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2024年を振り返る(転職してすぐに退職して無職になる、世界半周旅行、他)
みなさんこんにちは、トンプソンです!
2024年も終わりという事で、今回は激動の2024年を振り返ってみたいと思います!
※個人的な日記、記録となりますので、年末年始休みの暇つぶしになれば幸いです。🙇
※ブログもやってますので、ぜひ覗いてみて下さい!!☟
それでは振り返っていきましょう!!
1月 ~生まれて初めてのアフリカ大陸~
2023年の年末から2024年の年始にかけて、私の人生初のアフリカ大陸上陸となる、「南アフリカ共和国」に旅行してきました!!✈
毎年、年末年始休みとかお盆休みには海外旅行に出かけるようにしていますが、今回なぜ南アフリカを旅行先に選んだかというと、
まだ一度もアフリカ大陸に足を運んでないのに、もし明日死ぬことになったら「アフリカにあの時行けばよかった~」と後悔すると思ったから。
という、一般の人からは理解してもらえなさそうな理由でした。😅
しかし、この選択が自分の中では大当たりでした!
南アフリカは自然もきれいだし、みんな気さくで優しい人ばかりだし、私のアフリカのイメージを覆すような思い出となりました!
※当時の体験を記録した記事は、こちらからアクセスしてみて下さい!☟
良い思い出ばかりではなく、日本 → 南アフリカ行きで私が利用した「エチオピア航空」で、30分のトランジットを見事に失敗してロストバゲージした時の話など、トラブルもありましたが私にとってはいい経験となりました。笑☟
結論、あの時南アフリカを旅行して本当に良かったと思います!!
(私の彼女は、南アフリカの治安の悪さをとても心配していましたが、それはまた別の話に、、、😅)
2~5月 ~激動の転職活動~
1月に南アフリカを訪問したのもつかの間。
私は当時勤めていた水産商社から転職するべく、転職活動を同時並行で行っていました。
当時の転職活動の目的は主に、
キャリアアップのために英語を使った仕事を経験したいから
というものでした。
以前から、海外に漠然とした憧れを抱いていた私は、英語で仕事をしてみようと考え、日本で転職に有利な「TOEIC」を受けることに決めました。
もともと、別の英語試験である「IELTS(海外大学受験時に使う、TOEFLのようなもの)」の勉強をしていた経験があったせいか、基礎の英語力はそこそこついており、2~3か月くらいTOEICの勉強に集中した結果、1回で800点を取得することができました。
まだまだスコアを上げたいけど、とりあえず転職活動を始めてみようと思い、転職サイトに登録をして、何社か選考を受けさせていただくことができました。
※当時の転職体験記はこちらをご覧ください!☟
最終面接で落とされ、色々と波乱もありましたが、
無事に、総合商社系の食品専門商社に内定を頂くことができました👏
しかし、受かったことを後々後悔することになりますが、それは後で書きますね。
5~6月 ~退職の手続きとか~
次の会社が無事に決まり、約3年と数か月お世話になった水産商社を退職します。
緊張しながらも当時の上司に退職の意向を伝え、特に引き留めにもあうことなくスムーズにいきました。
思えば、この会社は当時なにもスキルが無かった私を拾ってくれ、色々と経験を積ませてもらった会社でもあるので思い出深いです。
営業職で入社したので営業の仕事はもちろん、自社製品である魚の商品開発、原材料調達、原料・輸送費・資材費などから商品を組み立ててコスト計算するスキルや、商品を特定の倉庫に納品するデリバリー業務、さらに実際に工場に研修に行かせてもらって魚の切り方や商品の作り方、品質管理など様々な業務を経験させてもらい、私のスキルの幅が広がりました。
社内の雰囲気もよく、南アフリカやオマーンといった日本人が旅行しなさそうな国にしか行かない変わり者の私に対しても、変な目で見ることなく色々話を聞いてくれたりコミュニケーションを取ってくれたり、優しい人ばかりでした😅
そのほかにも、
「トンプソン君は、1か月の大変な工場研修をやりぬいて根性ある子やね(工場の現場のボス)」
「トンプソン君は若い時に旅行とかの経験にお金を費やすことに気が付けていてすごいね、将来ビッグな男になるね!」
というお褒めのお言葉も頂けてうれしかったです。
社内で送別会を開いていただいた時も、普段飲み会に来なさそうな方を含めてほとんど全員に参加して頂いて、その時上司から、
「トンプソン君の普段の行い(雑務とか仕事に対する姿勢とか色々含めて)をみんな見ていたんだな、だからみんな来てくれたんだよ。人望だよ。」
という言葉を頂きました。
私にとっては雑務とか仕事をまじめにやるという事は当たり前の事なのですが、その当たり前とか基本がとても大事という事ですね。
とても貴重な3年間を経験させて頂きました!
