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フランス革命の発端であるウェルサイユ集結 全ては国王の無能のせい
フランス革命~ナポレオン時代を含めるといったいどれくらい血が流れたんでしょうか?
フランス革命でまず王を倒すところで血が流れ、ドイツと戦争をするところで血が流れ、恐怖政治で血が流れ、貴族による政治で餓死者が出て、ナポレオン戦争で血が流れ、ナポレオン打倒で血が流れ、やっと収まったかと思ったらウィーン体制の反対で血が流れるという・・・・
恐らくtあたり流れているのでしょうね。 その前兆だったフランス革命初期はどのような出来事だったか解説していきます。
1725年~1774年のフランスではまさに絶対王政の時代でした。
国王の命令は絶対、フランスの栄光時代だったルイ14世は豪邸建築(ウェイルサユ宮殿)や侵略戦争(南ネーデルランド侵略戦争、オランダ侵略戦争等)などいろいろな戦争をしていました。
そんな金のかかる戦争(結局のところ何も領地が取れず意味がありませんでした)や建築をしてフランス国庫は破綻状態でした。
その借金を国民に押し付けたり、ファンテンブロー勅令(ナント勅令を廃止した物)を出したりして、国民の不満はたまっていきました。
そしてついに、変化が起きました。 なんと200年ぶりに3部会が結成されました。
しかし、その3部会は見分別多数決を取りましたので国民の怒りは限界に達し、第3身分は勝手に国民議会を造ってしまいました。
その行動に怒った第1、第2身分は軍隊を使って、国会を軍事制圧しようとしました。
また、財務大臣だったネッケル(唯一の第3身分だった)を更迭しました。 これにより、国民の怒りは限界に達し遂にバスティーユ監獄襲撃となりました。
さて、次のバスティーユ監獄襲撃事件については次回に譲りたいと思います。
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それにしても、このフランス革命はルイ16世による無能から起こったと言っても過言ではありませんでした。
もうちょっと、ルイ16世が名君でしたら歴史は違っていた。