のぞいてみよう! 多読の世界 第12回 最終回!スタッフ座談会「支援者が本音で語る多読」
※この記事は2020年公開の過去記事です
「多読って、聞いたことはあるけど…」これから日本語教師を目指す方、現場に立つ先生方に、日本語多読をもっと知ってもらうための連載。日本語多読支援研究会メンバーで構成されたウェブマガジンスタッフが、すでに多読を行っている国内外の教育機関やボランティア教室の先生方の声をお届けし、日本語多読が持つ可能性についてみなさんと考えていきます。
第12回 最終回! スタッフ座談会「支援者が本音で語る多読」
こんにちは。日本語多読支援研究会の片山智子です。
最終回を迎え、「のぞいてみよう! 多読の世界」連載執筆スタッフの5人がオンラインで一堂に会して、これまでの多読支援の経験について本音で語り合いました。その座談会の模様をお伝えします。
以下、座談会に参加したスタッフです。
粟:みなさん、こんにちは。この連載もいよいよ最終回になりました。多くの人たちに多読を知っていただきたいという思いで始めた連載でしたが、いろいろな方への取材を通して、私たちにもたくさんの学びがありましたね。
高:そうですね。国内外の教育機関とかボランティア教室、図書館など、いろいろなところでの工夫を知ることができて、すごく刺激を受けました。
粟:私たちも、日々、悩んだり、感動したりしながら多読支援を行なっています。今日は、それぞれの体験や思いを、本音で語り合っていきましょう。これまでの連載には盛り込めなかったことも、読者のみなさんにお伝えできればと思います。
まずは、初心を思い出して、多読支援を始めたころを振り返るところから始めてみましょう。片山さん、いかがですか。
教えない授業への戸惑い
片:私は日本語教師歴はもう30年を超えるんですが、学生が楽しく自主的に学ぶような読解の授業ができないかとずっと思っていました。だから、10年ほど前に、学習者が自由に読みたい本を読んでいくというスタイルの授業があることを知って、すごく興味を持ったんです。それで、大学で実際に「多読授業」を担当することになったときは、嬉しかったです。
粟:念願がかなったんですね。
片:そうなんです。それなのに、教師は教えるものだという感覚が染みついていたんですね。いざ始めてみると「教えない」ことに罪悪感を持ってしまって…。
粟:確かに、多読授業のスタイルは、教師の指導の元で進められる授業と真逆ですよね。教えてしまうと多読の基礎とも言える授業スタイルが崩れてしまうから、「教えない」はとても重要ですね。
片:はい。それまでの読解の授業みたいに、テキストの語彙や文法を教えても意味がないということはわかっていたんですが、自由に読ませるための支援ってどうやるんだろうと、1年目はかなり迷走しました。
纐:私も、正規の授業として多読授業を受け持ってしばらくは、教えない授業への罪悪感のようなものがありましたね。でも学生からの授業評価がとても高かったんです。そして、ただ読むだけの授業なのに、学生のパフォーマンスに驚かされることがたびたびありました。多読授業をするまでには味わったことのない経験でした。
粟:教えないことへの後ろめたさや不安は、支援を始めたばかりの方がよく口にされることです。作田さんは、どうでしたか。
作:私は多読を始めたのと同時期に、ワークショップ・デザインの講座を受講して、ファシリテーターの訓練を受けていました。そこで、学習者に任せることが最高のファシリテーションだと学んだんです。ですから、教えないことへの抵抗感は、あまりありませんでした。
粟:ファシリテーターとしての知識を、多読支援にも活用できたんですね。
作:はい、とても役立っています。同僚からは「教えない授業なんて信じられない」と言われたことがありましたけど(笑)。でも、実際に、教えないで「縁の下の力持ち」的にサポートしていると、学生たちの日本語力がどんどん伸びていくのがわかるんです。
