てん、てん、てん、てん...天気痛
どうやら天気痛なる言葉があるらしい。
最近新しく知った。
何とも言えない感情や現象に名前がついていることに気がつくと嬉しい気持ちになる。なぜなら他者と意思疎通することが用意になるからだ。
例えば、「ゲシュタルト崩壊」といった言葉が自分にとってのそれだ。
「あの…ずっと文章読んでいたり考え事をしていたりすると視覚的にも感覚的にもモヤモヤ、不明瞭になる感覚あるじゃん?」
こんなことを言っても「…???」となるだけだった。
そんた時にゲシュタルト崩壊を知った。
それからは一発でOK。さっきの感覚を伝えるのにゲシュタルト崩壊という単語だけで完結する。
そしてまた新しく「天気痛」なる言葉を知った。
自分は、日々天気が悪くなる前に気分が悪くなったり、頭が痛くなったりと調子が悪くなることが多い。
ただこれは経験で天気が崩れる前後にそうなると知っているだけで知る前は不定期に訪れる体調不良にだいぶ悩まされていた。
感覚的にも経験的にも理解が及んでいないものは自分だけではなく、他者も把握することはできない。
そして誰も把握することができな事象には名前が付かない(認知されない)のだ。
ただ偶然にも天気痛というワードを知った。
調べるとこれまで感じていた感覚を表現した内容が大量に出てきた。
自分の事例に合うパターンもあれば、実はあの人も天気痛ではないか?という事例まで出てきた。
何とも言えないあの感覚をググることができるようになったのだ。
大発明だ。そう思った。
改めて言語は偉大で固有名詞は物事の把握を早めることを体感した。
まだ、名前のついていない(ついていても大多数が認識していない)事象が世の中には沢山あって。それで悩んでいる人が少しだけど存在する。
ただ認知すると色々わかって、同じ悩みも持つ人にもっと優しく接することが出来る気がする。
そしてそんな発見をくれた天気痛とも少しは仲良くなれそうな気がする。