「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」の名言が出た10月事件
歴史って本当に面白いです
その中でも「フランス革命」と「第一次世界大戦前」が本当に面白い(私の感想です)
フランス革命の中で王様が庶民の手によって住む場所を変えるという異常事態(あくまでその時代からみた異常事態ですが)である10月事件について書きます
最後まで見てくれると嬉しいです
人権宣言を認めない!
このブログの続きです、まずはこのブログを読んでください
さて、国民議会が人権宣言とその他もろもろ(封建的支配を潰す廃止宣言)を作りましたが、それは作っただけ
それを国のトップである王様(ブルボン朝ルイ16世)に認めてもらう必要がありました
国民議会は王様に認めてもらうよう言いましたが、残念ながら認めてもらえませんでした(というより、王様の側近が王様を唆し正確には「王様の側近に認めてもらえなかったですが」)
こうして政府側と国民議会側の中は険悪ムードになってしまいました こうして政府は一刻も革命を阻止するため、全国から軍を呼び寄せました
1789年10月1日、軍がウェルサイユに集まります 政府は軍をねぎらうために、歓迎祭が行われましたが、その祭りで軍が酔った勢いか、革命派の目印であった三色旗を踏みにじるという愚行を起こしてしまいます
パリの動向
この三色旗を踏みにじるニュースがパリに届きます これによりパリの人たちは激怒(当時、パリは革命の中心)
パリジェンヌ(パリの女性という意味)「なにーーー!?、政府は我々を叩き潰す算段を立てているのか」
パリジェンヌ2「よし、やられる前にやろう。それと合わせて大量の小麦もウェルサイユから持って来よう」
当時のフランスでは小麦が少なく国民は飢えていましたが、ウェルサイユには山ほどありました このようにして、三色旗を踏みにじった怒りと小麦を持ち帰るため、パリジェンヌ(女装した人もいましたが)はウェルサイユへ行進しました
10月5日、約8千人が約16㎞もある道を徒歩で移動しました 雨の中、必死で武器を持ち王妃の悪口を言い合いました(ルイ16世はその頃はまだ信頼を持たれてました)
一方、政府側の動向
さて、パリジェンヌがウェルサイユへ到着しましたが、案の定国王は狩りでいませんでした
この動向が国民軍総司令官であるラ=ファイエットの耳にまで届きました 彼は立憲王政派(分かりやすく言えば王様より憲法が上という考え方)でしたので、王政が無くなるのを恐れ、ウェルサイユへ駆け付けました
ラ=ファイエットはウェルサイユへ到着しましたが、時すでに遅くパリジェンヌが宮殿へ乱入し始めた頃でした
その頃、宮殿へ乱入し始めたニュースが王妃であるマリー=アントワネットにまで届いていました
ここで、有名(?)な名言が出ます
アントワネット「パンが無ければお菓子を食べればいいのに…」
ファイエット「王妃様、もうここに至ってはあの宣言を認めるほかないのです。その為に外へ出て大衆の前へ姿を現してください」
こうして、人権宣言と廃止宣言を認めることになりました
王様であるルイ16世は外に姿を現し、封建的撤廃と人権を認める旨を伝えました(ちなみに、王妃は最初は怖がってましたが、覚悟を決め、毅然とした態度で大衆にお辞儀をしました。これに圧倒され大衆の中から「王妃様万歳」という声も現れたとか)
この答えに周りは熱狂、「国王万歳」の声の中、国王夫妻はパリへ連れられました
ここで革命は沈静しますが、国王夫妻がまたアホ行動をしより革命は激化しますが、それは次に書きます
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パンが無ければお菓子を食べればいいのに
ちなみにあの名言(パンが無ければお菓子を食べればいいのに)を途中書きましたが、本当はあの名言はマリー=アントワネットは言ってません
まあ言ってなくても、そういう名言がその人を表していることもあります このように歴史は楽しめる要素が沢山あります
歴史は本当に楽しいのです