片:そうそう、機会を与えるだけで学生は伸びるんですよね。私も、授業を重ねるうちに、それを実感するようになりました。
作:自分が教えないで観察に徹しているから、なおさら、その伸びがよくわかります。それがうれしくって、いつも学生たちを盛大に褒めちぎってるんですが、お世辞ではなくて、本気で感心してます。
高:僕はそもそもが、授業ではなく課外活動として多読支援を始めたんです。ですから、いかに楽しく、授業と違う活動ができるか、というのが出発点でした。
纐:課外活動の多読だと、教師は授業という縛りから最初から解放されているんですね。
高:ええ、僕は片山さんたちとは逆に、その後で、いわゆる読解の授業を担当するようになったんです。ここの助詞はどうだとか、この設問の正解は何かなど、説明するような授業をしなくてはならなくて、「教える」授業ってちょっと窮屈だなと感じたりしました。
片:窮屈だけど、するべき内容が決まっているから、教える授業のほうが教師にとっては楽なんですよ。
高:たしかにそうですね。
作:多読は、教えないかわりに学生が自分で読みたくなるような、読ませるためのしかけ作りが必要になるから、教師に求められるものがとても大きいとも言えますよね。
纐:教える授業とは教師の役割が違うんですよね。教えないというのは学生を放っておくわけではなく、学生に寄り添ってどう支援していくかを常に考えているということだから。
作:全くその通りだと思います。
(一同 うんうんと大きくうなずく)
粟:多読をスタートしたときの状況はそれぞれ違うけれど、教師は教えない、学習者が主体だということを認識して多読を進めてきたという部分は、みなさんに共通していますね。
テストをしない
高:第1回のインタビューで、粟野さんが「支援者の4つの役割」について説明されたとき、「教えない」ことには「テストをしない」ことも含まれると言っていましたが、これも大切なことですよね。
粟:そうですね。「テストをしない」ことについてもう少し話しましょうか。
高:そもそも多読授業では、一人ひとりの読みたいものが違っていて、同じ本を読んでいないんですから、一律に同じものさしで測ることはできませんよね。
作:読んだ本について「〇ページのこの部分を正しく理解しているか」なんてチェックもしないし、学生が自己流の解釈をしていてもそのまま受け入れます。それより、たくさんの本をどんどん読んでほしいから。学生が、自分で読む経験を重ねていくことに意義があるんですよね。
片:テストは、問題に答えられるかどうかで理解を測るけど、その問題が学生の読みを誘導していて、結局、自分の力で読めているかどうかは測れていないと思うんです。それに、簡単な語彙や文法で書かれていればやさしい本かというと、そうとも言えないですよね。
作:レベル別多読用読みものは、やさしいだけじゃなくて、学生が自分の力で読んでいけるように、イラストに語らせたり、たたみかけをしたりとか、あちこち工夫されているんです。そういう本をたくさん読むうちに、読む力がついて来るんですね。
片:うんうん、そうですよね。
纐:私のクラスでも、もちろんテストはしません。出席と提出物の期限を守ったかをチェックします。提出物も、その作品の良し悪しでは点数はつけません。
片:大学のような教育機関だと、成績を出さないといけませんが、最近はテストによらない評価も重視されてきていると感じます。私は自律学習をメインにした授業も担当しているんですが、成果物をまとめたポートフォリオを期末に提出して、それを学生も自己評価をするし、教員も評価をするという形です。
粟:多読はまさに、学習者主体の自律学習ですからね。そう考えると、多読が特殊なのではなくて、これも一つの言語授業のアプローチの方法だと言えそうですね。
多読授業から他の授業へ
粟:多読を経験したことで、他の授業のやり方が変わったということがありますか?
