最近、世の中は「はやい>ただしい」が正しい。かっこよくいうと、拙速!
例えば計算。
428円のものを3個買ったらいくらか。
すぐに暗算できる人もいるだろうけど、時間がかかったり、「筆算しないと分からない」とか、「計算機使っていい?」っていう人も多いだろう。
でも、「しさん12だから、1200円より多い。1300円でお釣りが来る」という考え方でよければ、それなりに早く答えは出せる。
もちろんお店の人が、
「えーっと、1500円出されたらから、お釣りは大体200円ですね」
っていうのは困る。
だから、シチュエーションに応じて正確さも大切だ。
でも、「正しくなくていい」ではなく、「多少間違ってもいいからはやい方がいい」という考え方もあるよね、という話。
最近はソフトウェアやアプリなどは、未完成のものでもベータ版と称して出してしまうことが多くなったそうだ。
全てのエラーやバグを探して、修正して、またテストして、としているうちに、時代は確実に過ぎ去り、完全版が出来上がるころには無用の長物になっているかもしれないから、ということだった。
この話を聞いたとき、「私の時代キタ!」と思ったw
私はいろんなことをさっさとできるけど、100パーセントの正確さには自信がないw
いわゆる拙速タイプ。
このnoteだって、書くのは早いけど、出してから読み直して文字を修正するのは、もはやデフォルト。
でも、一字一句間違えないように時間をかけてチェックして、一晩眠らせてからもう一度見直して、みたいな書き方をする媒体ではないんだから、出すことが大事だと思う。
お医者さんとか、拙速じゃない方がいい仕事もあるだろう。
「あ、切っちゃったけど、ここじゃなかった!」みたいのは困る。
そこは巧遅でいい。
でも、あれかなあ、これかなあって考えているうちに、病気は進行してしまいましたというのも困る。
まあ、要はバランスだ。
語学に関していえば、特に「話す」こと、「コミュニケーション」について言えば、もちろん「B」が望ましいけれど、D(巧遅)よりは断然A(拙速)がいい。
間違ってもいいからどんどん話すべきだ。
正しい単語を脳内サーチしている間に、話題は次へと移ってしまう。
母語だったら、
「ほら、あれなんだっけ、丸くて赤いやつ。」
みたいに、会話の途中で語彙を話している相手に聞くことだってあるんだから、外国語でだって訊けばいい。
私は学生にも「ほら、あれなんだっけ?」とよく聞いている。
「ドイツ語は私の母語じゃないんだから、あなたたちががんばって分かりなさいよ!」というのが今の私のスタンス!
来たばかりのときは、「ドイツ語できなくて、ごめんなさい」って思ってたけどね。
むしろ訊くことを前提で、フレーズを勉強しておけばいい。
私は結構学習のはじめの方に
「もう一度/ゆっくり言ってください」
「〇〇は△△語で何ですか」
のフレーズを教える。
私が話している日本語の言葉が分からないときに、「ドイツ語で何ですか」と訊けばいいし、自分が日本語で話したいけど、言葉が分からないときはそれに相当する日本語を聞けばいい。
「英語で何ですか」と訊けば、日本旅行で分からない言葉も分かるかもしれない。
今どきみなさん外国でもスマートフォンを駆使して、その場で言葉を調べるのかもしれないけど、会話の間にこれをやられると、相手は置いてけぼりになる。
若い人はそれが普通なのかもしれないけど、私はこの待たされる間が嫌い。
語学でなくとも「あの場所なんだっけ」みたいので、調べる人がいる。
そこが待ち合わせ場所で、どうしてもその場で必要ならしょうがないけど、そうじゃないなら、ただの自己満足でしょ。
あとでやってくれ。
でも、「ほら、この間〇〇さんと行ったじゃない、駅の近くのさ、△△を食べたところで」とかってハナシがつながっていくなら、それは引き続きコミュニケーションだ。
ちょっと語彙が増えてきたところで、「丸くて、赤くて、甘い果物は?」みたいなクイズの授業をすることがあるけど、そういう描写はすごくいい練習になるかも。
今までは、名詞しかやってなかったけど、動詞とかでもいいのかもね。
類語を使ったり、比べたりして、
「ジョギングみたいな、歩くより速くて、英語だとランニングの動詞は何?」みたいのもありかも。
語学試験を予定しているなど、絶対的な正しさが必要なこともあるけど、それだって完璧な語彙千語より、おおよそ分かる二千語のが価値があるんじゃないだろうか。
日本人は学習において正しさを求めがちだから、特に「はやさ>正しさ」を意識して学んだ方がいいかもしれない。
ドイツ人が好んでいうところの「Besser als (gar) Nichts」(better than nothing (at all))「ないより(全然)まし」ってやつだね。
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