へそ曲がり英語人生
市川 公美
青森生まれのじょっぱり娘、故郷を出るものかと思っていたが、なぜか東京さ出て行った。ハードロック、プログレに始まり、パンク、ニューウェーブの洗礼を受け、イギリスの大ファン、subway ではなくtube、elevator は lift、コックニーアクセント最高 だべさ、という調子であったが、アメリカはニューヨークくんだりまで来てしまった。
私の言語に対する水準(bar) はとても低く、変な英語、カタカナ英語と言われてもあまり違和感がない。そういう意味でこのグループでは黒い羊(コロナ自粛下にあっては黒い豚か牛といったところか)を自認している。ただし、そうした言葉遊びはガラパゴス現象(最近はシーラカンス現象ともいうそうだが)の一端として国内限定という共通の理解を前提としている。
25年以上ニューヨークに住んでいるが、日常会話の英語が難なく言えたり聞けたり書けたりできるようになったのはやっと最近である。母校で教鞭をとる友人が言うとおり、外国語を習得するのは、時間を食い尽くす怪獣とつきあうようなものである。読み書きは重要であり、学校での学習が欠かせないが、話したり聞いたりは今の時代、課外やネットで本物の英語に接する機会がいくらでもあるだろう。他州は知らないがニューヨーク州では外国語を習い始めるのは日本でいう中学校に上がってから。テストで選抜された生徒を対象とする公立のGifted & Talented Programでは、三・四年生からラテン語をとることもできる。日本語の古文・漢文を習うようなものであろうか。
初等教育で英語習得に余計な時間をかけるより、まっとうな日本人となる教育を受けた方がいいと思うのである。かくいう私、中国語を母語とするドイツ人で英語も流ちょうに話す10歳の男児に、「戦国時代の日本のサムライは思想が素晴らしい。僕は誰それが好きだがあなたのお考えは?」と聞かれ、おいおいパンクなんかにうつつを抜かしている場合じゃなかったよ、と一瞬だけだが残念に思った次第であった。
少し前にニューヨークで日本への投資誘致を奨励するコンファレンスがあり、日本の地方自治体からも市長さんなどが一流ホテルに一堂に会した。そこで、ある団体の所長さんが難なくプレゼンテーションを終えた後、質疑応答で突然固まってしまい、周りから Serious? とささやき声がもれた気まずい沈黙の後、ベテラン職員の方が見事な回答をされて事なきを得た。赴任直後のお役目で可哀そうであった。エリートの方なのでこのような場面を想定しておらず、頭の中が真っ白になったのだろうか。完璧主義の日本人には、私は英語苦手なんですと言う勇気、ネイティブに引き継ぎや確認を依頼する機転が必要かもしれない。
先達ての映画アカデミー賞では韓国人監督が英語を話せるにも拘わらず受賞スピーチには通訳を使った。30年前には黒澤明監督が名誉賞を受賞した際にアメリカ人の通訳を使った。「この賞に応える("earn the award")ために今後も努力していきたい」とのスピーチから滲み出る誠実さ、奥ゆかしさ、自信に裏付けられた堂々とした立ち居振る舞い。異国の人間が与える神秘のオーラさえ加わって。ひと言も英語を話さないが、世界に通用する素晴らしい日本人だと誰しも思ったことだろう。
(2020年12月5日)