今日本人の最も危うく揺らいでいるもの
私は今日本人の最も危うく揺らいでいるものは、「(日本人としての)精神性」だと思っています。
精神というと広域な言葉で、いろいろなモノコトが関わってきますね。倫理、道徳、心の在り方、考え方、気質、誇り、感謝、愛等。これらをひっくるめて、いろいろなタイトルを通して考えていきたいと思います。
①国会議員(政治家)
国会議員は立法と行政がその仕事です。そして国民の生命や生活を守る義務があると思います。その上で国民に選ばれた人が国会議員となるわけです。
では現在はどうでしょう!?その職務をちゃんとまっとうしようとしている国会議員もいるでしょうが、それはごく一部で、私が生きてきた時代の中ではそう感じてしまいます。普遍的な倫理の欠如を思わされるのです。多くの国会議員は、国民の生命や生活を守るどころか、国会議員であるための保身(選挙)というように「保身」ばかりが感じられて、日本を良くするなんて上の空なんじゃないかと感じてしまいます。そもそも政府のシステム?に問題があると思っていて、しかしそれすら国会議員の他にそれを決められる者がいませんから、かなり絶望的だと言えます。もっと原点を尊重実行できる国会議員の誕生を願うしかありません。
国民が幸せなら国会議員自身も幸せだと何故思えないのだろう?人間性、精神性の欠如を感じます。もしも己が優秀だというのなら、それを国民の幸せを感じられる国のカタチにして示してほしい。優秀な国会議員とはそういうことなのではないでしょうか?
②合理的効率的思考
仕事もプライベートも全てひっくるめて「合理的効率的思考追求」になっている気がします。仕事ができなければ無能扱い、人間関係もコスパ…でも考えてみれば、仕事に合理化を求めればAIやロボットの方がよっぽど合理的かつ効率的だと思うし、それと比べたら人間は非合理でコスパも悪い。「人」ということを無視し、さも己は優秀で合理的な人間だと思い上がった人がいる…しかしこれからはどんな仕事もAIやロボットの時代に入っています。合理的という意外で人間である意味を見出していかなければならないと思うんですよね。笑っちゃえるような無駄なこと、余裕ある時間、そういうものも人生に必要じゃないかな?って思います。仕事すら人生の一部です。
③イジメ問題
イジメ問題は学生でのそれをよく取り上げられますが、実は学生だけではありません。イジメと言えばハラスメントもイジメの部類。大人社会でもあるのに、学生のイジメ問題だけを取り上げ、なくしていこうなんて…無理でしょ!?どの口が言ってる?灯台下暗し。かといって、どうにかしなくてはならないのは事実ですけど。倫理・道徳の欠如と言うしかありませんね。前世代が次世代を生む一端を担っているのは確かなはずです。大人のイジメ問題を同時に取り組んでいかなければなりません。
④差別問題
人種、ジェンダー、男女差別等いろいろあり、他国と比べれば日本はそこまで…という感じはしますが、それは程度の問題であることは事実。特に男女差別問題は世界的に見れば先進国ワースト上位に位置するかもしれません。国によって歴史的慣習が主な原因とは思いますが、慣習というのはなかなかそこから抜け出せない厄介さがあります。ただ、「何故差別するのか?」と差別する人に問いかけても、正当性のある答えが返ってくるとは思いません。差別する人は、そこに優劣をつけて優越感が欲しいのは気持ちいいから?思い上がりは道徳倫理観等の欠如か?
また差別する人、される人の受け取り方も様々。
差別という言葉は、ビジネスの中でも「差別化」というのがありますね。ビジネスは良くて、それ以外はダメなのか?言うなら「区別化」?
