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【小説・エッセイ】都会暮らし


【小説・エッセイ】都会暮らし



 休日には昼、近くのコンビニで鶏そぼろ丼を買って食べてから、大阪万博記念公園へ行くのが習慣になっていた。はじめは子供一人育てるのに特段切り詰める必要はなく、むしろ共働き世帯で休日まで家事に追われたくは無いと鷹揚に構えていたが、そうも言ってられなくなるほど、今日日、食品価格は高騰していっている。気候変動により常となる不作、近隣諸国に購買力で負ける日本。と言うと差し迫った事のように感じるが、一介の兼業主婦に沸き上が た。簡単で日持ちする、常備食品に、という看板に偽りなく、雪平鍋一つで簡単に作れる。試しに夕食として息子に供し、ウケれば休日の弁当にしようという算段。夫と二人で食べるためにイワシを捌いて小麦粉を付けて揚げ、大人用と息子用、メインを分けた。

 ところが息子は、「魚が食べたい」と言って鶏そぼろに見向きもせず、イワシの方をつつき始めた。目算が完全に狂った。

「朝は、鶏そぼろご飯が良いって言ってたのに」と小言を言う。

 自閉症スペクトラムの息子は、こと食に関して冒険を嫌うところがある。とは言え、イワシを丸揚げの方が、鶏そぼろより見た目や匂いに特徴があり、子が嫌いそうな苦味もあるはずだ。何せ気まぐれな主婦の杜撰な家庭料理である。そこそこ美味しければ、何でも良いので、腸を取るのも適当、小骨などそのままといった具合だ。

 けれど息子の方とて、小骨には眉間にシワを寄せながらも、もりもりイワシを食べている。

「鶏そぼろの方も食べてみてよ。うまく出来たよ」と、小皿に分けてみる。それを「おあいそ」丸出しで、取り分けられた分だけ口に運ぶ。それで、またイワシの方を食べ始める。

「鶏そぼろ、嫌だった?まずい?」

 息子はまだ八歳だが、今よりもっと小さい頃、躾のつもりで厳しく言い続けた事が災いして、最近は場を収めるために「ごめんなさい」と息を吐くように言う。デイサービスのスタッフに、懺悔のような気持ちでそれを伝えると、適切なシーンで「ごめんなさい」と言えるように・・・と、親でも理解が及ばないことは「彼のストレス解消法なのだ」と受け止めるようにしている。今回も、敏い息子に責める調子を気取られては、本音が聞けないので気を付ける。

 そこの心配は杞憂だったので、息子は用心深く親の顔色を伺いながら、しかしはっきりと「この鶏そぼろは、茶色くないから違う」と言った。

「茶色?」

 そう言われて、皿の鶏そぼろを見る。確かに薄口醤油で味付けたそれは、コンビニの鶏そぼろよりも茶色くはない、というか白に近い色味なのだが、「味が美味しければ良いじゃないか」などという「親の言い分」で説き伏せても仕方ない。

「そう」と言った。

 鶏そぼろご飯を弁当のレパートリーに入れようと目論んでいたのだが。こうして「特性あり」の息子と良好な関係を築くのに、幾千もの小さな作戦を思い付いては実行し、大半が泡のように消えていく。

 何をそう思い悩むのかといえば、息子の心中で、鳥のから揚げに劣るレパートリーをいくら増やしても、彼にとってはハズレに当たるというところである。イワシの丸揚げの方が美味しいというのなら、それも凝った料理では無いのだが、魚より肉の方が台所は汚れない。

 去年の今頃は学校を早引けし病院に行くというとき、説き伏せるのが大変だった。他の子は行かないのに、なぜ?という比較により涌き出る感情じゃない。ただ、嫌で嫌で仕方ないという感情の爆発。それが最近になって、矯めるという様子が見られ始めた。頑是無いながらも、用事を伝えるとそれに従う。悔しいときはお手洗いに籠る。同年代なら「その程度の事」と比べる事はしない。息子の情緒が息子なりに成長していることを、嬉しく思う。

 さて、その日は放課後等デイサービスの個別支援計画更新のためのモニタリングの日。息子が学童(※)の代わりに通う放課後等デイサービス、通称放デーは二ヵ所ある。半年に一度、息子の成長具合を担当スタッフと保護者で見直して、個別支援計画を見直す。

(※学童保育とは、主に保護者が日中家庭にいない小学生の児童に対して、授業の終了後に適切な遊びや生活の場を与えて、児童の健全な育成を図る保育事業のこと)

 一つは町の近くを流れる川の上流へ二十分ほど歩いたところにある。もう一つは、駅から五分程度の繁華なところ。前者の方は、事業主が児童発達支援管理責任者の資格を持つやり手で、息子を預けている身としては、不動の安心感がある。後者は民間企業として児童発達支援に参入してからまだ数年と日が浅い。そして、つい先日親会社から独立した。スタッフ一人一人に熱量はあるものの、核無きその熱量がふよふよと滲み出るような不安感を時々覚える。