7月 ~世界半周旅行~
退職した水産商社での有給休暇が残っていたので7月にまるまるお休みができました。これはもう海外旅行行くしかないでしょ! という事で飛び立つ計画を以前から練っていました。✈
今回の旅程は以下の通り!☟
アゼルバイジャン → ハンガリー → ポーランド → ナミビア
という何とも不規則で誰も考えないような旅。笑
それぞれの旅の概要は下記の通り☟
●アゼルバイジャン
私が学生時代にやっていた陸上競技で、アゼルバイジャンにとてつもなく短距離走が速い選手が1人いたんですよね。
それを知った学生時代の私は、いつかアゼルバイジャンに行ってみたいという気持ちになり、今回行くことにしました。
レンタカーをアゼルバイジャン警察に没収されたり、ホテル受付の人がキックボクシングの元アゼルバイジャンチャンピオンだったりと、びっくりすることがたくさんありましたが、とてもいい思い出になりました。
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●ハンガリー
ハンガリーに滞在した一番の目的は、「陸上のグランプリレースを見る!」でした。
陸上競技って、ヨーロッパはとても盛んなスポーツでして、グランプリレースもたくさん行われているんですよね。🏃💨
その中でも今回私が観戦したハンガリーの大会は、世界のトップ選手が集う最高峰の大会だったので、もうこれ行くしかない!と思い即決しました。
観戦はもちろん大興奮でしたが、特に忘れられないのが、大会終了後に偶然出会ったある選手との思い出です。
記念写真を撮ってもらって早々に立ち去ろうと考えていたところ、色々質問してくれたり会話してくれて本当に神対応でした。しかも、その選手は私が1月に滞在した「南アフリカ」代表の選手だったので、私は南アフリカに対するイメージがさらに良くなりました!
※その時の記事はこちら!☟
とても忘れられない思い出になりました。
●ポーランド
ポーランドに行きたかった理由は、人類の負の遺産である「アウシュビッツ博物館」を訪れてみたいと思ったからです。
第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツがユダヤ人、犯罪者などを収容して強制労働させた収容所です。
訪れてみたかった理由をざっくり説明すると、
人間はみんな生まれたときから同じなのに、どうして残虐な事をする考えに至るのか、という事を知りたかったからです。
激的で私の固定概念が変わるような体験ができるかなと思っていましたが、実際に訪れてみると私は涙の一粒も出ないどころか、ほとんど何も感じませんでした。
おそらく、ここで残虐な事が起こったことが信じられずに現実の事として捉えられなかったんだと思います。
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当時の訪問記はまだ記事にしてないので、いつか書きたいと思います。
●ナミビア
ナミビアを訪れたかった理由は、「今回の旅で一か所くらいアフリカを訪れたい」と思ったからです。
ポーランドのクラクフ → ギリシャ → エジプト → エチオピア → ナミビア
という、とても無謀なフライトスケジュールの元、ヨーロッパから南下しました。✈(Kiwi.com という格安フライトを予約できるサイトから申し込みました)
ナミビアではたくさんの気づきがありましたね。
・南アフリカの通貨である「南アフリカランド」が、ナミビアでもそのまま等価で使える事(しかし、ナミビアドルは南アフリカでは使えない)
・多くのナミビア人は、南アフリカの大学に留学をしてそこで将来の奥さんを見つける事(あくまでもゲストハウスのオーナー談)
・道端にイノシシや猿などの野生動物が普通にいる事
・町と町の間の距離が200km以上ある事
・日本人から来ましたと言ったら、ソン・フンミンと言われた事
普段日本に暮らしているのとは全く別世界が広がっていました。
※こちらの記事で紹介しています!☟
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他にもたくさんありますが、なかなか濃い経験ができて素晴らしい旅となりました。
次はいよいよ、新しい職場での勤務が始まりますが。
ところが、、、、。
8~10月 ~転職して2か月で退職~
7月の世界半周旅行もあっという間に終わり、いよいよ新しい職場がスタートしました。
しかし、ここはすぐに辞めてしまうことになります。
前述の通り、私は英語を使った仕事を経験してキャリアアップをしてみたいと考えていました。また、総合商社の100%子会社という事もあり、ネームバリューにも惹かれました。
しかし、いざふたを開けてみると、国内向けの帳合業務がメインで、商談報告や週報を書くために毎日夜8時過ぎまで残業などなど、私が想像していたものとはかけ離れていました。
私はこの職場を批判しているわけではありません、これはすべて私のリサーチ不足やキラキラした社名で働きたいという幼稚な考えによる失敗が原因です。
会社名とか都内の中心部で仕事している自分、かっこいい!
