新留ローカルを味わう 〜地域学校連携とは何か〜
日々、集落の方の温かさに支えられながら過ごしています。
地域学校連携担当として鹿児島に越してきて約3ヶ月が経過しました。
新留集落で過ごしていると、普段は気づかないだけで日々の生活に学びがたくさんあるんだなと気づきます。
新留でどのような生活を送っているのか、最近の出来事をまとめてみました。
1. 田植え
新留集落には田んぼがたくさんあります。6月は田植え、10月は収穫の時期です。
これらの月は毎週日曜日の午後に行っているグラウンドゴルフも一旦お休みになります。
6月の田植え、少しですが手伝わせていただきました。
動物避けの柵を設置担当、機械で田植え担当、苗を渡す担当、機械で植えられない端っこの手植え担当などなど、役割分担して進めていきます。
私は手植えを担当しました。
キツい。。。!!50代後半、60代の女性がスイスイとやられているのを見て、お元気だなと思いながら必死に体を動かしました。案の定、翌日は体がバキバキに。。。
田植えをしているとご近所さんが集まってきて、なんとなく手を貸してくださる。
高齢のおばあちゃんも田植えをする体力がなくても
「家にいるのはつまらないから、現場監督として来た」
と笑っておっしゃっていました。
誰かが無理に手伝ったり頼ることはせず、必要なときには自然と手を差し伸べ合い、別に何をしてもしなくても良い温かな程よい距離感の関係性が新留にはあります。
田植えを通して、新留集落の温かさの根っこの部分を体感しました。
ただ、どの地域も同じだと思いますが、新留集落も高齢化の影響で耕作放棄地が増えています。農業の問題も頭の片隅に置きながらこれから活動ができないかと感じています。
2. こんにゃくづくり
ある新留集落の方に「この地域ではこんにゃく芋が取れるよ。」と教えてもらいました。
恥ずかしながら、こんにゃくが芋からできるなんて知りませんでした。
「作るときに参加させてください!」とお話しをして、田植えの時期が終了した7月初旬に教えてもらいました。
まずはこんにゃく芋を掘るところから。
こんにゃく芋が生えているスポットを案内していただき、
「こっちは1年ものだからまだ取らないでね。3年ものの大きいものから取っていってね。」と教えてもらいつつ、掘り始めました。
で、でかい!
大きさを気にしながら、結構な量を採りました!
次にこれを調理します。
毎年こんにゃくを作っているという、80歳を超えるお父さんに熟練のご指導をいただきました!
芋を切って、茹でて、ミキサーにかけて、あく巻用あく汁を混ぜて形を整えます。
形を整えたら、最後に熱湯で固めます。
形がいびつなものは私がやりました、、、 精進します笑
市販のものとは一味違うこんにゃくが完成しました!
さしみ醤油やからしでいただくと美味い!!
人生初の自家製こんにゃく、最高でした。
ここのお家の人はこんにゃくを作ったら、毎回ご近所さんに配っているそうです。
私も新留集落のご近所の方に配ったら、
「まあまあかな」と冗談まじりにご指導を受けたのでもっと精進します笑。
3. 黒岡登り
先日新留の歌の歌詞にも出てくる「黒岡」に登ってきました!
地元の方が案内してくださったので、ローカルの知をたくさん教えてもらいました!!
昔この一帯は茅場や牧場だったとのこと。
標高450mなのですぐに登れるかなと思っていたのですが、なかなかの獣道で苦戦しました。
「コロンブスと一緒で1番最初に名前を付けたらその名前になるから」と、途中には地元の方が自分たちで付けた名前の名所が所々にありました!笑
その①「一本みかんの木」
昭和40年ごろ、皆でわらびをとりに来ていたそう。その時におやつで持ってきていた夏みかんのタネから木が生えてきたとか。
その②「黒岡モアイ石」
どことなくモアイ像に見える!!
その③「天空弓張橋」
こんな岩なかなか見ることができない!
また道中にあるトラロープやピンクのリボンは新留集落の皆さんが付けたそう。定期的に草刈りも集落の皆さんがしているそうです。
行政のみではなかなか整備が行き届かない登山道を地元の方々が合間を縫って整備をしています。
今回も草はらいをしつつ登りました。
こういったトラロープも地元の人の手で設置されています。
やっとのことで山頂に登ることができました!!
桜島も高千穂も新留集落も見える絶景です。
思ったよりもハードな道中でしたが、集落の方の想いの込もった「黒岡」は本当に最高でした。
地域学校連携担当として想うこと。
よく地方創生の文脈で「地域づくり」と耳にしますが、何か違和感があります。
新留集落を考えると、もう既に先人たちが新留に愛をもって「地域づくり」をしてきた歴史があります。脈々と受け継がれてきたその土地ならではの「土着の生活」があります。それはきっとどの地域にもあると思う。
共に生活をしていると、外からパッと来た私が「地域づくりをします!」なんてそんなおこがましいことなんて言えません。
私ができることは、集落の方と「土着の生活」を共に過ごさせてもらって、想いや歴史をよく学び、新留小学校の一員として子どもたちに引き継ぐことだと思っています。
地域と学校との連携。文科省で言えば、「コミュニティスクール」だとか「地域学校運営本部」とかを設置するなど制度の面を整えることも大事なことかもしれないけれども、地域にどのような想いをもった誰がいるのかを謙虚に教えてもらう姿勢から始まるのかなと純粋に思います。
今後も1人の新留集落の生活者として新留のことをもっと知りたいし、新留の人と自然を愛して、子どもの学びにつなげていきたいです。
以前、いつもお世話になっている集落の方と話していて、「そんな気を遣わなくて大丈夫だよ。もう仲間なんだから。」と言われて、痺れるくらい嬉しかった。
もちろん小学校なのでそこに通う子どもたちのためにあるのだけれども、開校以来約140年分の地域の人の想いを背負っていることも自覚して今後とも取り組みたいです。