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二人称単数はなぜ消えたか

 この記事は約5分で読めます。全2762文字。

 今月頭の記事でご紹介した英語の二人称代名詞、"thou"。これがなぜ標準語から姿を消してしまったのか、今回は英語の歴史を紐解きます。

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 上記リンクに貼られた記事は、本記事の前編になっています。前半の二人称代名詞に関する箇所を読んでおくと参考になるかもしれません。

複数扱いの「一人」

 標準語から "thou" が消えた理由を理解するためには、英語に存在する特殊表現を知る必要があります。それは「Royal We (尊厳の複数)」という考え方。

 これはもともと欧州の高い身分の人々によって使われた考え方で、君主や高位聖職者などが個人の立場ではなく民の統治者として発言する際に自分のことを一人称複数で表したものを指します。例を見てみましょう。

 下記は国際連合事務局の Office of Legal Affairs (OLA, 法務部) 傘下の Codification Division (COD, 法典課?) が発行する the Reports of International Arbitral Awards (RIAA, 国際仲裁裁定に関する報告書みたいな意味です) のうち、1920年以前を初めて扱った Volume IX から取ってきました。The Cordillera of the Andes Boundary Case, Argentina, Chile (アルゼンチン―チリ間におけるアンデス山脈の国境問題) から、Award, 20 November 1902 (1902年11月20日付裁定) の節です。

(略)
        Now, Wᴇ, Eᴅᴡᴀʀᴅ, by the grace of God, King of the United Kingdom of Great Britain and Ireland and of the British Dominions beyond the Seas King, Defender of the Faith, Emperor of India, etc., etc., have arrived at the following decisions upon the questions in dispute, which have been referred to Our arbitration, viz. :
(略)

https://legal.un.org/riaa/cases/vol_IX/37-49.pdf#page=2 より
スモールキャピタルは原典通り
省略、強調は引用者による

 和訳すると下のようになります。太字で強調した "Wᴇ" と "Our" が尊厳の複数にあたりますね。

(略)
 ここに、、神の恩寵によるグレートブリテン及びアイルランド連合王国の王にしてイギリス海外自治領の王、信仰の擁護者、インド皇帝等々を兼ねたるエドワードは紛争に於ける論点に於いて以下に掲げたる決定と共に在り、此れはが裁定なりて、すなはち、
(略)

敬称の成立

 さてこの尊厳の複数が thou の消滅にどう関わってくるのかというと、これが後の時代になって意味が変わってくるのです。さながら日本で江戸時代に大商人などが名字を私的に名乗ったように、君主や高位聖職者によってのみではなく社会的に高い地位にある人にも尊厳の複数が広がっていき、同様に目上の人に対して話しかけるときにも尊厳の複数が用いられるようになります。

 そうして起きたのが二人称単数における親称敬称の分離でした。フランス語では二人称複数の "vous" が、英語では二人称複数の "you" が単数敬称に転移し、フランス語では親称の "tu" と敬称の "vous" が、英語では親称の "thou" と敬称の "you" が並立することになります。

 実はここに至るまでに、元々英語の二人称単数であった "ye" がその目的格である "you" に乗っ取られています。その結果として "tu - vous" と "thou - you" が互いに押韻の関係になっているのもまた興味深く、更にディープな英語の歴史が大きな口を開けて僕らを待っているのですがここでは深く掘り下げません。

他言語に残る「敬称」

 実際、フランス語では親称と敬称との区別は今も残っています。フランス語の基本的なイディオムで「お願いします (please)」という意味の "s’il vous plaît" (シルヴプレ) というのがありますが、ここに出てくる "vous" こそ二人称単数敬称の "vous" が与格になったものなのです。逆にこれが友達などに頼むときの「よろしく!」くらいのニュアンスなら、二人称単数親称の "tu" の与格である "te" を使って "s’il te plaît" (シルトゥプレ)となるわけです。

英語における変遷

 さて、フランス語では使い分けが今もなされている親称と敬称ですが、英語では親称 "thou" が消えています。この理由はハッキリと分かっているわけではないのですが、面白い仮説があるので取り上げてみます。

 それはプロテスタントに属するピューリタンの宗派、クエーカーや水平派に対する反発がもとではないかという説です。これらの信者は当時としては行き過ぎた平等主義の傾向にあり、社会から忌避されることも多かったようです。

 彼らは「神の前ではみな平等である」という信念のもと、全ての二人称を上下関係を意味しない "thou" で統一しました。裏を返せば、自分が一目置くべき相手に "you" を使わない人はクエーカーか水平派であるということになります。

 これが正しいとすると "thou" は「私はあなたを尊敬しない」あるいは「私は急進的な人間だ」という意味合いの符丁になってしまうのです。確かに使いたくなくなる気持ちも分かりますよね。最近の日本語だと例えば「怒りで震えて涙が止まらない」などでしょうか。

※ 論理的に厳しく言えば「クエーカーか水平派ならば "thou" のみを用いる」と同意なのは「"you" を用いていれば両宗派のどちらでもない」です。まぁそもそも僕は「を返せば」と言っただけで「同じ意味です」とも「に言えば」とも「対偶を取れば」とも言っていませんけれどもね。ちなみに下書きの時点では「逆に言えば」って書いてありました(ダメじゃん)。

さいごに

 今週は記事の書きすぎた部分を独立させる形で英単語の盛衰を語りました。この記事が良いなと思った方はスキフォローシェアなどしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします!

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