というのは、私にとって全く必要ないエゴだと理解しました。
当時の状況をこの場で書くと、長くなりますので割愛しますがこんな感じで私は約2か月で退職をしました、そして私は無職になりました。
10月末に、Persolが主催している無料のマーケティングワークショップに参加して、今後のキャリアを模索していましたが、やっぱり一度旅に出ようと決心することになるのです。
11~12月 ~ニート、アメリカ大陸旅行する~
こうして私はニートになりました。
せっかくフリーになったし、貯金もまだあるのでまた旅行をしようと考えました。
今回私は、アメリカ大陸を旅行しようと決断しました。
主な旅程はこうです☟
フィラデルフィア(アメリカ) → チリ → パナマ(トランジットで22時間滞在) → バルバドス → プエルトリコ
日本からアメリカ大陸って、料金も高いし時間も掛かるので、こういうフリーな時にしか行けないっしょ!という事で今回の旅を決めました。
主な出来事はこんな感じです☟
●フィラデルフィア
フィラデルフィアと言えば、映画ロッキーです🥊!!
私はロッキーの大ファンなのでそのロケ地をめぐりました。映画に出てきた風景がそのまんまあったので、だいぶ興奮しましたね!
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もう一つ、フィラデルフィアを訪れた理由は、友達に会うというものでした。彼はアメリカのフィラデルフィアから車で3時間離れた場所に住んでいるんですが、車で来てくれました。(ありがとう🙇)
彼と知り合ったのは大学時代で、同じ大学ではなかったのですが、縁あって陸上競技の合同練習をする機会がありそれ以来の縁です。
実際にプライベートで会ったのは初?(時折メッセージでやり取りをする仲でしたが、プライベートで会ったりはしていませんでした。)でしたが、彼とはお互いの近況(仕事、恋愛、人生とか)を話したり、アイスホッケーの試合を観戦したりととても楽しく過ごしました。
こういう縁って本当に大事だと感じました🙇!
彼は今後もアメリカに住み続けるようですが、また会いに行きます。(もしくは会いに来てくれ!!笑)
●チリ
チリは、主に首都のサンティアゴを中心にレンタカーで観光をしました。🚙
私自身、人生初の南米大陸であり、人生初のスペイン語圏という事でしたが、恐れていた事態が起きました。
それは、
英語が全く通じない!!
という事です。
これに対して私は「なんで英語が通じないんだ」と思ってしまいましたが、後にこれは私の自分勝手で傲慢な考えという事に気が付きました。
当たり前ですが日本では日本語が公用語のように、その国にはそれぞれの公用語があるわけです。
しかし私は、外国では英語が当たり前のように話されている、と勝手に思い込んでいました。
私は自分勝手さに気が付き、反省しました。
それでも、チリの人達はスペイン語が話せない私にジェスチャーを交えて何とかしてコミュニケーションを取ろうとしてくれてので、私はうれしくなりました。
その時の記事は、こちらをご覧ください!☟
また、チリの沿岸部にある「バルパライゾ」という町も訪れたのですが、とてもきれいな街並みでした。
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●パナマ
チリからバルバドスに行く途中で、パナマに22時間トランジットすることになり、観光してきました。
パナマ運河を見たかったんですよね!
前に勤めていた水産商社でも、ヨーロッパから魚を輸入するのにパナマ運河がよく話題に出ていたので、とても楽しみにしていました。
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●バルバドス
私が学生時代にやっていた陸上競技の強豪は、カリブ海地域の国々。
あの、100mと200mの世界記録保持者のウサイン・ボルト選手が生まれ育った国であるジャマイカもカリブ海の国。
しかし今回私は、バルバドスという国を訪れました。
この国も陸上競技は比較的強い国で、世界大会のメダリストやファイナリストを数々輩出しています。
そんな私は、バルバドスのオリンピック委員会にあるスポーツ博物館に行ってみたいと思い、ノーアポで突撃をしてみました。(多分、失礼です。申し訳ありません。)
しかし、スタッフの方々はとてもやさしく私を迎え入れてくれて博物館内をガイドしてくれました!
