日本史について思うこと 近代 昭和時代(戦前期・戦中期)
明治時代と大正時代の近代国家展開期に次いで、昭和時代の戦前期・戦中期を見てみたいと思います。まずは流れから見てみます。
大正天皇が没し、昭和と改元された頃、立憲政友会と並ぶ立憲民政党が結成されました。また、第1回普通選挙が行われる一方、治安維持法改正による思想の取り締まり強化がなされました。
対外的には山東出兵などの積極外交やロンドン海軍軍縮条約調印など協調外交の動きがありましたが、国内での軍人によるクーデター計画や「満蒙の危機」を訴える軍部と付随する事件が起こる中で、柳条湖事件を発端として満州事変が起こります。そして武力占領し満州国を建国します。
国内では軍人のクーデターによる五・一五事件が起きます。ここに政党内閣は終焉します。一方対外の問題はリットン報告書に日本は反対し、国際連盟脱退を通告しました。
以後、軍部の政治介入が陸軍パンフレット配布以後本格化、天皇機関説問題に際し国体明徴声明を出させ、陸軍内部の派閥対立に起因する二・二六事件が発生しました。さらには軍部大臣現役武官制の復活、「国策の基準」による軍備増強と総力戦体制への方針を定めました。
対中問題は、長征や西安事件がある中で、盧溝橋事件を発端として日中戦争が勃発しました。
戦争の影響が国内へと広がる中で、国家総動員法が公布され、勅命での人的・物的資源の動員を可能とさせました。
その中で、欧州で第二次世界大戦が勃発します。国内では一国一党を目指し新体制運動が推進され、大政翼賛会や産業報国会が結成されます。
対外には北部仏印進駐で援蒋ルートの遮断を目指すとともに日独伊三国同盟の締結を行いますが、これは対米関係の悪化を招きました。日米交渉はハル=ノートの提示により決裂、太平洋戦争が開戦します。日本は東南アジア・太平洋方面に戦線を広げますが、ミッドウェー海戦以降戦局が悪化し、サイパン島陥落により絶対国防圏構想は破綻します。
連合国では、カイロ宣言、ヤルタ協定と対日処理案が出され、沖縄戦の後、ポツダム宣言を示しつつ降伏勧告を出すも日本はこれを黙殺、原爆投下とソ連参戦の後、これを受諾し無条件降伏し終戦となりました。
ここまで昭和時代の戦前・戦中期を見てみました。政党政治の展開の中での軍部の動きと伸長があり、政党政治の終焉と戦争の時代へと突入、総力戦体制の中で太平洋戦争の終戦を迎えたというところでしょう
それでは教科書の書き方を見てみます。日Bでは10章の第4節から第6節まで、日探では15章すべてとなっています。時代の流れだけで見れば、今までのワシントン体制までの流れと切り離し、独自の章としたわけで、いわば戦争の時代(タイトルには恐慌も入っていますが)ということでしょう。政治機構も政党より軍が圧倒して優勢に立っていった時代でもあり、そこのあたりも重要視したのではと思います。
ここまで昭和時代の戦前期・戦中期を見てみました。続いては現代、昭和時代の占領期を見てみたいと思います。
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