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(自称)正義国家アメリカが行うずる賢い手段。 日米和親条約で起こった計算された勘違い。
アメリカは汚い。 よく太平洋戦争は(アメリカが勝手に悪と名付けた)日本が起こした戦争だと語られることが多いですが、実はその逆。 アメリカの計算された悪逆非道な方法により日本は開戦以外道は無かったのです。
歴史で見ればその事例は多く、米墨戦争(アメリカ、エジプト)、ベトナム戦争、米西戦争(アメリカ、スペイン)、そして太平洋戦争。
これらのことごとくがアメリカの手によって行われた戦争です。 この記事ではそれらの好例の出来事、日米和親条約の悲劇について紹介していきたいと思います。
それではどうぞ。
1853年、江戸の浦賀に突如「黒船」が来航しました。 200年間も鎖国をしていたので当時の日本は大狼狽。 1年の猶予をアメリカに求めました。
しかし、1年待ったところでどうにかなるものか・・・・ ここで幕府は異例の他の人に意見を求め始めたのです。 これにより、幕府の威信が失望しました。(結局意見は聞かなかったのですが・・・・)
そして、無為無策に過ごし1年が経ちました。
アメリカ「さあ、1年待ったよー。早速条約を結べましょうか」
日本「え、え、、と。あと1年待ってくれ・・・・」
アメリカ「もしこの条約にサインしてくれなかったら、戦争するかもしれないよーー。清国の二の舞になりたくなかったら条約に調印しろ」
日本「は、はひ・・・・」
そして、1854年に日米和親条約が結ばれました。 ちなみに日米和親条約の内容は以下の通り。
日本バージョン 領国政府において、どっちもが認めた場合話し合いを設ける
アメリカバージョン(和訳) 領国政府において、どっちかが認めた場合話し合いを設ける
なんか違いますよね。 日本バージョンは「どっちもが」と書いてありますが、アメリカバージョンは「どっちかが」と書かれてあります。(わざと) この違いによって日本は地獄を見ることになります。
さあ、日米和親条約を結んでアメリカは帰っていきました。 ふう、嵐は去っていった。 日本バージョンなら我が国が認めない限り条約は調印しない。(どっちもが認めた場合に初めて設立するので)
しかし、1856年アメリカがまたやってきました。 日本にとっては初耳、聞いていた話とは違います。 しかしアメリカの言い分がこうでした。
アメリカ「ちゃんと条約に従い、来たんだよ」
日本の条約に従えば、アメリカの行動は違反となります。 いったいどういうことでしょう?
実はこれ、アメリカの巧妙な罠でした。 日本バージョンでは「どっちもが・・・・」となっていますが、アメリカが英訳をする時にここだけわざと「どちらかが・・・・」と入れ替えました。 これではアメリカが認めれば日本は強引に条約を結ばされることになります。
これにより、武力の世界情勢の背景を盾に、日本を脅し 1858年、日米修好通商条約が結ばされました。(所謂、不平等条約)
この条約により、日露戦争の終結まで日本は長く苦しめられることになります。
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この記事はどうでしたか? こんな事例は今に始まったことではありません。 ベトナム戦争でも開戦の理由が「トンキン湾事件」ですが、これはアメリカの陰謀だと分かっています。
このようにアメリカは古来、相手を追い詰めるまでとことん追い詰め、相手が追い詰められ最後の戦争を仕掛けると、それを相手を悪とし徹底的に完膚なきまで叩き潰し。
アメリカの勝利の形で終わると、ここぞとばかりに相手の国が悪だと教えつけます。 まるでその光景は悪が正義を悪だと決めつけているようです。
そういえば、今の日本はアメリカに頼りっきり。 それがひょんなことからアメリカに追い詰められ、最後には日米戦争。 そして、アメリカは日本をまた悪だと決めつけ叩き潰す。 ・・・・みたいなことにならないことを祈ってます。