その時の記事はこちらになります!☟
オリンピックで獲得した本物のメダルも展示されており、私は大興奮すると同時に、スタッフの方々の温かさに感動しました。
バルバドスは観光名所がたくさんあるわけではないのですが、とてもいい雰囲気の島国でした!
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●プエルトリコ
アメリカの自治領であるプエルトリコにも滞在しました。
公用語はスペイン語ですが英語も広く話されており、私が話したほとんどの人は英語を流暢に話していました。
また、アメリカの領土なので通貨はもちろん「USドル」。
物価が高く、色々と苦しかったです。
(Uber代も高いので節約するべく1時間徒歩で移動したり、外食が高いのでスーパーのお弁当で夕飯を済ませたり、1日2食で済ませたりと、、。笑)
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ここで少しエピソードなのですが、それは最終日の夜にイタリアンレストランに行った時の話。
ウェイターとして働く、ホセさんと仲良くなりいろいろと話をしていました。プエルトリコの問題について少し話してくれました。
ホセ
「プエルトリコはアメリカの領土だから、アメリカが毎年財政を援助してくれるんだ。だけど、プエルトリコはあまり豊かではない。なぜかわかる? プエルトリコの偉い人達や政府に人間がその援助金を自身のポケットに入れてしまうんだ。これじゃあ、いつまでたっても豊かにならないよ。」
ホセ
「プエルトリコの物価はここ数年で上昇しているね。昔は1ドルでジュースやお菓子がいくつか買えたのに、今じゃペットボトルの水1本しか買えないよ。」
なるほど、日本にも増税とかいろいろな問題はあるけど、問題があるのはどの国も一緒なんやなぁ、、、。
と感じました。
ホセさんのいとこは日本で働いているようで、いつか自身も日本を旅行したいと言っていました。
次はホセが日本に来る番だね! 来るときは俺が案内するよ! と言って別れました。
そうそう、ホセさんはプエルトリコ人がクリスマスシーズンになると飲む「コキート」と呼ばれるラムベースの甘いカクテルをサービスしてくれました!優しかったなぁ~。
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そして現在 ~年の瀬~
現在は、次の旅行を計画中です。
まだ貯金が残っているので、もう何か国か回ってみようと思います。
その時の旅行記はまた別の機会に記事にしようと思います。
色々あった2024年でしたが、今年は世界をたくさん旅行した年でした。それから、新卒から従事していた営業職は自分には向いていないから、キャリアチェンジしようと決心した年でもありました。
この前、失業手当を申請しにハローワークに行ったところ、キャリアアドバイザーの人から
「まだ20代だから何にでも挑戦できるよ」
という、割と楽観的なお言葉を頂けました。
が、しかし、
私はもう20代後半なのですごく自由というわけにもいきません。
「未経験歓迎」という仕事に就くのも簡単ではないと、厳しく捉えています。
元々やっていた営業職ならまだ転職するチャンスは残されていると思いますが、今から未経験職に就くとなると、自分自身で何らかの実績を作って転職に臨む必要があります。
(なので、10月にマーケティングのインターンに参加してきました、まずは第一歩として。。。)
日本はまだまだ先進国で仕事もたくさんある国の分類ではあると思いますが、世の中そう甘くないという気持ちでこれからも進んでまいります。
最後に ~いつも記事を読んでいただきありがとうございます~
今年から始めたnoteとブログ活動ですが、未経験で始めてみたにも関わらず、多くのアクセスやイイね👍をつけて頂きありがとうございます。
友人からも、
「noteいつも見てるよ!」
「トンプソンの文章読みやすくて良いね!」
という言葉をもらいました。
ありがたいです。
私が勝手に始めて、勝手に発信して、勝手に活動しているのですが、少しでも誰かに読んでもらったり、おもろいと思ってもらえるのは非常にありがたいことです!
また、外国人パートナーと付き合い始めて早いもので2年が経過しました。
いつもお互いを刺激し合っていい関係性を築けている彼女には感謝しかありません。(あと、1人海外旅行を許してくれるのも感謝しかありません。)
来年も、皆さんのちょっとでもお役に立つ文章を発信していけたらいいなと思っているので、ご興味がありましたらお付き合い頂けますと幸いです。
ご意見、ご感想などありましたらどうぞお気軽にコメントを下さいませ。
🙇
※ブログでは旅行や海外に関することを発信していますので、こちらも是非ご覧ください!☟