 それぞれに持ち味があるデイサービスで、息子は放課後を過ごす。地域差のあり、担当の先生に発達障害への理解が欠けることも珍しくない学童よりも、どちらの施設も良い成長の場となっている、と思う。

 学童と違う最大のポイントは、学童が「親が不在である場合」という目的を挙げているのに対し、放課後等デイサービスでは、発達障害児の育成を掲げているところだ。だから「個別支援計画のモニタリング」など、利用していく上で行わなければならない手続きが生じる。

 利用する上で、母親が働いているという事を考慮はしてくれるが、働いているから預けるという施設ではない。

 放課後等デイサービスのスタッフと日程調整し、有給休暇を取ってモニタリングへ行く。朝の支度をして、いつもは夫に任せている学校への見送りに、今日は私が行くと息子に伝えると、「ふうん」とすげない返事だ。年明けに、高齢の義父の調子が坂道を転げ落ちるように悪くなって、夫は仕事帰りに毎日義実家へ様子を見に行くことになった。それ以前から母っ子の息子だが、こと学校送迎の「付き人」が誰であろうと構わないらしい。

 やり手の児童発達支援管理責任者、通称児発管との「手続き」は滞りなく終わる。利用上、必要であることは間違い無いのだが、双方の本旨は、利用施設の責任者と利用者の保護者、お互いがどういう人間か知ることだ。療育手帳の取得を考えているという相談をすると、手放しに後押しされるものと思っていたが、そうでは無かった。

「取らずに支援を進めていこうと思っていましたが」

 自発管は言った。以前にこちらから「療育手帳は取りたくない」という意向を示している。

「就学相談の時に地域の教師から息子をあからさまに障害者として扱われ、嫌悪感があり取らずに済むものなら取らないと長らく意地を張っていましたけど、特別手当てとか福祉の面でメリットも大きいですし」

 カリスマの自発管が気にしていたのは、投薬治療の事だった。

「療育手帳の取得には通院が義務付けられると聞きます」

 医者によってはみだりに処方するらしい。

「効く確率は、全発達障害児童の四割と聞きます。聞いたらラッキー程度の確率で、ああでもない・こうでもないと、実験するよりは、こうしてデイサービスに通っていただく方がよほど有意義かと」

 それは知らなかった。

「大病院だと、処方を薦められやすいでしょうか?」

「町医者でも・・・医者によりますねえ」

「分かりました。知り合いのママ友にも聞いてみます」

 如才無い自発管で、教育方針が合っていると思うのは、偶然ではなく彼女が合わせているのだと思っていた。だから、「投薬治療に良いイメージを持っていない」とハッキリ告げられた事を、内心意外に感じていた。

 困り事はあるか、と聞かれたので、義父の具合が悪くなりあれよあれよという間に訪問看護師が毎日通うことになったので、息子を連れて実家に行く約束を反古にしたら彼が根に持ってしまった、という事を伝えた。義父は自身の衰えた様を見せたくないらしいし、息子も病床の義父を気遣えないだろうから遠慮していたのだが「喪失感とは言えないまでも、身近な人がいなくなるというのは大きな経験になる」と言われて、意識を変えた。

 次は二つめの施設に行き、個別支援計画の確認・更新である。木枯らしの吹く季節、息子の利用施設から利用施設へと渡り歩く、来月には学校の個別懇談会もある。賀詞交歓会のようだ。行きとは反対に、川の下流、町の方へと向かう。バスを使うことも出来たが、本数が少ないし時折身を縮めるような寒風が吹くといえど、川沿いの遊歩道は爽やかなところだ。荻に紛れ込む雀、滑るように悠々と泳ぐオオバンや首を縮めて思索に耽っているようなコサギを眺めながら、歩く。

 鳥を眺めるのが好きで、いつか一緒にバードウォッチングが出来たらとニコンの双眼鏡を買ってある。夢想が現実になる兆しはまだ無い。素人の趣味、まずは歴史あるNPO法人のイベントに参加して、招致される鳥の講師に話を聞こうと思っていたが、何がトリガーでいつパニックになるとも知れない息子と連れだって行けば、やはり迷惑になるかも知れないと思ってしまう。

 先だっての投薬治療の話と同じ。「保護者が困るから」投薬治療を視野にいれるのと同じで、息子が今望んでもいない事を実現に向けて画策するのは、親のエゴでしかない。

 実際こうして一人静かに川辺を歩くだけで、満たされてしまうような我欲なのだ。欲を自ら膨らませる必要はあるまい。

 発達障害支援という分野では、自分が子供の頃より随分道が整備されたように感じる。そもそも自分が育てられていた頃の感覚などアテにならないが、発達障害というものをシステマティックに取り扱う施設が多くてやりやすい。その分、そういう者と縁遠いまま大人からシニアになった人も多く、知識や情報がある分かえって隔たりが出来たような気がする。

 平たく言えば、結局「不治の病のひとつ」として片付けられてしまうことも、往々にしてあるのだ。昔は認められていないが今は世間的に認められている病。私はこれを、「病気かどうか分からないもの」として認識しているし、認識が無いだけで誰が発達障害でもおかしくはない。あなたもそして私も、発達障害と診断されたとて、意外でも心外でも無いのだが、どういうわけか、「発達障害は病気である」という認識の人間には、決して「あなたも発達障害かもしれませんよ」という指摘をするものではない、嫌な隔たりを感じる。

