冒険と日常
一応、ゴールデンウィークが始まった。
世間的には全くゴールデンではないのだろうが、本の虫的には読書時間を得たことになる。
本当なら、本を買い込んで札幌市内の行きたい喫茶店をめぐる予定だった。
おいしい珈琲を飲みに行けないのは残念だけど、どうにもならないものは仕方がない。
せっかくの十二連休、十二つながりで「十二国記」(小野不由美)を読み直そうかと思っている。
特に最新刊にあたる「白銀の墟 玄の月」は、気持ちがはやりすぎてじっくり読み込めていない気がしていたのだ。
自分の予定はそれで良しとして、母だ。
以前別の記事でも書いたが、家の中で過ごす時間を紛らわせたくて、母に色々と本を貸している。
前回貸した穂村弘も読み終わる頃だ。
さて、次は何にしようか…。
母は年齢的に、長時間の読書はつらいらしい。
文字が細かいのもいけない。
そしてあまりのんびりとしすぎた話は飽きてしまう。
昔から本は読むが、習慣的にというほどではない。
一番親しみやすいのはやはり口語に近いエッセイだと思う。
というわけで、一冊は「グアテマラの弟」(片桐はいり)にしよう。
エッセイはエッセイでも、日常的な本が続いたので、旅行エッセイを選択。
片桐さんは演技のコミカルさそのままに、文章もとても面白くてわかりやすい。
彼女は旅行を、旅というより冒険に近い楽しみ方をされるようで、読んでいてとにかく暇をしない。
写真の一枚もないのに、ここまで楽しませてくれるのはさすが。
もう一冊は、ちょっと悩んだが物語にしたい。
「三の隣は五号室」(長嶋有)。
悩んだというのは、文字が気持ち小さいことと、ひと段落が長めなのでパッと見が文字だらけで母には読みづらいかも知れないからだ。
ただ中身は文句なしに、良い。
今年初めにタイトルに惹かれて買ったのだが、読了後「これはもしや今年のベストバイだったのでは?」と思ってしまったほどである。
こちらは私の好きな日常系の穏やかな話だが、かつてこれほどまでに誰かの日々を優しく慈しんで書いた話があっただろうか。
これは一軒のアパートの一室に暮らした、歴代住人たちの物語。
賃貸を借りたことのある人なら、壁のキズや部屋の残り香に前の住人の気配を感じたことがあると思う。
壁紙に残る画鋲の穴、備え付けの戸棚にうっすら残る吸盤の跡、ベッドの脚の形の深い窪み。
天井の梁に貼られた壁紙の一部に傷がついていて、なぜこんなところが?と不思議に思ったりする。
洗面台の壁面には小さく黄ばんだ跡がついていて、そこに自分で歯みがきコップを置いて見てそうなった理由がわかる。
立てた歯ブラシの頭がちょうどそこに当たるのだろう。
歯ブラシが残した小さな痕跡を拭いながら、改めて誰かが前に住んでいたことを感じる。
前住人が部屋を自分勝手に汚く使っていたときは、腹立たしくなる。
でも、丁寧に使っていたと気づいたときはその”使いこみ”が好ましかったりする。
誰かが上手に使いこんだ部屋に対する好感の正体はこれだったのか、という舞台裏のような素敵な話だ。
さて、母は気に入ってくれるだろうか。