肥大した自意識
愛とはなんぞや?
まだ20代前半にして愛がなんだなどと、偉そうなことを語れるほどの経験はない。しかしそんな僕でも恋愛はしたことがある。
ただ、小学生や中学生の頃に抱いていた「恋心」という感情について、今となってはどんなものだったのか思い出すこともできない。
それが大人になったということなのか、しばらく恋をしていないからなのか、そんなことはわからないけど何か大切なものを無くしてしまった、そんな気はする。
つい先日、とあるアニメが最終回を迎えた。
そのアニメの名前は「イエスタデイをうたって」。
このアニメの原作自体は完結したのが5年前の2015年な一方で、連載が始まったのは1998年と20年も前のものだったらしく、僕は知らなかった。
あらすじを纏めるのはあまり得意じゃ無いので簡潔に。
主人公(リクオ)は大学を卒業後、目標も特に無くコンビニでアルバイトを続ける日々。そこでカラスを連れた少女(ハル)と出会い、物語は進んでいく。
一方で、リクオの学生時代の初恋相手(榀子)が高校教師として東京に戻ってくることを知り、学生時代に振られていたリクオだったがかつての気持ちを取り戻し、榀子に再び想いを寄せることになる。
しかし、ハルがリクオに好意を寄せていたり、榀子の幼なじみで榀子に想いを寄せる高校生が転校してきたり、榀子にも忘れられない人がいたり…
と、ぐちゃぐちゃな関係性の中で、
恋愛、仕事、受験、家族、夢。
様々なことに苦悩しながらすれ違い、それでも自分たちの中にある答えに向かって進んでいくストーリー。
このアニメは所謂少女漫画などの純情、王道ラブストーリーではない。
渋谷の路地裏に転がっていそうな、妙に現実味を帯びた、人間のみっともない部分が描かれた作品だ。
そんな作品に嫌気が差しながら、目を背けたくなりながらなんとか観終わった。
正直毎週観ているのはしんどかった。
登場人物に対して何度苛立ったか分からない。
ただ一つ言えるのは、僕はこのアニメが好きだ。
気取った恋愛作品よりよっぽどいいと思った。
苛立った理由。
それは親近感を憶えるからだと思う。
こういう人間いるな、自分にもこういう一面があるな。
そう思うからこそ苛立つし目を背けたくなる。
だけどそれがいい。別にマゾなわけではないけれど。
10年経とうと、20年経とうと、きっとふとこのアニメを思い出すことはあると思う。確信はないけどそう思う。
主人公のリクオは最終的に榀子と別れ、ハルに会いに行こうとする。
道中の車内で彼は彼の肥大した自意識と葛藤することになる。
お前にはプライドがないのか。自分勝手だと言われたらどうするのか。言葉を尽くせば誠意を伝えられるのか。自分が好きなのはその人自身では無く、自分を構ってくれる人間が好きなだけではないのか。
そんな自意識と葛藤した挙句、これはケジメだ、次に進むためだと言い聞かせ、ハルの元に向かう。
数日前にハルを振っているにも関わらず、ハルが自分にまだ好意があったことを恐らくリクオ自身わかっていたのだと思う。
本当に自分勝手で都合の良い男だ。
ただ、それの何が悪い。
優柔不断で、自分勝手で、打算的で、自己防衛的で。
人間なんてそんなもん。
そんな自分に踠いて苦しみ、受け入れて開き直ることも大事なんだと思う。
こうすればああなるかもしれない、こう思われるかもしれない、だからこうしよう、ああしようなど考えたところで解決はしない。
一見複雑に思えるその思考も、正体は自己防衛の方法に過ぎない。
その思考回路から脱出させてくれるのは家族でも、友人でも、愛する人間でもない。
結局、自分の敵はいつも肥大化した自意識だ。
纏まりが無い文章になってしまったけれど、最後はリクオのセリフで締めたいと思う。
「ごちゃごちゃ考えたり、昨日を振り返ったり、それでもくだらない俺たちの日常は、続くのだ。」
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