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【今日のセミナー】トランスランゲージングとスキャフォールディングなど。カタカナがいやな件

今日のセミナーは継承語系で、テーマは「トランスランゲージング」でした。


トランスランゲージングとはなんぞや

ごく簡単にいうと、要はバイリンガルの子とかがごくふつーにやってる言葉のまぜこぜ。
例えば、今朝の我が家の姉妹の会話。

妹「Gestern hatten wir ein 国語テスト」(昨日Kokugotesutoがあったんだ)
姉「Und? War es 難しかった?」(で? それはMuzukashikatta?)

私が教えていた補習校では、校内でドイツ語(外国語)禁止で、日本語を使いましょうということになっていた。
バイリンガル系の書籍などでも、混ぜるなと書いてあることが多いと思う。
私も、二人がそうやって話しているのは止めないけど、私にそう話しかけたら、「混ぜないで、ちゃんと話しなさいよ」と言い直させる。

なぜダメかというと、そこでその言語で言葉を探す努力を放棄しているからだと私は思う。
放棄すると、思い出さないまま、きっと次回も同じような言い方になるだろう。

外国語学習で例えると、「次の例文を訳しなさい」というとき、知らないから、思い出せないからと言って、1つのないし複数の語を原語のままにしておくことと同じだ。

私がまだ受験生だった30年以上前に、駿台の英語の大島先生は、
「訳の練習は必ず文を書きなさい!」
と教えてくれた。頭の中だけでやろうとすると、
「toかなforかな、まあそんな感じで『彼はああでこうで』だね」
と思い、解答を見て、「ほら、合ってた!」と思うのが人間だ、と。
きちんと書いていれば、toて書いちゃったけど、forが正解か!と気づきがある。
本当にその通りだと思し、私は継承語学習でもそれは同じだと思う。

ただ、このトランスランゲージングでは、手段は何でもいいから伝えようとしたというということを評価しよう、ということらしい。

元はウェールズの先生が考えたやり方で、あえてそれを授業に取り込み、例えばウェールズ語でテキストを読んで、英語でディスカッションをする、次のときは、英語で音声を聞いて、ウェールズ語で書きとる、のように能動的に使う、と。


バイリンガルの子のごちゃまぜ語から、上述の授業のうに二言語を使いこなすまでを埋めるものは何か。
ごちゃまぜ語のレベルのまま、日本語の文を読んで、現地語に訳せるか。
まあ、訳せるかもしれない。
通常、使用語彙より理解語彙の方が断然多いから。
じゃあ、反対はどうか。現地語を聞いて、日本語で書きと取れるか。
大なり小なり不足する言葉が出てくるだろう。
そのとき、教師や周囲が助けていいのか。

この手助けについては、そのあとワークショップでやったスキャフォールディングとピアラーニングが参考になる。


ピアラーニング(協働)とは何ぞや

ピアはPeerで仲間という意味だそう。
ピアリーディングは読むこと、ピアレスポンスは書いたものを互いに講評すること。
今、日本の英語学習でもアクティブラーニングの手法の1つとして、注目されているっぽい。

でもさ、それ今まで通りペアワークとかグループワークって言っちゃダメなのと思う。
アカデミックな人たちって、今まであった活動に概念として名前つけるの好きだよね。
そんで、日本人ってカタカナ言葉好きだよね。
別に名前なんてどうでもよくて、「グループ活動」とか「隣の人とやりましょう」みたいなの、今までだってあったでしょ。
どうしても新しい違う言葉がいいなら、「協働」という言葉じゃダメですか。
この方が、イメージがしやすくはないですか?
ピアって言われて、「ああ仲間ね!」ってみんな分かるの?
私はペア(Pair)? 船着き場(Pier)? 梨(Pear)?って思いました。


スキャフォールディング(足場がけ)とは何ぞや

はい、そんでこちらも初めて聞いた言葉でした。
Scaffold、日本語では「足場」だそうです。
建築現場で見かけるアレです。
中国とかだと、まだ竹とかで高層ビル作ってる、アレです。

これは、子どもが宿題をしてて、
「お母さん、1+1ってなに?」
といったとき、「2だよ」と教えるのではなく、ものを2つ見せて、「1つと1つで、あわせて・・・?」のようなヒントを与えること。

「辞書をひきなさい」とか、「その前の文を読んでみたら?」とか、「主人公はどんな人だったっけ?」というようなヒントもありえるだろう。

私は普段から、子どもたちが身に付けるべきなのは、言語より中身だと思っている。
中身は知識であり、考え方であり、経験であり・・・

将来、150色の絵の具セットを買える財力を持つより、赤青黄色と白の4色で、好きな色を作れる組み合わせを知っている知識、試そうと思う勇気を持てるようになってほしい。

授業でも、「読解で分からない言葉があったとき、辞書をひかないとその先が理解できない言葉なのかどうかをまず判断せよ」と言っている。
文脈から地名だな、と見当がつけられるなら、とりあえず無視すればいい。
部首で、なんか金属かな、と思って読み進めるんでもいい。

夫もそういうタイプで、子どもたちが知らない言葉を尋ねたときに、すぐ答えを言わず、語頭や語中にある部分から推測させようとする。

その行為に名前がなかったとしても、日頃からやってきていることだった。


漢字、和語を大切にすればいいのに

講演自体は興味深かったし、ワークショップも実りあるものでした。
ただ、語彙がハア・・・って思ったという感想です。
ちなみに、ピアラーニングも、スキャフォールディングでも日本語教育能力試験の出題範囲の模様!
避けてとおれねーw

もちろん、私たちは日々言語活動をしています。
自分の行為や気持ちを言語化しています。

陰陽師シリーズ、安倍晴明いうところの「呪」ですよ。
「このドキドキした気持ちはなに?」「それが恋だよ」みたいなもんですよ。

だから、今まであった事象に新しい名前をつけるのはまあいいとしても、せめてもっと分かりやすい訳語を考えてほしい。
日本語教育能力試験で出てくるカタカナ語は、どれも一般人が??って思うもんばっかだよ。

言葉の教育に携わっているのだから、その言語で一番伝わりやすいものを考える労力を惜しまないでほしいと思います。


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