無名
呟きと読書以外の時間
観光地ではない、日常の中の札幌を歩く。
本への愛/本にまつわる思い出
このnoteは主に、好きな本を紹介しています。 ネタバレなどは含みません。読書感想文でもありません。 本屋さんのPOPに近いかもしれません。 そのほか好きなものも好きなだけ紹介していけたらと思います。 ※本を紹介する記事では紀伊國屋書店さんへのリンクを使用しています。
食費を削ってまで本を買うような人間は結局、記事を書くような時間があるならば、本を読んでしまう。 という次第で、うっかりしていたら、なんと二年以上の空白。 社会の荒波を本の小舟で乗り切ってきた日々に、ぼんやり考えたことなど、つらつらと。 * 私は本棚を持っていない。 本を愛する者として、本に立派な家を与えるのは当然…という意見を目にするたび、いやはや、ごもっとも、なんてもごもご言いつつ、土下座の姿勢のまま後ずさりするよりない体たらくだ。 最初こそカラーボックスやらラックの空
札幌に暮らすようになって、今年で十年目になる。 私は北海道の北部の山間、日本よりも北欧やカナダの田舎に近い風景の中で育った。 そんな私にとって札幌は都会で、あまり寒くなくて、雪も雨も少なく、風は強く雷は遠く、ひたすら人・人・人の街で目を回し続けた十年だった。 この十年、私の生活軌道はずっと地下鉄の東西線沿いにあった。 私の知っている札幌とはすなわち東西線沿いに存在している。 「本には美味しい珈琲」 私にこの素敵な公式を与えたお店が東西線の終着駅、新札幌という場所に
※テスト投稿。再生に若干時間がかかります。 ある昼下がり、道庁前庭の音。ハーモニカを練習するおじさまがいました。
今朝目が覚めた瞬間、おいしいものを食べたい衝動が走った。 ここしばらく同じような朝食が続き、普段は昼食を摂らず、夜に至っては間食で代用するか省いてしまう生活。 本を読む時間がなければ食事を抜く。 お財布が痩せてもほしい本があれば食費を削る。 そうして食を蔑ろにした結果、本能のどこかがいい加減にしろと爆発したらしい。 おいしくてもテイクアウトでは冷めてしまう、どうせなら出来立てが食べたい。 外出自粛が解けて十日余り、こうして突如として久しぶりに外食をする気になってし
目が痛い。肩が痛い。頭が痛い。 本の読み過ぎだ。 金曜日は朝から、今夜は何の本を読もうかとわくわくしている。 そうして金曜日の夜から読書のゴールデンタイムが始まって、日曜日の夜には肩凝りからくる吐き気でぐったりしてしまう。 熱めのお風呂と蒸気の温熱シートとあずきのチカラとバファリンを総動員して、何とか月曜日に備える。 痛い。でも充実した時間を過ごせた。 本屋さんにもめぐりズムやホットアイマスクを置いてくれればいいのに。 今日は本をまとめ買いしてきた。 まだまだ
上の写真。 どこかに生き物が写っているのがわかるだろうか? 正解は中央付近の枝に、すずめが止まっている。 私の一番好きな鳥だ。 あの愛くるしい鳴き声、ふっくらとした姿、好奇心が旺盛なところ、ちょこちょこピョンピョンした動き。 絶対に可愛いと思わせに来ているだろう。ずるい。 枝から枝へ、ちーちゅちーちゅと求愛の歌が聞こえるようになると、夏が来るなと思う。 子どもの頃、すずめを育てた経験がある人はどのくらいいるだろう。 私の小学生の時の親友、こうちゃんは何度も育て
本屋さんが大好きだ。 あんなにたくさんの本に囲まれていると、くらくらしてしまう。 帰りたくない、ここに住んでしまいたい、と切に思う。 図書館も大好きだが、本屋さんの場合はお金さえあれば気に入った本を自分のものにできてしまう。困った。 新書は主に紀伊國屋のお世話になっている。 札幌市内の紀伊國屋なら、地下街のオーロラタウン店が一番好きだ。 本店とは別に独自のフェアを開催していることがあって、そのラインナップがまたいい。 在庫は当然本店には敵わないが、本当に本が好き
