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市民ランナーという生き物

今年50歳になった自分が38歳で初めてフルマラソンに出て完走した年を自身の「市民ランナー生活元年」とすると、既に10年以上市民ランナー生活を送っていることになる。この間に高齢出産で娘を一人出産したのだが、産前産後の10ヶ月を除いて実はずっと細々とランニングを続けている「走る母ちゃん(ママさんランナーとも)」の自分。

基本的に睡眠、家事、仕事、子育てなど自分の身体が「拘束」されている、あるいは稼働停止している時間以外の殆どをランニングかランニングに関することに費やしている。走るのは週に5〜6日、平日は1日5〜14kmくらい、週末は土日で20〜40km走ることも。それでも市民ランナーの皆さんが大好きな指標「月間走行距離」は200〜多くて300km。月400だの500だの600だの、中には800〜1000km超えと長距離競技者ばりに走り込む猛者もいるのだから、それに比べると序の口、一介の凡庸な市民ランナーに過ぎない自分。

ランニングをやらない人から見たら5km走れるだけでも凄いらしい。ましてやフルマラソンに出た、と言うと「えぇ〜凄いですね!」と畏敬の眼差しすら注いでもらえたりする(調子にのって「100kmウルトラマラソンにも出たことある」など白状しようものなら「えっ…ひゃっ、100km!?」と今度は相手の目が点になるのは確実なので迂闊に言えない)。「凄いですね!」と感嘆してもらえるのは嬉しいとともに、ランニングって自分の身体を幾許か鍛える効果はあるにせよ、特に何か他者のためにもなるような有益な価値を生み出しているわけではなかったりするんだよな。私生活の多くの時間を費やしながらも表彰や入賞するわけでもなく、凡庸なタイムで完走し自身の体力及び精神力レベルを確認して喜びを見出す自己満足的、自己完結的な取り組みに「凄い!」などと言ってもらうのは何だか照れ臭い。

もういい歳だし、もっと何か生産的な?「社会の役に立つようなこと」をするべきなんじゃないか?などと思いつつ、それでも仕事や子育てから来る日々の小さなストレスの積み重ねは走ることで殆どが一旦払拭される。このリセット効果が肝だったりする。先ずは自分自身が元気でいることが大事!ランニングは日々の生活浄化に欠かせない解毒剤のようなもの。日々のモヤモヤは日々単位で浄化する事が、自身の生産性、パフォーマンスの個別最適化?に寄与している、と信じて取り組んでいる。

単に「市民ランナー」と言えど情熱や体力などエネルギー、時間やお金などリソースを注ぐ度合いは様々で、フルタイムで働きながら競技者と同じ第一線で走り続けておられるエリート市民ランナーの方々のストイックさには只々敬服。タイムや走行距離は置いておき、忙しい現代人のメンタルヘルスにおけるランニングの「解毒作用」「浄化作用」「生産性・パフォーマンスの個別最適化効果」数値化できたら面白そう。ましてや記録や表彰など加われば市民ランナーとしてはもうオリンピックに出たようなもの!「ランニング中心」の生活に多くの市民ランナーが没入していく流れ。

50代ランナーとなった今年、ジワジワと加齢の小波が押し寄せてくるのを認識しつつ、目標は60歳でも70歳でも、いや出来る事なら80歳になってもフルマラソン完走できるスーパーおばあちゃんになりたい!10年以上続いている市民ランナー生活を一度振り返り、
「走ってる人達って、どうなの?」
「それってランナーあるある!」
などなど「市民ランナーという生き物」について徒然なるままに楽しくまとめていけたらと思う。

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