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日本ベッドの歴史(7):独自技術のポケットコイルマットレス ─1980年代─
ボンネルスプリングマットレス 主役の時代
1950年代、日本ベッドで最新式の量産品といえば、連結式のボンネルスプリングマットレスでした。
この時期の日本ベッドカタログに、マットレスの種類を紹介したページがあります。
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「各種マットレス」のページ
当時のマットレスには大きく分けて、「スプリングを使っているもの」と「スプリングを使っていないもの」の二種類がありました。
最高級とされたのはやはりスプリングマットレスで、日本ベッドでは、ポケットコイル式のものと、連結式スプリングのものの両方を扱っていました。
中でもお勧めは、連結式、つまり当時の最新式だったボンネルスプリングマットレス。
この頃のポケットコイルは、現在ほどの進歩を遂げる前の方法で製造されていましたから、「最新式」だったボンネルスプリングマットレスをお勧めしていたのも当然のことだったでしょう。
独自技術のポケットコイルマットレスを開発
ボンネルスプリングマットレスの製造・販売は順調でしたが、何も考えず同じことをやっていたのでは、そのうち廃れてしまうのは世の常というもの。
日本ベッドは敢えて、主役ではなかったポケットコイルマットレスの開発に着手します。
この姿勢が、この後のポケットコイル式マットレスに、大きな進歩をもたらします。
好調な製品を横目に、新たなものに日々取り組むのは「次にやってくるのは何だろう?」とわくわくする気持ちと、冷静に先を見据える「先見の明」が共存するような心持ちだったと、開発に従事した担当者は話しています。
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ひたむきな思いで取り組んで来ました
ボンネル全盛期、そのままの製造機械では、ポケットコイルマットレスはつくれませんから、まずは機械の大改造から開始。
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機械の開発からすべて手探りでやって来たから
コイルスプリングを入れる袋(ポケット)の材質も、手工業時代と同じというわけにはいきません。その頃、日本で不織布の製造が本格化したということも大きかったようです。
こうして1981(昭和56)年、日本ベッドは新たなポケットコイルマットレスを上市しました。
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製造装置から開発し、コイルスプリングには独自の技術で熱処理を施した、新しいマットレスは、同じポケットコイル式でも、戦前の手工業時代のものとは大きく異なりました。
不織布のポケットコイルに熱処理を施したことは、当時、実に画期的なことでした。千鳥組みにしたスプリングユニットは、シングルサイズで600個を超え、当時の最高密度を誇りました。