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「意味のないこと、いいかもね…」鬱状態の友人が言ったから、フランスの「”何もしない”をするアトリエ」を私は思い出した。

1. 鬱状態でも何かを「したい」

最近、友人が心身の調子を崩したんです。いわゆる鬱状態とのこと。

エネルギーダウンしている時に、現状打破しようとして動くと、ガソリンが少なくなっている状況にますます拍車をかけて、本格的にエンストになってしまう。

だから、ゆっくりメンテナンスして、ガソリンも入れて、動けるようになってから動くのもいい。

色々話した中で、友人が一番興味を持ったのが、この話題。

私「最近、本当に誰が見るんだ?というニーズのないYoutube始めたよ」

友人「えーyoutubeとか、イメージからかなり遠いコンテンツなんだけど!?笑」

私「仕事が減って、空いた時間で、今までだったら絶対やらなかったことやってみようと思って。ひたすら墨をする動画、とか、ひたすら膠を溶かす動画、とかやるんだ。マニアックなアホらしさを追求する。いひひ。」

友人「あー。でもそういう余分なこと、意味のないこと、いいかもね…」

鬱状態でも、人は何かを「したい」と思う場合がある。

私の友人も、元来パワフルで、常人ならぬ働きをする人だからか、休む事に罪悪感があって、はやく何らかの行動せねばと焦っているようでした。


2. 「何もしない」をするアトリエ

”「何もしない」をする、「何かをする」ということをしない”
それが「L’Atelier du Non-Faire」(アトリエ・ノン・フェール)の名前の由来。

フランスパリ市内の精神科病院メゾン・ブランシェ内にある「アトリエ・ノン・フェール」を始めたのは、ある一人の看護師、クリスティアン・サバスさん。

彼は移民系フランス人。彼は、その当時の病院の医療スタイルに疑問を持ち、1983年にアトリエを提案したのです。

これはアトリエの作品展の様子。音楽、絵画、造形、どんな表現もある。

そして重要なのは、アトリエ・ノン・フェールでは、「何もしない」ことの重要性を認められているって事。

一般では、経済的・知識的に「生産的」な状態じゃないと、その人は「何もしていない」という事になってしまう。

でも、本当にそうだろうか?
子どもを見れていると、そんなことはないとすぐに分かるはず。

本棚の本を出して、親がしまったら、また出す。
お気に入りのぬいぐるみの鼻をガジガジかじる。

そういう無意味の繰り返しに見えることが、全て学びになっている。大人目線で無意味に見える「だけ」なのだ。

「アトリエ・ノン・フェール」では、大人であっても、無意味、大歓迎。
ひたすら同じような色を塗りつける「だけ」、
ひたすら音楽にもならないようなドラムを叩き続ける「だけ」。

サバスさんが提唱しているのは、それまでの結果主義の医療処置のような「生産性」のみを問題にするのではなく、人々の共感と自然なつながりにおいてこそ、人は充足し、自分を取り戻す。そんな新しいケアの概念。


3. 社会の価値基準の外へ

誤解を招かないよう書き添えますが、サバスさんの行なってきた活動は、本当の意味で「何もしていない」わけではない、ということです。

社会の価値基準で、生産的とはみなされないような、

自分の為の表現活動や、
ただただ静かにしていること、
心の内側の世界との会話、
なにかに没頭する時間。

それらによって、街へ、復帰へ、復職へ、元の集団へ、元の関係性で暮らしていける自分を取り戻す。

病ではなく、人間を見ている。セバスさんの姿勢には、そんなケアの本質があふれているように感じます。

「アトリエ・ノン・フェール」の在り方を思い返すにつれ、心身の調子を崩した友人が余分なこと、意味のないことに「お!」と興味を示したのは、とてもナチュラルことだと思いました。

右肩上がり、前進あるのみ、上昇志向、成果主義。
そうした生産的かどうかの物差しだけで測る世界への違和感だったり、その物差しに乗っかり続ける自分にちょっとストップをかけたくなっている、ヘルシー(健康)な反応。


4. NO意味のないこと、NOライフ

今年は、既存概念が打ち砕かれるような世界的状況があって。
私の友人のように、訪れた変化にともなって、心身の辛さを抱えている人も多い。

休む事ができないなら。
休養が大事という言いつけ通りに、ただじっと寝ているのが辛いなら。
社会の物差しで、エネルギー消耗しすぎたなら。

今までちょっと気になっていたけど、アホらしいかなーと思って手を出さないでいたこと。自分のために、とか真面目に考えなくっていいから、そういう生産的じゃないこと、意味がない(と思われがちな)ことを。

やってみなくてもいい、考えてみるだけでもいい。少しイメージをするその間は、生産的でなければ無用!と言わんばかりの社会と距離をとって、「何もしない」時間を摂取できる。

そう、NO意味のないこと、NOライフ

例えば、私の最近のお気に入りは、ドライフルーツ食べる時、お皿に顔を作ることです(TOP写真をご覧ください)。

えっ?スケール小さすぎて想定外!?このくらいでも、何となく人間味増してる感(自分比)があればアリだと思う。
なお、アイデアは自分の感覚でGOが吉かと。どこかの誰かが言っていた一般的なアホらしい事は、やってみても虚しくなりそう。それと、自分と他人に危害が及ぶものもオススメしないです念のため。


…ある鬱を抱えた人が語ってくれた言葉がある。「周りがものすごいスピードで動いているように見えて、嵐の中、うずくまっているので精一杯。」

私はその時、暴風雨の中、吹き飛ばされないように、じっと地面にしがみついて雨と風に耐えている小石をイメージした。誰かのそんな夜に「何もしない」が届きますように。

8月31日の夜に寄せて。

<目次>
1. 鬱状態でも何かを「したい」
2. 「何もしない」をするアトリエ
3. 社会の価値基準の外へ
4. NO意味のないこと、NOライフ


ん、なんだって?私の作ったアホらしいマニアックな動画はどんなのだって?
あなたも物好きな人だ…リンク置いていくよ…


#8月31日の夜に


ありがとうございます。サポートは、日本画の心理的効果の研究に使わせていただきます。自然物由来の日本画材と、精神道の性質を備える日本画法。これらが融合した日本画はアートセラピーとなり得る、と言う仮説検証の為の研究です(まじめ)。