久々に、本を買いに紀伊國屋へ。 札幌本店はこの数日、営業を自粛していた。 そのせいか店に入った時は、再開を待ちわびていた本の虫たちが結構いた。 しばらくは時間短縮営業、土日は休業になるそうだ。 寂しいけれど、これもまた仕方がない。 予め読みたいものが決まっているのならネットで買えば済む話だが、知らない本と出会うにはたくさんの本が並ぶ棚を眺めていくほうがいい。 今回は配送にも遅れが出ていること、どうしても買ってすぐに読みたかったこととで直接店舗へ行った。 一冊だけ
作文が好きだった。 読書感想文は不思議なくらい苦手なのに。 小学校から中学卒業まで、なぜかよく学級通信に自分の作文が掲載された。 恥ずかしかったが、先生が笑ってくれるのがうれしかった。 辞書を眺めるのも好きだった。 そこには知らない漢字や単語や慣用句があって、言葉の表現の細やかさに驚いた。 言葉の海を漂うのは、どういうわけか気持ちがよかった。 もっと気持ちに沿う言葉があるのではないかと、何度も辞書を繰った。 文を書いたり本を読んだりするのに辞書を引きまくるうち
今日の札幌は朝から暖かい。 今年に入ってから一番の気温になるという。 いいぞ…実は昨夜、この気温を見越してカスピ海ヨーグルトの種菌を仕込んでおいたのだ。育て、育て。 早起きが気持ちいい季節だな、と換気しながら外の空気を目一杯吸い込む。 自粛・注意・警戒と、すっかり心がくさくさしていたが、外では朝早くから外壁工事のトンカンする音がのどかだ。 この上ないオープンエア―な職場は、大変なことも多かろうが、こういう気候だとなんだかとても手の届かない自由なものに思える。 ちょ
おうち週間と言うことで、家がテーマのアートアニメーションをご紹介。 「House」(Jan Lenica/ヤン・レニツァ、Walerian Borowczyk/ワレリアン・ボロズウィック) ポーランドが誇る映像監督二氏による共作。 とてもモダンな映像だが1958年のものだから驚きだ。 この作品についてはポーランドの文化を紹介するCULTURE.PLのこちらの記事が詳しい。 こういった実験的な、無機質で個性を押し殺したような映像たまらない。 もうひとつ、家でじっとし
私の母は一度読んだ本を読み返さない。 貸した本の感想もあまり言わない。 読みにくかったときや好みでなかったときは、それとなく断りを入れてくる。 そんな母が珍しく気に入った本を、三冊紹介してみる。 いずれも今の季節のような、温かで穏やかな本だ。 ちなみに、母が過去に自分で買った本は西村京太郎や東野圭吾などサスペンス・ミステリー中心だ。 私はあえてその辺を外して貸すようにしている(色々読んでほしいから)。 「サザエさんの東京物語」(長谷川洋子) これは母がおそらく
一応、ゴールデンウィークが始まった。 世間的には全くゴールデンではないのだろうが、本の虫的には読書時間を得たことになる。 本当なら、本を買い込んで札幌市内の行きたい喫茶店をめぐる予定だった。 おいしい珈琲を飲みに行けないのは残念だけど、どうにもならないものは仕方がない。 せっかくの十二連休、十二つながりで「十二国記」(小野不由美)を読み直そうかと思っている。 特に最新刊にあたる「白銀の墟 玄の月」は、気持ちがはやりすぎてじっくり読み込めていない気がしていたのだ。
大人になったな、と思う瞬間。 昔は理解できなかった本が、今は読めるようになっていた時。 こんなに深い意味があったのかと、うれしくなる。 表の意味だけでも面白いのに、裏にもこんなに詰まっているとは…。 すると調子に乗って、過去のそうした本を引っ張り出し始めてしまう。 あるいは悪夢的な部分だけが印象に残っていて、あれは何だったのか、確認するために読み直すことがある。 「悪童日記」(アゴタ・クリストフ)がそうだ。 この本も図書館で出会った。 大判の画集の棚の、柱を挟