ところで差別問題に関し、何でも一緒くたに平等と唱えることに関し異論があります。例えば「男女差別→男女平等」。男女は性的役割も違えば、思考の違い、体力的な力の違いがあると思うからです。ようはなんでもかんでも一緒くたに「平等」ではなく、本来これは男女平等であるべきだよねというのをピックアップしていくべきだと思います。「男女平等」という言葉だけがミスリードしている気がしています。様々な差別問題にはこの言葉(平等)だけがミスリードしていることが結構あるんじゃないかと思います。それなら平等ではなく「適等」???(勝手に造語しました。)
⑤誇り・肯定感
私はこの日本を、そして日本人であることを胸に誇りを持つべきだと思います。それによって傲慢になってしまう人もいるかもしれませんが、多くの人はそんな風にはならないと思います。誇りを持ったって、お金にならなければ何の役にも立たないという人もいるかもしれません。しかし少なくとも肯定感は生まれるし、日本人として、もっと言えばこの日本を良くしていこうと活力が生まれてくるかもしれません。日本は世界最長国家であり、もしかすると歴史上現世界の人間の起源に関わりがありそうです。過去から今までの世界への貢献を知ったりすることも必要だと思います。特に学校での授業(特に歴史)ではあまり知ることはありません。
私が初めての海外旅行はトルコで、バックパッカーとして回ったのですが、その時現地の人との共通した会話の内容というのは、信仰する宗教と歴史上でのその国との関わりでした。20台前半に何も考えずに日本を飛び出したわけですが、ちょっと恥ずかしかったです。宗教に関してはお墓があるということは仏教で、信仰というにはそうでもないし、その国との関わりについて全く知らず、史実あって親日国なのに、「親日国なんだぁ~」位しか思ってていなかった…学校での歴史を学ぶことはいいことだけど、そういう日本の世界への貢献をもう少しちゃんと教えるべきだと思います。
⑥幸福感
人は何のために生きている?というような問答ではなく、単純に人として生きていく上で、個人にとっての幸福とは何か?ということを改めて考えていくべきだと思います。それはいくつあっても構わないと思います。イイ服を着て、素敵な家や車を持ち、海外旅行もできて…それはそれでいいのですが、それに固執し獲得するためにどうすればいいか?の為に、社内では人を蹴落としてまで出世をしようとしたり、騙したり、それらを得たいがために儲けを増やそうと労働者を安い給料で働かせたり、労働者側も多くの残業をしてまでせっせと働き結果家族をないがしろにしたり、子供にはいい大学へ入らせようと子供に遊ぶ時間やそれ以外の子供時代でしか味わえない時間を削ってまで塾へ行かせるなどに時間を割いたり、遺産がある家では、全てわがものにしようと対立をしたり…アルアルを普通にしてはいけないし、実は異常なことって沢山あるような気がします。それで幸福と言えるのか?そういうと「キレイごと」なのかもしれません。それでもすぐそこにある幸福を確かめ味わいながらというのも大事だと思います。すぐ隣には良きパートナーがいて、子供が健康で、楽しくいい友人がいて、平和な日々があって等々。それ以上の幸福を求める時にはもちろんキツイ時期もあって、努力ということも必要でしょう。でも人を貶めた上での幸福ならそれはどうでしょうか?それでも幸福だと言ってしまえる人間性だとしたら、それはどうなのでしょうか?自分以外の人が幸せなら自分も幸せだと感じられる余裕すら欲しい。
仮にも先進国日本。ただ経済発展の先進国(今はとてもそんなこと言えるような国ではないかもしれませんが…)というのではなく、精神的にも先進国でありたいなぁと思います。幸福を手にするつもりが、あまりに多くの時間を費やし幸福を味わえずにこの世を去っていくのだとしたら、なんだか悲しすぎる気がします。「人としての次なるステージ」を見ることが必要だと思うのです。その前に課題があり過ぎますね…
⑦マネー至上主義
確かにお金がなければ生活ができない、これは事実。お金持ちであれば、一般庶民所得ではなし得ないこともなし得ることも確かにある。資本主義社会では当然格差が生まれる。人はどのくらいお金があったら満足するのだろう???そして現社会において、お金が力を生むのも事実。お金があればあるほど「権力・支配力」さえ生む。お金で人の精神を喰ってしまうことすらある。そしたらお金で買えないものはないのかもしれない。
その人の能力、努力、人との出会いや運等で、一度お金持ちにになれば、お金がなかった時の気持ちはまるで清算されてしまって、貧乏人には知らん顔になる人もいる。
本来お金は経済活動の「有効手段」のはず。
格差社会において「再分配」というワードが出てきたりしますが、一般庶民が得ている「労働の対価」というのは、そもそも適額なのだろうか?