Hizuki Kyu

日本史について思うことを書いていきます。

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最近の記事

日本史学習としての高等学校卒業程度認定試験

はじめに 日本史とその学習を調べる中で、大学入試(または高校入試)の過去問にあたることがあります。自分の日本史習得の程度を知ることができるとともに、そこから歴史の話題に触れ、素養を広げていくることができます。以前は共通テストに触れて、実力を試すとともに、どのような歴史の要素的なものがあるか見てみました。  続いて他に何かあるか調べてみると、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)がありました。  そこで、今回はこの試験を試してみたいと思います 簡単に結果 今回は令

    • 日本史通史1万2000字 後編

      前回の続きです。  新政府は中央集権化の中で様々な施策を行った。すでに1868年に太政官制を制定させて行政機構の構築を目指していた。また、1869年に版籍奉還を行い、土地・人民を新政府に返させ、さらに1871年に廃藩置県の断行によって、中央から知事を派遣する形をとり体制を整えた。また、さらなる太政官制の改革や、徴兵制整備(1873年の徴兵令公布)、四民平等への動きによる秩禄処分(1876年の金禄公債証書発行条例制定)、地租改正(1873年の地租改正条例公布)による土地・税制

      • 日本史通史1万2000字 前編

        はじめに 4月になると日本史探究の教科書が出始めるでしょう。中身が大きく変わるわけではないでしょうが、少し楽しみです。  以前、教科書の見出しなどの比較の際に日本史の概略をまとめましたが、これから日本史を学びなおそうと考えているところでもあり、一つの文章にしてみました。  それにあたり、内容を追加し、です・ます調はである調にし、ほぼなかった年(今回は西暦に統一しました)を追加し、1万2000字程度の文章に整えました。一度に載せるには長いので、明治改元あたりを境に前編・後編

        • 2023年度共通テスト日本史B感想

          共通テストやってみた 日本史とその考え方について見てみよう、と思っているのだからというわけではないですが、自分の日本史理解度を測るためにも何かテストをやってみようと思いました。  しかしいい感じのテストがないな、と考えていると、共通テストがあることに気付きました。  というわけで2023年度の共通テスト日本史Bを持ってきてトライしてみました。  結果は80点/100点でした。  平均点は今のところ60点前後とされているので、平均点は超えていました(ただし文系や理系の人も入

          日本史について思うこと 現代 昭和時代(安定成長期) 平成時代 令和時代

           ここまで簡易的な流れと教科書の項目名を見てきました。最後に、昭和時代の安定成長期と平成、令和時代を見てみます。まずは流れから。  日本列島改造を掲げた田中角栄首相の時代には日中共同声明が出され、日中国交正常化がなされました。   国際社会では、ベトナム戦争に起因するドル危機の発生と変動為替相場制への移行、第4次中東戦争に起因して問題解決のための先進国首脳会議(サミット)が開かれるなど、変化が続きました。  さらに日中平和友好条約も調印されました。  中曽根康弘首相の時代に

          日本史について思うこと 現代 昭和時代(安定成長期) 平成時代 令和時代

          日本史について思うこと 現代 昭和時代(高度成長期)

           続いて昭和時代の高度成長期を見てみたいと思います。まずは流れから。  国際社会の変容の中で国防の強化がなされ、アメリカとMSA協定が調印され、自衛隊が発足しました。  国内政治では、分裂した日本社会党が再統一され、また、それに刺激され日本民主党と自由党が合同し自由民主党が結党されました(保守合同)。ここに保守優勢の「55年体制」が形成されました。  対外的には日ソ共同宣言が調印され、日本の国際連合加盟がなされ、ここに日本の国際社会への復帰となりました。  そして、日米相互

          日本史について思うこと 現代 昭和時代(高度成長期)

          日本史について思うこと 現代 昭和時代(占領期) 

           続いて昭和時代占領期を見てみます。まずは流れから。  戦後の日本は、島嶼を除きGHQの間接統治がとられました。マッカーサーにより五大改革指令が出されるなど改革と民主化が始まりました。また、GHQの指示により日本国憲法が公布され、また諸法の改正が行われました。政党が復活し選挙制度も改革されましたが、公職追放令も行われました。民主化は財閥解体、農地改革、労働三法、教育の改革などが行われていきました。  国際機関としては国際連合が設立されましたが、東西陣営が鋭く対立するようにな

          日本史について思うこと 現代 昭和時代(占領期) 

          日本史について思うこと 近代 昭和時代(戦前期・戦中期)

           明治時代と大正時代の近代国家展開期に次いで、昭和時代の戦前期・戦中期を見てみたいと思います。まずは流れから見てみます。  大正天皇が没し、昭和と改元された頃、立憲政友会と並ぶ立憲民政党が結成されました。また、第1回普通選挙が行われる一方、治安維持法改正による思想の取り締まり強化がなされました。  対外的には山東出兵などの積極外交やロンドン海軍軍縮条約調印など協調外交の動きがありましたが、国内での軍人によるクーデター計画や「満蒙の危機」を訴える軍部と付随する事件が起こる中で

          日本史について思うこと 近代 昭和時代(戦前期・戦中期)

          日本史について思うこと 近代 明治時代・大正時代(近代国家展開期)

           明治時代の近代国家形成期についで、明治時代と大正時代の近代国家展開期を見てみたいと思います。まずは流れから見てみます。  日本の近代国家への展開の中で懸案となっていた一つに条約改正がありました。しかし外国人判事の任用や条約に起因する事件などにより遅滞していました。  一方征韓論以降、朝鮮への影響強化の中で中国と対立し始め、甲午農民戦争での出兵を機に宣戦布告し、勝利を収めました(日清戦争)。戦後の下関条約にて遼東半島・台湾の領有権を得るも、三国干渉を受諾し返還しました。  