作:前は、語彙表とか文法の説明とか、資料をたくさん作っていました。そして、授業中は、学生を一生懸命コントロールしようとしていた。今は、スライドで指示をして、ペアで話し合ってねと、学生に投げてしまうことが多くなりました。
高:学生に任せて、自分たちで学んでもらうスタイルですね。
片:多読では、教師は学生を個別に見ていますよね。私も学生が読んでいる本について、いっしょに感想を言い合ったりするんですが、他の授業でも、学生と同じ目線で話すことが多くなったような気がします。教えないで一緒に考えるんです。
粟:多読授業で、私たちがやっていることですね。
片:作文でも、間違いを指摘しないで、「ここがよくわからないんだけど、どういう意 味?」と聞きます。読み手はこう感じるよと言って、考えるチャンスを与えるんです。そうすると、次に出てきたものが、格段に良くなっている。
粟:正解を示さない、正解はないという感じがいいですね。まさに多読的ですね。
記憶に残る学生たち
粟:先ほど纐纈さんが、学生のパフォーマンスに驚かされたと言っていましたが、次はこれまでの多読授業の中で出会った、印象的な学生について聞かせてください。
学生あれこれ① 読んでいないようで、実は読んでいる学生
纐:日本語入門クラスのあと、多読クラスを取った学生がいたんです。入門では遅刻も多く、3カ月で自己紹介と少しの動詞が言えるようになっただけでした。その学生が多読クラスに来たことが、まず驚きだったんですが、毎回、実につまらなそうに、レベル0(入門レベル)の本をぺらぺらとめくっていて…。
粟:へえ。でも、出席はしていたんですね。
纐:毎回、きちんと出席していました。でも、私とのやりとりもほとんどなかったので、ひらがなもちゃんと読めていないんじゃないかとちょっと心配していました。そして、期末のプロジェクトが始まったら…、なんと、挿絵付きのオリジナル絵本を作ってきたんです。ストーリーには繰り返しがうまく使われていて、会話の部分はカギ括弧をつけて、XXは「・・・・・」と言いました、とか書いてある。明らかに、多読の本から学んだことです。その時、私は今までこの学生の何を見ていたんだろうと思いました。
片:学生の中に、読んだことが蓄積されていたんですね。それは感動しますね。
作:私のクラスにも、いつも机にダラーっとして、何も読んでいないように見える学生がいました。「私に関わらないでオーラ」がすごいので声かけもできず、あまり干渉しないようにしていました。でも、毎回ちゃんと出席してくるし、ブックトークを聞いていると、ちゃんと読んでいるんですよ。
高:読んでいる様子を観察しているだけで、わかることもありますよね。眼がリズミカルに動いているとか、表情が変わっていくので、今、本の世界に入っているなというのが、感じられるんです。
片:イヤホンで音楽を聞きながら読んでいる学生とか、普通の授業だと「遊んでいるの?」と思われちゃいますが、多読では、そうやって自分のスタイルで読む人も多いですよね。
学生あれこれ② ストレスフリーが学生を変える?
粟:いつもは寝ているのに、多読授業になると、むくっと起きて読みだす学生もいますよね。
高:僕はあえて最初の授業で、「眠いときは休みながら読んでもいいですよ」と言うんですが、そうすると、みんな寝ない(笑)。友達同士で、本について話しはじめたりするんです。リラックスできると、集中して読むこともできるみたいです。
片:私のクラスは、他大学からの交換留学生も多いんですが、2年ぐらい前のクラスで、送り出し校から「グループワークはできません」、「教室の真ん中は緊張するので、窓際の席に座らせて」という申し送りが来た学生がいました。
作:特別な配慮が必要な学生ですね。
片:そうです。でも、その人は、いつも教室の真ん中に座って、隣の学生といっしょに本を読んでいました。お気に入りの本を紹介する活動で、指名せずに飛ばそうとしたら、すっと立ちあがって「私が好きな本は…」と話しだした。あの申し送りは、この学生のことじゃなかったのかなと思うぐらい、生き生きと授業に参加していました。
纐:先ほどの私のクラスの学生ですが、たぶん、普通のクラスの筆記テストだったら一つも答えられないような学生だったんです。でも、彼女には、ストーリーを生み出す創造性があって、それを読み手に伝わる構成と日本語で表現することができたんです。試験では測れないものが開花したんだと思いました。
高:日本語のレベルや学習能力、そして好みも違う学生がいても、一斉授業には向かない学生でも、多読クラスなら大丈夫だと感じることは多いですね。
片:多くの学生が、期末のアンケートに、「このクラスの一番いいところはストレスフリーであることだ」と書いてきます。
粟:テストで能力を測るようなことをしない、リラックスできて、自由度が高いクラスだからこそ、一人ひとりの個性や可能性も伸びるんですね。
学生あれこれ③ いろいろな読み方ができる
作:あとは、中級レベルの学生だったんですが、やさしいレベルから読むというルールを守って、レベル順に制覇していくタイプの人もいました。
粟:その学生、もしかして「きちんと病」でした?
