはいつでも居場所があるし、同時にだれも受け入れない雰囲気が漂っている。
何人かのミュージシャンがライブのmcで、人混みが嫌いだとか、そもそも人が嫌いだとか言っているのを聞いた。でもそれを打ち消して余りあるくらいに彼らは東京が好きなはずだ。
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人の痛みに共感することと、自分が幸せになることは充分両立できる。日本らしさを守りたいということと国籍や人種に縛られないと思うことも両立できるし、何かを好きだと思うことも嫌いと思うことも、悲しいも嬉しいも両立できる。
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東京きらーい
https://open.spotify.com/playlist/6Ozt2uJhKUOuGnQC51FCHF?si=2zgtC1rMREOydPIdjOyiVg
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