          日本史について思うこと 近代 明治時代・大正時代(近代国家展開期)

          日本史について思うこと 近代 江戸時代末期・明治新政府発足期 

           江戸幕府の後期に次いで、江戸幕府の末期と明治新政府発足期を見ていきたいと思います。それではまずは(少し遡りつつ)流れから見ていきます。  すでに18世紀の後半ごろから日本沿海に外国船が出現するようになっていました。それに対し幕府は穏便な対処とし薪水給与令を出しましたが、対外関係での事件の続発により異国船打払令をだしました。それでも続発する事件やアヘン戦争の情報により天保の薪水給与令を出します。  老中首座阿部正弘の時代にはペリーが来航、対処のため江戸に台場など設置し、翌年

          日本史について思うこと 近代 江戸時代末期・明治新政府発足期 

          日本史について思うこと 近世 江戸時代後期(動揺期・衰退期)

           江戸時代の前期に次いで、江戸時代後期(動揺期・衰退期)を見てみたいと思います。それではまずは流れから見てみます。  この頃(18世紀頃)から幕藩体制が変質し始め、その再建のため徳川吉宗が将軍に招かれ改革が始められました(享保の改革)。新田開発や年貢増徴のための定免法採用、倹約令や足高の制、上げ米による財政再建や、公事方御定書などの法整備が行われました。また江戸に目安箱を設置、その意見を採用し小石川養生所を設置しました。  享保の改革以後は側用人から老中となった田沼意次が台

          日本史について思うこと 近世 江戸時代後期(動揺期・衰退期)

          日本史について思うこと 近世 江戸時代前期(成立期・展開期)

           安土・桃山時代に次いで、江戸時代の前期、成立期・展開期を見てみたいと思います。まずは流れから見てみます。  豊臣秀吉没後、政策方針の対立による関ケ原の戦いが勃発、勝利した徳川家康が後継者の地位を確立、征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開きます。また家康はこの秀忠に将軍職を譲り政権継承を示すとともに大御所として実権を保持していました。  しかし大阪には豊臣秀頼がおり勢力を保持していました。家康は方広寺鍾銘事件を機に大阪を二度にわたって攻め(大坂の陣、大坂冬の陣・大坂夏の陣)豊

          日本史について思うこと 近世 江戸時代前期(成立期・展開期)

          日本史について思うこと 近世 安土・桃山時代

           鎌倉時代末期・室町時代・戦国時代に次いで、安土・桃山時代を見ていきたいと思います。まずは流れから見てみます。  戦国大名が割拠する時代に、尾張の織田信長が台頭してきます。今川義元を討ち(桶狭間の戦い)、斎藤竜興滅ぼし岐阜を本拠とし「天下布武」の印判の使用を開始します。さらに足利義昭を奉じ入京し、畿内へ進出します。この後、浅井・朝倉連合軍を破り(姉川の戦い)、延暦寺を焼き、将軍足利義昭も京から追放します(室町幕府滅亡)。武田勝頼との戦い(長篠合戦)では鉄砲隊を用い勝利、また

          日本史について思うこと 近世 安土・桃山時代

          日本史について思うこと 中世 鎌倉時代末期(得宗専制期)・室町時代・戦国時代

           鎌倉時代の鎌倉殿期・執権政治期に次いで、鎌倉時代末期(得宗専制期)・室町時代・戦国時代を見てみます。まずは流れから見ていきます。  蒙古襲来以後は北条家得宗及び身内人が政治の枢要に立ち、得宗私邸での寄合で決済される政治(得宗専制政治)が行われます。執権北条高時の時代には内管領長崎高資が実権を握ります。  一方朝廷では後嵯峨上皇以後、持明院統と大覚寺統に皇統が分裂していました。幕府はこれに介入し文保の和談を提議し、後醍醐天皇が即位します。  後醍醐天皇は記録所を再興するなど

          日本史について思うこと 中世 鎌倉時代末期(得宗専制期)・室町時代・戦国時代

          日本史について思うこと 中世 鎌倉時代(鎌倉殿期・執権政治期)

           院政期・平氏政権期(部分)に次いで、鎌倉時代と書き方を見てみます。今回は教科書の章立てに従い、得宗専制の前までです。それでは今まで通り簡単な流れから見てみます。  平清盛は太政大臣となり安徳天皇を擁立するなど公家政治の姿もとっていました。しかし貴族、武士の反感も買いました。  以仁王の令旨が出されると源頼朝は挙兵、鎌倉を拠点に行動を行いました。源義経らを派遣し平家を破るとともに侍所や、公文所の設置を行い、武士の統制を行い始めました。壇ノ浦の戦いにて平氏が滅亡すると、守護・

          日本史について思うこと 中世 鎌倉時代(鎌倉殿期・執権政治期)

          日本史について思うこと 中世 院政期・平氏政権期

           摂関・天皇親政期に引き続き、まず流れを見てみましょう。今回は院政期・平氏政権期までです。  摂関家と外戚関係を持たない後三条天皇が即位すると親政を行いました。延久の荘園整理令や記録荘園券契所の設置などの改革を行いました。  一方地方の内乱に武士が活躍し、前九年合戦・後三年合戦を通して源氏は武家の棟梁としての地位を確立します。  中央では、白河天皇が堀河天皇に譲位後、上皇となり国政を主導するようになります(院政)。院政は院近臣たる貴族が院司とし実務を掌握、また警護要員とし北

          日本史について思うこと 中世 院政期・平氏政権期