魂にふれる実践のすすめ vol.2 日本のシャーマンの歴史を知る。
神社の巫女
神社で作務所、神事の舞などで見かける巫女さん。
昔はシャーマンとして活躍されていたことはご存じでしょうか?
実は江戸時代までは、神社等で神職や巫女に神霊を降ろして、「神懸り」となって、霊的存在と人間との媒介者として、託宣・予言・治病行為をおこなうことをしていました。
現在では青森のイタコや沖縄のノロなど民間で続けられているシャーマンもいますが、実は日本中いたるところで「巫女」がシャーマンとして活躍していたのです。
しかし、現代では一般的に執り行われておりません。むしろ神社はともかく一般的には「霊媒行為」について否定的な意見が多いと思われます。
なぜでしょうか?
シャーマニズムの否定の経緯の考察
歴史的経緯をたどるといくつかのターニングポイントを発見できます。
ひとつは戦後。最近よく知られている都市伝説的な、戦後に行われたGHQによる日本における神道の弱体化政策です。
これについてはネットにはさまざまな情報がありますので割愛します。
あと、南北朝時代から応仁の乱にかけて、寺社が戦場になり荒らされてしまいました。祭祀も滞り、伝承者が表立った伝承を秘し、いくつかの伝承が隠され、その中には途切れてしまったものもあったと思われます。
飛鳥時代には仏教の伝来により宗教間のせめぎあいがされました。そして大化の改新(乙巳の変)ここでも戦乱や中央による選別により伝承が途切れてしまったものもあったと思われます。
それ以前にも孝霊天皇の御代や、崇神天皇~景行天皇にかけても地方の伝承が混ざり合ったり中央祭祀の確立があったと思われます。
そして、現代のシャーマニズムに大きな影響があったのが明治初期。
あまり知られていませんが、実は明治政府発足時に「神仏分離令」「神懸り禁止令」「神職演舞禁止令」が施行されました。
もちろん近代工業化を進めるうえで「物質的」「合理的」な思考は必要だったと思います。
しかしなぜ「神懸り禁止令」という、法によって原則的に取り締まるまでになったのでしょうか。
その謎はこの時代に起こった変化に関係があると考えます。
西洋文化の流入です。
西洋において民間のシャーマンとは「魔女」なのです。
明治初期、西洋から学ぶ過程で、シャーマン行為に付随する「妖術行為」「詐欺的霊媒行為」を取り締まる考え方の流入と、西洋に受け入れてもらうために迎合して西洋が忌避する風習を見せないようにしようとした。これがおそらく大きな要因だったと思われます。
神と霊を明確に分けたということもあったのかもしれません。
ただ、明治政府はここで、「詐欺的霊媒行為」だけでなく「霊媒行為」そのものを否定し禁止してしまいました。
大きな時代の転換期だからこそできた楔ですが、この急激な変化は「霊媒行為」に対する評価や理解を歪めてしまったのかもしれません。
こうして一部の地域や神道宗派をのぞき、民間では片身狭く現代に残ることとなりました。
個人でできるシャーマニズムの実践
霊的な対応には、知識や技術や鍛錬方法や適性といった要素が関わってきます。
シャーマニズムの継承は武道を学ぶことと似ています。
身体づくりや基本的な型を繰り返し、型や技法の意味を学び、基本を身につけたうえで、精神の持ち方を神霊と接しやすい場になじみつつ学び、個人の特性や考え方に合った方法で神霊との対話を行います。
自分は特別な方法や技法は習っていません。
神道本は読んでいますが、本やネットにあるような知識レベル+αだと思います。
ただ、信頼している情報として神道本を参考に、基本的な作法を「型」として実践を繰り返しています。
どういった方法が正解かということはわかりませんが、少なくとも自分自身が不思議だなと思う体験をしており、それに基づいた解釈によって、試行錯誤しています。
自分が注意していることは、神霊に対する対話において、清く浄い心身をもって、ありのままで神霊と接すること。
悪しき思いは悪しき思いとなってそのまま返ってきます。そして神霊にも伝わったときに悪しき思いは悪しき形となって現れます。
善き思いは善き思いとなってそのまま返ってきます。そして神霊にも伝わったときに善き思いは善き形となって現れます。
思い描いたことは御魂にそのまま返ってきます。そして神霊にも伝わったときに気づきを得たり、何らかの形で現れるということです。
この考え方は神道のシャーマニズムの基本と考えます。
パワースポットより気をいただき、気が枯れる乱れる穢れの状態から回復することもシャーマニズムです。
普段の行動と違うことをしてしまう。普段していた「型」が普段通りにいかない。神霊と接した自分を通してダウジングのようなことをするのが占いです。
日常生活からできる実践は、まず「型」を知り、適した場で実践することです。
朝に太陽を浴び、家族にありがたいと思う。神様を敬い感謝する。
神社では「手水舎」で清め、「型」として二礼二拍手一礼などの作法で、清い気持ちでありのままの自分で神様に日頃の感謝を伝える。
今は、一般的に広まっていますが、こういった基本を続け、謙虚に学ぶ姿勢で注意点を守れば、気づきを得る機会があると思います。そして、きっとよい変化が訪れるだろうと思います。
ここまで読んで、当たり前のことと思われる方もみえると思いますが、基本的なことを実践し続け、それが自然体になることが「道」において大切なのです。