作:あ、確かに「きちんと病」の学生もいましたね。でも、この人はレベル0からすごく楽しそうに読んでいたんです。中上級の学生には、やさしいレベルの本を読むのは絶対に嫌だという学生も多いんですよ。
片:本のレベルと本の内容は別物だから、内容を楽しんで読むことを知っている学生は、レベルが低いなんてことは、気にしないんですよね。
作:そうそう、そういうタイプの人でした。
粟:ああ、そうだったんですね。逆に、おもしろさを無視して、ただレベルに従って読んでいるだけという人もいるでしょう? そういう「きちんと病」は要チェックです。
片:あと、実力以上の本が読めてしまう学生も現れますね。カナダから来ていた初級後半の学生に、びっくりさせられたことがありました。最初のうちは、レベル別の多読用読みもののレベル0と1を読んでいて、6週目にレベル2の物語を初めて読んだときに、ちょっと難しいと言っていたんです。
粟:レベル2は、初級後半ということになっていますよね。
片:そう、ここまではよくある流れです。そのあと文字があまりない『チーズスイートホーム』(講談社)というマンガを2週間かけて読んでいたんですが、なんとなんと、9週目にレベル4(中級レベル)の『赤毛クラブ』(「にほんご多読ブックス」大修館書店)を読破しちゃったんです。
高:シャーロック・ホームズですね。あれは、1万字以上あったんじゃ…。
片:そうです。その時は、本人も私も驚いてしまって…。話してみると、全体の筋もちゃんとわかっていて、本を見せながら、おもしろかった場面について説明してくれました。日本語はたどたどしいのですが、楽しんで読んだ様子が伝わってきました。
纐:わからない言葉があっても辞書を使わずに読んでいるから、上手に飛ばしたり推測したりできるようになるんでしょうね。
作:ええ、やさしいレベルの本を読むのに苦労している人が、難しい本を楽しんでいたりするんです。それって多読の不思議ですよね。好きな本を自分で選ぶことが大切なんだと思います。
片:この学生は、その後は、レベル0からレベル3を行ったり来たりしていました。『赤毛クラブ』にチャレンジしたのも、難しい本が読みたかったからじゃないんです。おもしろそうだから読んでみたんですね。
粟:英語多読では、おもしろい表現があるみたいですよ。パンダ読みとか、キリン読みとか。
片:難しい本が読めるようになっても、ときどきやさしいものを読んだりするのが、パンダ読みですよね? キリン読みっていうのは?
粟:背伸びをして、高いところの葉っぱを少し。いろいろな読み方があっていいんだと思います。
学生あれこれ④ 多読授業が好きになれない学生もいる?
作:さっきも話しましたが、中上級だと、自分のレベル以下の本は絶対に読まないという学生もいます。結局、学期の初めと終わりであまり伸びなかったなあ、と感じるんですが。
片:最初の授業で「やさしい本しか読まないから、何も勉強できませんでした。」という感想を書いてきて、そのまま履修登録をやめてしまう学生もいます。これから楽しくなっていくのに、私の導入がよくなかったのかなと悩んだこともあります。
粟:他のクラスでは優等生なのに、多読クラスではうまくいかない学生もいますね。真面目なんだけど、全て説明がつかないと進めないんです。母語で読んだマンガ、『スラムダンク』(集英社)だったんですが、例えば「〇〇じゃねえや」というセリフが出てくると、「この終助詞の意味は?」とか「これは何の縮約形?」といちいち聞いて来る。結局5ページも読めなくて。殻を破れずに終わってしまいました。
高:それだと、本人もつまらなかったでしょうね。でも、多読のルールを受け入れて、楽しくたくさん読むというスタイルに慣れるのに、時間がかかる学習者がいるのも事実ですよね。
粟:たしかにそうですね。だからこそ、時間をかけて支援者は学習者一人ひとりに向き合い、読みものを通じて対話を続けていく必要があるんだと思っています。
高:そういえば、セルビアで、ずっと精読的に読むことから離れられなくて、多読的な読み方に慣れない学生がいたんです。いろいろアドバイスしてみても、本人は納得がいかない様子でした。それが、ある日、多読の読み方はこれまでとは全く別物なんだ、と気づいたんだそうです。そうしたら、たくさん楽しく読むという読み方も自然に受け入れられるようになったと言っていました。自分の中で読み方の使い分けができるようになったようでした。
纐:学生が自分で腑に落ちるまで待つというのが大事なんですね。
片:本当にそうですよね。知識を増やして、知識を問われる試験でいい点が取ることが大切だという考え方もありますから、そういう学習スタイルを望んでいる学生を無理やり変えようとしても、うまくいかないんです。どんな授業でも、100%の学生が満足しているなんて、ありえないですよね?
