アダルトチルドレン、子供のような大人?


 今年の初め、自分のことを知り合いの人に話を聞いてもらって他者による私の分析を行ってもらいました。自分の心の奥深くのことを話して真摯に聞いてくれる人は少なくて、そして相談に乗っていただいた方には感謝しています。
 そこで私は、確固たる自己というものが存在していないという指摘を受けました。確かにその通りだと思いました。未だに人生でやりたいこともうまく決まっていなくて、実家にいるときはとにかく善であるということに固執して生きていたような人間でした。その指摘を受けて、どうやって今後生きていこうかな、なんてことを思い浮かべながらなんとなく春休みを過ごしていました。春休みも気圧関係で躁鬱を繰り返した私ですが、ある日を境に自分というものの自信を失い、恐怖を感じるようになります。そこで心を落ち着けるためにインターネットで自分の精神的情報を表すものを探していたのですがそこで、アダルトチルドレンというものに出会いました。

アダルトチルドレンとは、幼少期の養育環境が虐待や不適切な育児により、非常に過酷であり、そのことによって成人してからもそのトラウマによって否定的な自己像を持ってしまったり、極端な人間関係に陥ってしまったりしている人のことを指します。内的には非常に不安定であり、生きづらさをもち、時には精神障害を患ったりしてしまうこともあります。

                     心理オフィスKより引用

 意味合いとしてはこのようなものですが、自分は家庭環境に大きな問題があったというわけではありません。なかったとも言い切れませんが。子供のころから正しくあるということに拘っていた子供でした。アダルトチルドレンには大きく5つのタイプが存在しています。

(1)ヒーロー(英雄)
 勉強やスポーツで良い成績や評価をもらうことを第一としています。しっかり者、頑張り屋さんというように見られることがありますが、そうした努力は自身のためではなく親の期待に応えるために、もしくは家族の雰囲気を悪くしないための防衛的で、後ろ向きな意味合いがあります。こうした努力が実っている内は良いですが、それが何らかのきっかけで挫折したり、失敗したりしたときに、心がぽっきりと折れてしまい、破綻してしまいます。
(2)スケープゴート(生贄)
 ヒーローとは全く反対に、問題行動を起こしたり、過剰に低い成績を取ったりして、家族の中で悪者や問題児の立場を引き受けます。家族の憎しみや怒りや不満、鬱憤を一人で引き受け、そのことにより家族のバランスを取ろうとしているのです。家族の中のゴミ箱的な役割とも言えます。
(3)ロスト・ワン(いない子)
 家族の中での存在を消し、いない子どもとして、生まれてこなかった子どもとして家族との関係を断ち、ひっそりと気配を感じさせずに生きていこうとします。時には迷子になっても家族のだれからも気付かれることがなく、旅行にも連れて行ってもらえず、家の中にはいても、いつも一人で孤独にいます。
(4)ケアテイカー(世話役)
 献身的に家族の世話をし、愚痴を聞き、支えることを過剰なまでに行います。それは自己犠牲的であり、自虐的でもあります。家事をしない親に代わって家事をしたり、養育をしない親に代わって弟妹の面倒をみたりします。そして自身のことは何でも後回しにしてしまいます。そうした家族を維持する機能を一身に背負って家族が崩壊しないように、バランスが取れるに努力をします。
(5)ピエロ(道化師)
 家族の暗い雰囲気を回避するために、おどけたり、おちゃらけたり、冗談を言ったり、面白いことを言って笑わせたりして明るい雰囲気を作ろうとします。ひょうきんで明るい性格に一見すると見えますが、過度に雰囲気を読み取り、人の表情を伺い、どうすれば険悪なムードにならないかと常にビクビクしていたりします。  
                     心理オフィスKより引用

 私はヒーローとケアテイカーの要素を大きく備えていたと思います。
 ほかにもアダルトチルドレンには過度な自己否定や極端な人間関係、世代を超えた連鎖などが存在しています。


ここで私が何を思ったのかは、衝動のままに書き記したものがこちらです。

 この文章を書いた時もこの文章を読んで誰かが傷つくのではないかということで結局ほとんどだれの目にも触れさせないでしまっておいたのをここに供養しておきます。読みにくいのもその心が反映してあります。
 

 結局、アダルトチルドレンの症状通りの人間だったのです。私が今まで20年間かけて生きてきた人生というものがそもそも存在しなかったような気がしました。自分の自信のなさというものはここに起因しているんだろうなという気持ちもありましたが、それよりも喪失感の方が大きい気がしました。
 自分に原因がないにもかかわらず、自分をいびつな形に形成してしまって、型がなじんだことに不良品であることを告げられた気分でした。やっぱり私はこれからもどうして生きたらいいかはわかりませんでした。未だに自分のことをフカク、フカク愛してほしいという願いは変わらず、感情を表現するのはどこまでもへたくそで、自分の優先順位は大切な友人であればどこまでも下げ、自分のことはどこまでも犠牲にしていくことはできるし、自分はどこまでも汚く醜い存在であり、何か新しいことを始めようとしても自分が否定してくるし、いつまでもた人が何を考えているか顔色を窺い続け、不安障害で共依存です。
 私が20年かけて形成してきた私なんです。
急にある日その性格はあなたが悪くないんですよ!なんて言われても、到底受け入れることができず、ただ呆然とするしかないんです。だって、こんな私なんだって、少しずつ私を受け入れようとしていたのだから。

 アダルトチルドレンは世代間で受け継がれます。確かにうちでは母親にその傾向があったと思います。きっと20年間形成してきた私が私であり続けている限り、私の子供にも受け継がれてしまうんだろうな。それなら誰かと番いにならないで、孤独に喘いでいた方がいい。両親を責める気持ちはありません、母親も精神が強い方ではなく、他に縋って今まで生きていました。そんな母親を責める気持ちにはなりませんでした。母親に自分の精神疾患の可能性を打ち明けた時に頭から否定されたのも今では納得いきます、きっと母親はそれに苛まれつつ病気ではないとして懸命に生きていたであろうことが予想されるから。

毎回同様私は今回もどうしたらいいかわかりません。
今回も心情を吐露したかっただけかもしれません。
ネットのサイトにはカウンセリングを受けることを勧められますがあまり気乗りはしませんでした。
また大学が始まればより一層精神的に困窮するような気がします。
本音を言えば大学に来るという選択をしたことも、アダルトチルドレンのせいにしてしまいたい。やりたいことはあげればいくつかあるけれども、仕事にして生きていくには覚悟が足りないような気がしている。
人生を、やり直したい。







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