ステージをあげる
プロF エネルギーアップ講座Day3
今日のキーワードは、「ステージをあげる」だった。
何か人との関係でうまくいかないことがあった時、どうするのか。めぐみさんの答えは、「自分のステージをあげる」だった。
そうすれば、自分の視野や視点が変わり、その問題のとらえ方が変わる、そうすると、その問題が小さく見えてくるので、心を痛めたり、悩んだりすることなく、対応できるばかりか、そう対応することで自分のステージもさらに上げることができる。そんなメッセージを私はもらった。
コンサルの人がしていることは、相談者のステージを上げる手伝いをすることだと言っていた点も、はっとさせられた。
問題を解決するためには、まず、相手のことを理解することが大切で、だから、相手と同じ目線に立って、相手の立場で考えて、その視点から解決策を探る。それが一番いいことだ、と理由もなく思っていた。それも「思い込み」だったのか、と気づいたからだ。
それでは問題は解決しない、とめぐみさんはいう。
たしかに、今、私には、現実に解決していない問題がある。
相手の立場に立って、共感すればするほど、動けなくなる自分がいるのだ。問題を相手と同じように抱えてそこで止まってしまう。こうしたほうがいいんじゃない?というアドバイスさえ、何も言えなくなってしまうのだ。砂漠の中の蟻地獄にひっかかったように、ずるずると相手の悩みのるつぼの中に自分も引っ張り込まれて、身動きがとれなくなってしまうのだ。そして、砂漠の中で二人で立ちすくんでしまうのだ。本当はその蟻地獄から、その人を助け出したいと思っているのに。
めぐみさんなら、それは私が相手と同じステージに立っているから、というだろう。
人への共感度が高いこと、それは悪くはないと思う。ただ、問題を解決するためには、それでは不十分なのだ。逆に動けなくなる。必要なのは、おそらく、自分のステージをあげること。でも、ステージを上げるって、どういうことなんだろう。
私の今の問題は、日本語支援に入っている、小学3年生と4年生の子供たちとの関係だ。外国から日本に連れてこられた子供たちに、放課後、日本語の支援をするのが私の仕事。だけど、子どもたちは日本語の勉強なんてやりたくない、朝から夕方まで日本語づけの授業で疲れ切っているからだ。「遊びたい」「遊ぼう」と言ってくる。
最初は、まずは関係づくりからということで、1か月半ぐらい、子どもたちがやりたい遊びをしながら、日本語のレベルを探っていった。その結果、話す・聞く力に比べて、読みや書くのが苦手そうだということがわかってきた。じゃ、どうすればいいのか、というところで今悩んでいる。
一緒の教室にいる、もう一人の指導者は、「先生」としてしっかり勉強はさせるべきだという考えをお持ちで、「プリントを何枚したら遊べる」という風に指導をされていて、小学2年生の女の子は素直に先生の指示に従って、プリントをこなしている。
だが、私の担当する、小学3年生の女の子は、そうはいかない。少しでも教科書類を机の上に出そうものなら、猛反発して逃げて「かくれんぼ」をすることになる。どうやら彼女の場合は、昨年度担当の「先生」から、毎回ドリルや作文にさせられていたようだという話も聞いていて、それが嫌だったのかとも思ったりする。また、ある日、Dixitカードで遊んでいるときに、今日の気分にぴったりの絵は?という私の問いに、彼女が選んだのは「悲しい」カードだったことで、「ああ、何か今日は学校でいやなことがあったんだなあ」と思い、また「一緒に勉強しよう」とは言えなくなっている自分にも気づいたりする。一言でいえば、動けない状態なんだと思う。
さて、この状況で「自分のステージを上げる」とはどういうことなんだろうか。考えてみたいと思う。