高:「多読は誰にでも効く万能薬だ」というとらえかたをしてしまうと危険だと思います。いい方法なんだからこれをやりなさいと声高に言いすぎると、それは押し付けになってしまいます。
作:ええ。それに、学生に多読の良さをわかってもらえないと悩む先生もいらっしゃいますが、短い授業期間中ではうまく伝わらない場合もあると思います。
粟:そうですよね。支援者には、「多読の読み方は母語を身につけてきたときの読み方だから、実は自然で楽だし、楽しいんだ」ということを学習者にわかってもらう努力をしてほしいけれど、伝わらないからと言って、あまり思いつめることもないと思いますね。そこは気長に…。
片:ちょっとずれますが、学生だけではなく、所属している機関が多読授業を認めてくれないという悩みも聞きます。教えない授業ならする必要がないだろうとか、どのぐらいで良い結果が出せるのかはっきり示せとか。
作:多読はじわじわ効いてくる漢方のようだと言った支援者の方がいました。文法や漢字の勉強みたいに、いくつ覚えたとかテストの点が上がったというような、目に見える結果がすぐに出てくる特効薬ではないんですよね。多読の効果は、見えにくいんです。
粟:多読の意義や効果を、学生にも所属機関にもうまく伝えられるように工夫していきたいですね。
片:はい、多読を支援する私達の課題でもありますね。
多読は読むだけじゃない -「多聴・多観」で楽しくインプットを増やす-
粟:多読を提唱してきて、20年近く経ちますが、最近は、多読の「読」だけにこだわらずに多聴も多観も同様に大切だと思うようになりました。「音」のインプットは言語学習の基本ですから学習者にも勧めています。活字嫌いの人には特に。
皆さん、多聴や多観についての意見を聞かせてください。
高:以前持っていたクラスは、多読という名前ではなく、読むことと聞くことを行うというコンセプトの授業だったんです。それで「聞く」の時間もあるのですが、教科書でリスニングで文法を学ぶのと、多読のサイトで音声を聞きながら読む聞き読みをするのと、好きな方を選ぶようにしたら、10人中、文法のリスニングをしたのは一人で、9人は聞き読みを選びました。
粟:自分で選べるというのはいいですね。
高:はい、そうなんです。でも、文法を選んだ学生も、ずっと聞いていると集中力が続かないようなので、日本語の動画のクリップを探して見てみようかと言ってみたんです。そうしたら、カメの動画を見まくって。
一同:カメ?
高:タートルの亀です。亀が大好きだったんです。あとは犬の動画とか。動画投稿サイトで見つけてくるんですよ。日本語でテロップもついてますし、投稿者が話しているのを聞きながら動画を見ている。今でも覚えているのは、月島の大きなカメの動画を見てニコニコしていたときのことです。あんな笑顔、はじめて見ました。
纐:それは、おもしろすぎる! その学生さんは、そこで「多観」の楽しさを知ったんですね。
高:あとは、課外活動が入っていた日に、みんな学校に戻っては来たけどヘトヘトで、「本を読むのは無理!」と言うんです。それで、好きな日本語の動画を探す時間にしたら、それぞれCMとか歌とか、いろんなものを見ていました。僕から見たら、すごく昔の歌なんだけど、そういうのにハマる学生も多いんです。
粟:結局、10人とも多聴多観を楽しんだわけですね!
