「復興」と「復旧」
この記事のように、今日、テレビや新聞で私たちは何度となく「復興」という言葉を目にするが、この「復興」という言葉はいつからこんなにも使われるようになったのだろう。
勿論、「復興」という言葉自体は、それこそ“文芸復興(ルネサンス)”とか“戦後復興”、“日本経済の復興”など昔から使われていたが、地震や台風、豪雨といった自然災害で被災した時に使われる言葉は「復興」ではなく「復旧」ではなかっただろうか…
この「復興」と「復旧」の違いを色々と調べてみると、実は興味深かいのだ。この二つの言葉そのものの辞書的な意味の違いとは別に、災害の場合の「復興(災害復興)」と「復旧(災害復旧)」は明確に違う意味を持ち、対比して使われることもあるらしい。
具体的には災害に見舞われた場合、「復旧」は文字通り、“被災する前の状態に戻すこと”だが、「復興」は“長期的な展望に基づいてより安全で快適な新しい生活の場を創出すること”だという。
つまり、最近、地震や台風、豪雨といった自然災害で被災した時に使われる言葉が「復旧」ではではなく「復興」になったのは、ただ被災地を元通りにするのではなく、堤防の建設や道路の拡張、区画整理など長期間に渡る大規模な計画を策定し、それを実施するようになったからなのだ。
事実、東日本大震災と原発事故からの「復興」を目指している被災地ではほぼ全ての所で堤防建設や土地の嵩上げ、高台移転などの大規模な計画や工事が行われていて、8年経った今でも未完成だからこそ、新聞には「復興半ば」とか「復興、まだこれから」といった文字が躍ることになる。
では、これは正しいのか? 「復興」ではなく「復旧」ではいけないのか?
被災した人々の願いは“長期的な展望に基づいてより安全で快適な新しい生活の場を創出すること「復興」”だろうか? 被災した住民が思うのは先ず何よりも、一刻も早く“被災する前の状態に戻ること「復旧」”ではないのだろうか?
大災害に見舞われた大多数の被災者は生きることに精一杯で、将来の安全で快適な環境を望むような境遇にはない。実際、東日本大震災と原発事故の被災地では「復興」の名の下に大規模な計画が作られ、いつまで経っても完成しない為に被災者は住宅や生活の再建も出来ず、その間、置き去りにされた被災者はろくな支援もないまま、それこそ被災地を出て行かなくてはならないのが実状。 ならば一刻も早く被災者の人々の生活や住まいを元通りにする「復旧」を目指した方がいい筈なのだ。
「ショックドクトリン (惨事便乗型資本主義)」という言葉がある。カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが書いた本でおなじみになったものだが、地震や災害、戦争などの大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革(The Rise of Disaster Capitalism)のことを指す。
この記事はスマトラ沖大地震の津波の後にスリランカで起きた、その「ショックドクトリン」の一例を紹介しているのだが、これは東日本大震災と原発事故からの「復興」を目指すという被災地や、日本の姿にそっくりではないだろうか。
地震や台風、豪雨といった自然災害に見舞われた被災地で、被災者が一刻でも早く元通りの暮らしが出来るように住宅再建や生活支援なども含めた「復旧」に税金や力を入れるのではなく、被災者を置き去りにして、大規模な土木工事や制度改革などで政府や自治体の利権、そして民間企業の利益を目指す…これこそが今のこの国の被災地で行われている「復興」の正体なのだ。
(※ Photo by original 上部の画像は、宮城県南三陸町防災対策庁舎 2013年6月15日 筆者撮影)