くり返して身に付く風習、伝統芸能
今年も、初回の授業はどの生徒さんたちにもお正月の話をした。
年神さまが来ること、干支の話、餅つき、大掃除、年越しそば、挨拶、年賀状、おせち料理、正月の遊び・・・
対象によって、ボリュームはそれぞれ違ったものの、おおよそ同じようなラインナップだ。
語学を学ぶということは、言葉だけに留まらず、文化風習を学ぶことだと思う。
だから、機会があれば、なるべく日本の風習も知らせている。
中でも正月は日本独特の文化でもあるし、ちょうどドイツにおけるクリスマスと対をなすので、大学の授業でも1コマ(45分)は使う。
にほんごクラブでは、加えて干支の話と、正月遊びを色々したので、90分丸々使った。
実は去年もほとんど同じ話をしているんだけど、1回聞いたくらいじゃ覚えられないからね!
決して準備をさぼったわけじゃないよ。
ピューピュー←ごまかしの口笛
簡易版ふくわらい。
目鼻のない輪郭だけの顔を色々用意しておいて、目を瞑って、描いてもらった。
一応勉強も兼ねて「右、左、上、下」の言葉を覚え、描く人を誘導してもらった。
誘導したおかげで、みんな上手!
失敗!みたいのがなかったけど、まあ、それなりに笑えた、かな・・・
我が家でも簡易ながら、年中行事は行っている。
正月に始まり、節分、ひな祭り、子どもの日、七夕・・・
こういう行事はやっぱり毎年繰り返して行うことで、記憶に残っていく、理解していくのだと思う。
おせち料理が色々なダジャレみたいになっているのも、それを口に出していうことが「言霊」につながっていくのだという。
私が毎年子どもたちの皿に
「はい、腰が曲がるまで長生きできますように、海老ちゃん、それから、まめに暮らせるように黒豆、喜ぶことがあるように、昆布巻き・・・」
などとよそってやっていたので、随分大きくなった今でも、
「お母さんがよそって」
という。
口上(?)を聞くことも、おせち料理に含まれているのだろう。
正月の晴れ着と夏の浴衣、それからそれぞれの七五三は着物を着せたり、着たりしていた。
去年の正月はもう次女は「着たくない」とリタイア。
私と長女だけが着た。
長女は日本文化とか着物が好きで、そんなものもあって、昨年の春に日本舞踊の教室の扉をたたいたのだった。
普段の練習は浴衣だったので、8か月たって、まさか振袖まで上手に着られるようになるとは思わなかった。
3月の先生の公演にちょっと出させてもらうのだけど、その曲が「祇園小唄」という舞妓さんを歌ったものなので、振袖にだらりの帯(これは先生のを拝借)を着ることにしたのだ。
袖が長いと感じが違うからと、12月に入ってから、振袖で練習を始めた。
3月の補習校卒業式は袴で出るつもりで、昨年の一時帰国のときに購入しておいた。
袴の着付けも冬休みに一人で練習しており、なんとか様になってきたようだ。
私も卒業式は着物を着ようかなあと思うけど、お太鼓が得意じゃないので、長女に結んでもらおうか。
日本舞踊では、日本らしいしきたりもあるし、先生も姉弟子もフレンドリーな人ばかりだけれど、これはいい機会と接し方を長女に教えている。
先日の踊り初めも、「早く帰ろう」と言われたけれど、あまり早く帰るのも失礼だし、先に帰ると片付けを手伝えないし・・・などと説いている。
率直さが通常運行のドイツからしてみたら、なかなか難しい世界だ。
日本にいたら、決して長女も着物を着たい、日本舞踊をやりたい、とは言わなかっただろう。
日本じゃないからこそ、その伝統にひかれるのだろうと思う。
長女のおかげで私も華やかな様子に携われて、うれしい。
日本の伝統の芸能の一端の、その糸の端っこくらいは担えるようになるだろうか。
芸事にしても、本当に基本の繰り返しだ。
日本の芸能ではないけど、次女のバレエはお姉さんクラスになればなるほど基礎となるバーレッスンの時間が長くなる。
確固とした礎の上にだけ、積み上げていけるのだろう。
何ごとも一つずつ、一歩ずつ、丁寧に。
さて、次の行事は節分だ。
立春を過ぎたら、お雛様を出さなくっちゃ。