片:先ほどお話した自律学習のクラスでのことなんですが、ドラマを見ることにした学生がいました。ある時、振り返りシートに「おもしろくて途中でやめられなかったので、語彙表が作れなかった」と書いていたんです。「それでいいと思います」とコメントしたんですけど。
粟:ドラマを見て語彙表を作るのが勉強だと思っていたんですね。
片:はい。でも、おもしろくて内容に集中しはじめたら、やめられなくなっちゃった。その学生を見て、「読む」よりも「観る」ことのほうが、止まらずに全体をつかむ力が自然につくのではと、感じました。ボリュームがあるものに耐えられる体力がつくというか。
高:実は「多聴・多観」のリソースって本当にたくさんあるんですよね。さっきも少し話しましたが、CMみたいに短いもので繰り返しインプットがあるというのも、とてもいいと思います。
纐:海外だと、本当に日本語のインプットが少ないんですよ。読むことも、聞くことも。それで、1週間の休みがあった時に、日本語の動画を探すという課題を出してみました。初級から上級まで70人以上の学生がいたんですが、ありとあらゆるものを選んできました。先ほど話が出たカメ好きの学生みたいに、生き物系とか。あとは、旅行とか、食べ物とか、ドラマとか。
作:日本でも、インプットが少ないのは同じですよ。学校の外でも、学生同士のコミュニティがあって、日本語を全然使わない生活をしている人も多いみたい。それでも、バラエティー系のお笑いなどがが好きな学生なんかは、人気投稿者の動画をよく見ていたりしますね。
粟:生活の中で自分でいろいろ見ている人と、教科書以外の日本語に触れたことがないという人がいる。実は後者も多いのでは? 留学生は学校の課題も大変だし、バイトもあるし。
作:そういうインプットの量の差が、話したり書いたりするアウトプットの差になっていくんですよね。実は教師がインプットの重要性をわかっていない気がします。
粟:今年は、コロナ禍の中でオンライン授業になった学校も多くて、多読授業で紙の本を提供できないという悩みが寄せられました。いろいろな先生が試行錯誤の中、「多聴・多観」も取り上げるようになったようです。多読の世界を広げることにつながったかもしれませんね。
多読の可能性
粟:ここまで「多読」の世界が「多聴・多観」に広がった話をしましたが、次は、さらに進んで「多読授業が持つ可能性」について、みなさんの思いを語ってください。
インプットが溜まると、アウトプットしたくなる
作:多読をしていると、何かを生み出したくなってくるみたいですね。
纐:そうなんです。うちの大学では、期末プロジェクトに、どうしてそこまで労力をかけるのだろうかと不思議になるような大作が、毎回提出されます。インプットが溜まると、自然とアウトプットがしたくなるんですね。
片:私は学期の後半で、好きな本の登場人物の日記を書くという課題を出します。提出されたものを見ると、読みがいかに能動的な活動なのかがわかります。おもしろいんですよ。例えば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』(「レベル別日本語多読ライブラリー レベル3」アスク出版)を同じように選んでも、学生によって全く違った日記が出てくる。
高:おもしろそう!
片:ある学生の「カンダタの日記」では、カンダタは悪党のままで、極楽でどんな悪いことをしようかと妄想しながら蜘蛛の糸を上って行くんです。そして、糸が切れて「釈迦の馬鹿野郎~」と叫びながら落ちていくところで終わり。他の学生は、カンダタが踏み殺さずに助けた蜘蛛が極楽にいて、お釈迦様がカンダタに下ろしてやったのは、その蜘蛛の糸だったというところから始まる「蜘蛛の日記」を書いてきました。
纐:そんな蜘蛛つながりがあったとは、気がつかなかった。
片:チョイ役の登場人物を選んで、本には書かれていない心の動きを描いたり、物語の後日談で結末がひとひねりされていたりと、毎回、どんな日記が読めるだろうかと、楽しみなんです。
高:作文を書かされるのではなく、何かを書きたい、作りたいという気持ちになってきたときに、その機会を与えられたというのが、ミソなのでしょうね。
粟:作品を作るまではいかなくても、自分が読んだ本のことを伝えたくて、つたない日本語でもいろいろ表現しようする学生さんもいますよね。その姿を見ていると、ストレスフリーのところで本を読んでいるから、日本語と戯れるのが楽しいという気持ちが生まれているのだろうと感じます。
場の力、コミュニティを作る
高:多読クラスの可能性として見逃せないのは、そこに「場の力」があることだと、僕は思っています。
纐:同じ場にいる学生同士が作用し合うってことですね。
作:私は、学生の好みに合うような本を紹介するようにしているんですが、いくら頑張って探してきても、見向きもされないことがよくあります。なのに、クラスメートがブックトークで紹介した本には、すごく興味を示します。
