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院進を考える ①就職とは何か

急に思い立って久しぶりに note を書いてみることにしました。今回は院進について考えるにあたって自分の人生における就職の意義を考えます。

記事は6分強で読めます。全 3,087 文字。


本記事の目的

 大学生になって、高校生の頃と比べて「やるべきこと」に追い回されるようになりました。人と長時間にわたって話し込むことが減り note の更新も止まり、なんとなしに自分の言語化能力が下がっているのを感じます。

 そんな中、私もとうとう3回生になり、先輩方や同期の幾人かが就活に勤しむ姿をしばしば見かけるようになりました。私は院進を前々から決めていたので特段の動きもなくのうのうと生きていますが、そうしていると自分が院進しようとしているのは単なる就活からの逃避ではないのかという不安を感じるようになってしまったのです。

 そこで、本記事では進路について自分の思考を言語化し、それによって私が院進しようとした理由を再度確認し、これからの行動指針を明確化することを目的とし、ここではその前提として就職について考えます。

 なお、本記事は私の個人的な考え方を整理するものであり、私特有の価値観や評価基準が多分に含まれます。これは自分の考え方が一般的な観念だと主張するものではありませんし、私以外のあらゆる人の価値観を否定するものでも当然ないということを予めお断りしておきます。
(注:もし何か「それは違う」と思うようなことがあればぜひ躊躇なくご指摘お願いします。頭の中で考えを巡らせていると自分自身の間違いにはなかなか気づけないものですので。)

人生の方向性を考える

 院進について考える前にまず、これが最終的に作用するところのものである私の人生について考えましょう。なぜなら、院進は人生におけるひとつの選択であって、よりよい人生の実現という目的に対する手段でしかないからです。最終的に目指すところがあやふやな状態では手段は正しく評価できませんからね。

 よりよい人生とは何でしょうか? 幸せとは? これを考えることは非常に難しいのですが、ここではすべてが満たされた状態を幸せであると定義したいと思います。さて、「すべてが満たされた状態」と聞いて何か思い当たるフレーズはありませんか?

 ……そう! 世界保健機関憲章前文ですね!

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。

(日本WHO協会, n.d.) [1]

 この WHO の健康の定義を1回生で取った健康科学の講義で知ったとき、私は感動しました。何たる理想主義! この定義通りに “健康” な生活が送れたらどんなに嬉しいことでしょう。
(それと同時に、これ健康の定義というよりは幸せの定義だろ、とも思いましたが。World Health Organization じゃなくて World Happiness Organization に改名した方がいいだろこれ。それはそれとして世界幸福機関って文字列のディストピア感やばいな…… 幸福は義務です。市民、貴方は幸福ですか?

 “健康” になること。“健康” に少しでも近い状態を維持すること。これが私にとっての「よい人生」の定義であり、人生の目的です。

注:これ以降、“健康” という単語を断りなく世界保健機関の定義による文脈を汲んだものとして用い、単なる病気にかかっていない状態とは別個の概念として考えます。

リスク管理としての就職

 我々はどうして働かなくてはならないのか? この問いに対して、「働かなきゃ食っていけないからだ」という答えをよく耳にします。しかしながら、この答えは不十分だというのが私の意見です。ほな親のすねかじったらええやんけ。親死んだら生活保護受給したらええやん。

 では、どうして我々は働かなくてはいけないのでしょうか? 私にとってこの答えは明白で、「健康に過ごすにはそれが最も手っ取り早いから」です。肉体的に満たされた状態の実現にはある程度まとまったお金が必要だし、社会的に満たされた状態であるためには一定の自立が要求されます。

 一見すれば、ニート(これは NEET という言葉の定義通りに捉えていただいてもかまいませんし、ネットスラング的ニュアンスで捉えてもよいでしょう)は理想的状態に見えるかもしれません。自分からは何もすることなく、他者の援助によって一定以上の生活水準を与えられているからです。

 しかしながら、よく考えてみればこれが真の健康を達成していないことは明白です。その生活を支えているのは一体誰でしょうか? 親? 親族? いずれにせよ、その協力者がいなくなったとき、その仮初の健康は崩壊することでしょう。自身の健康を他者に委ねれば、その他者の喪失によって健康も奪われます。自身の健康を自身で実現していれば、自身が喪失されたところで自身の健康という概念も同時に雲散霧消する(だって自己がもうないんだもん)ので問題ありませんね。

 なお、この議論は専業主婦/主夫を否定するものではありません。家事も労働も、自分の健康のために自分のリソースを割く行為であるか、他者の健康に寄与する何らかの行為を行いその対価に有形無形の利益を獲得する行為であるという点で等価であり、金銭という実体の移動の有無がその2つを分けているにすぎないと考えます。また、そうした家事行為によって確かな労働力をパートナーに提供しているという点で、ニート等とは性格を全く異にするものであるということを強調しておきます。

 同時に、いわゆる “ブラック” と呼ばれる過酷な労働はこの観点から否定されます。健康に過ごすために労働をしているのに、それによって肉体的あるいは精神的苦痛を受けていては本末転倒というほかありません。

 すなわち、就職の本質は自分の健康を実現する主体を自分自身へと帰属させる手段であり、私の人生を他者という不安定な存在ではなく自分によって安定的に管理しようとするリスクマネジメントであるということができます。

 また、この意味から就活を解釈しなおせば、就活というのは個人が自分の健康を最もよく実現してくれる共同体を発見する行為であり、それと同時に企業という共同体が自身の(共同体としての)“健康” を最もよく実現してくれる構成員を発見する行為でもあるというのが私の考えです。

さいごに

 ここまで長々と書いてきましたが、長々と書きすぎて本題の院進について語る前にかなりの分量を割いてしまいました。夜も更けてきたので一旦ここで記事を改めることにします。

 そういえば前回記事からもう3か月も経っているんですね。何とか暇を見つけて更新再開できたらなぁと思っています。高3の時のように楽しんで読んでくれる人がまだいるとよいのですけれど……

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参考文献

  1. 日本WHO協会. (n.d.). 世界保健機関(WHO)憲章とは. 
    https://japan-who.or.jp/about/who-what/charter/ 

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