 認識の違う人間からは遠ざかろうとする、というのは全ての文明にある特徴とはいえ、自覚すると良い気分にはならない。その分世界が縮まるだけだし、結局自分も矮小な差別主義者であり、息子を差別する人間を説得できるような高尚な理屈など無いのだ、と思い知らされる。

 生まれてから今まで都会育ちの私は、児童の頃「世間」が怖く引きこもりがちだった。勉強は人並みに出来ても、社交的ではなく、陰気な性格だと学校では特に下に置かれる事が多くなる。たとえ誰かを貶めるため悪知恵を働かせる人間だろうと、明るくスマートな人間の元に人は集まるものだ。かのように昔は世間が怖かったが、今は陰気なりに世間を必要としている。というか、人として産まれたからには、ましてや子供を産んだからには、社会の助け無しに子供を「立派に」育てるのは難しい。

 その事に気付いたため、生来の気質に合わないと感じていても、息子の生育環境作りに良いと思うことは、する。亀裂があると思うところには近付かない。

 最近関東の方で、水道管の腐食が原因で大きな地盤沈下があったと報じられた。我が町には、学校の通学路であるにも関わらず、事件事故の多発帯として知られる踏み切りが何十年も残っている。

 たった一キロ整備しようというだけで何億もの金がかかる。民間企業に勤める労働者の生涯年収は平均して約三億と言われるが、私は、命を懸けて子供の為になる事業を、いう篤志家的精神を涵養したところで、出来ることはたかが知れている、と考えてしまう。

 世にいう「差別主義者」のような人間がいくら蔓延っていたところで、そういう人らなりの処世術を非難できるだろうか。私とて、結局は自閉症スペクトラムの息子を持っただけで、人として一段高いところにいるわけでは全く無い。差別感情を止揚しようとするのは、ただ息子を愛しているという呪縛があるからに過ぎない。年の割に素直であることを自負しているが、その分人間関係の軋轢に疎く、気付くと巻き込まれて上手く立ち回れもせず消耗する質らしいので、面倒そうと感じたら、なるべく早めに遠ざかることを心掛ける。その割に好奇心が強く、自己顕示欲も人並みにある。自分のことですら制御できないことがある、というのは、面倒なものだ。

 最近は、子育てを砲丸投げのようなものに感じている。全身を持って子供を高みに上げようと、親は子を振り回す。力余って、訳の分からない方向に飛ぶこともある。どことも知れないところへ引っ掛かった子供は、自力で降りれれば取り返しも付くが。

 愛でもって我流で何かをするより、「砲丸を投げたことがある」というラッキーパンチかも知れない先達に聞くより、最近のトレンドを知っている熟練の教師や専門家に聞いた方が良い。「代わりに投げてくれる」というのなら、喜んで、だ。昔のやり方に固執する者には要注意・・・。

 先程の自発管が中年女性だったのに対して、町の放デーの自発管は、施設の方針を象徴するように若い男性である。話を聞こうと、静かに待っていると、その沈黙に気詰まるようで、保護者の方が熱量を持って話し、スタッフがそれに応える方が慣れているらしい。けれど、先だってのモニタリングに影響を受けていて、かつ連携が取れた方が良いだろうと、一つめの施設を引き合いに出していたら、程度がやや過ぎたらしく「ウチの特色を活かしたプログラムを実施したい」と言われた。

 翌日、息子を連れて義父母の家へ行った。約束してから行くと、既に寝起きがままならなくなっている義父の自宅介護で多忙の義母に余計な気を回させることが分かりきっているので、近くまで来たので寄ってみましたという体で訪れる。義母は、お見舞いのイチゴをすりつぶして義父に渡してくれたが、あたり食べられ無かったようだ。息子には、義父の寝ている二階の畳の間へは行かず、二階で遊ぶよう指示した。息子は従順に従った。許可された部屋一面に玩具を広げてはいたが。

 小一時間ほどでお暇しようという時、義父に顔だけでも見せていってと言われ、畳の間に入った。訪問介護士は義父のひげを剃って帰った。ベッドの脇には点滴があった。

 ベッドに横たわる祖父を労るでもなく、静かに、興味津々に眺めていた息子は言った。

「おじいちゃん、またね」

「おう、こんなんで、ごめんな」

 続けて私も手を握った。いつもの入れ歯をしておらず、短い間に少し頬が削げてしまっただけで、一か月のあいだに十年も衰えたように見える。ふがふがとした不明瞭な発音で、しかし満面の笑みで義父は言った。

「二尋、久しぶり。元気ですか」

「はい、お陰さまで」

 最早お迎えを受け入れている人に「お大事に」もどうかという心地がした。しかし、明らかに元気いっぱいでも無い人に、お変わり無く、とも?息子の挨拶は、前座ながら最適であった。私は心ならずも息子には倣い「また、皆でお食事でも」と言った。

ー了 



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