片:先生だと与えられた情報に感じるけれど、学習者同士だと共感が生まれるんですね。私のクラスでよく起きるのは、一人の学生が「この本はおもしろい!」と言うと、それまで何年も誰も読まなかった本をみんなが次々に読み始めて、一番人気になるという現象です。
高:多読クラスの学生が教室外でコミュニティを作っていくのを目の当たりにすることも多いです。クラスでブックトークをした学生が、寮でもいっしょに行動するようになり、そこから多読をする仲間が広がっていくんです。副次的なことかもしれませんが、そういうふうにコミュニティが作られていく様子をずっと見てきました。
粟:読解の授業では、授業中に活動をしても、そこから親しくなっていくということは起こらないんですか。
高:なかなか起こらないと思います。教室外の相互交流までいかないみたいなんです。
片:学生同士が、同じ教材を協力して読むというピアリーディング活動は、読解クラスでもあるにはあるんですけれど…。
作:それとの大きな違いは、多読では学生が自分が読みたいものを読んで、それについて話すというところだと思います。
粟:なるほど。そこに学生の素が出る、お互いの人間性が見えてくるということでしょうか。
纐:これも、この連載の第9回でご紹介しましたが、多読クラスを受講していた学生たちが自発的に新しい活動を始めたんです。学生たちが授業を立ち上げて、会話テーブルや料理イベントを運営したり。今まさに、コミュニティが広がっているところです。
片:個人個人が自由に好きなものを読む授業からコミュニティが生まれるというのは、不思議なことのようだけれど、学習者主体の授業だからこその結果なのでしょうね。
纐:そうなんです。多読は、創造性、自律性、自発性を生むんだと思います。
(一同 うなずく)
多読の魅力をひとことで
粟:あっという間に時間が過ぎてしまいましたね。では、ひとりずつ、多読授業の魅力をひとことで表現して、終わりにしましょうか。
片:学生一人ひとりの顔がよく見える授業。
高:多読は、学生だけではなくて、教師が楽しい。
纐:そして、教師を変える授業。
作:学生も教師もストレスフリー。だから、大変な準備も全然苦にならない。
一同:そうです!「楽しい大変さ」なんです!
粟:なるほど。今日はみなさん、ありがとうございました。
連載を終えて
12回にわたる「のぞいてみよう! 多読の世界」の連載は、今回が最終回です。
約1年にわたりお読みいただき、どうもありがとうございました。
国内外で行われている日本語多読の最新事情や、多読が持つさまざまな可能性についてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
多読に少しでも興味を持っていただけたなら、とてもうれしく思います。
初めてこの連載をお読みいただいた方、多読についてもっと知りたい方は、第1回からぜひご覧ください!
さて、現在、連載を開始した2019年10月には想像もつかない事態に直面しており、日本語教育の現場のあり方も変わりつつあります。
本連載第1回の書き出しにも書いたとおり、多読には言語はもちろんのこと、自律性や創造性などのような、言語を超えた大切なものを育む力があるのではないかと考えています。ポストコロナの時代において、ますますこのような力の育成が必要とされていくのではないでしょうか。
最後に、本連載では支援者の声を多く取り上げました。取材やインタビューを快く引き受けてくださった皆々様のおかげで、記事が本当に豊かなものになりました。この場を借りて、感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
そして、ウェブマガジン公開に携わったアスク出版の皆様に、感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
最後に
新型コロナウィルス感染拡大の影響で、学校や図書館が休みになったり、オンライン授業になって、多読の素材に困っている先生や学習者のみなさんがいらっしゃると思います。
そこで、この機会に多読や多聴多観ができるWebサイトをご紹介します。どうぞご活用ください。
・NPO多言語多読「にほんごたどく 特設サイト」の無料の読みものhttps://tadoku.org/japanese/free-books/
取材・編集:日本語多読支援研究会
日本語多読支援研究会は、NPO多言語多読の中のグループです。NPO多言語多読の会員の中で、特に日本語多読の研究普及を目指すメンバーで構成されています。
※この連載は、JSPS科研費 20K13084の助成を受けています。
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