原爆忌・終戦報道に思う

 この時期、1945年8月に起こった一連の出来事を思い起こす報道がなされます。毎年、新たな歴史的事実が明らかになることが報じられ、日本中があの戦争について考え思沈します。

 その一方で、お隣り韓国では、8月15日は「光復節」として国の解放を祝う日になっています。昨日、こっちで事業をしている韓国人とラインで話したら、お盆の間はお店を閉めて韓国の自宅に帰ることなんかを話していたら、光復節の話しになりました。
 過去、日本の軍靴に踏みつけられた地域では、同じようなことをしているようです。

 最近、歴史認識の世界で、戦前の日本は素晴らしかったという人たちがたくさんいます。いわゆる、ネット右翼と言われている人たちがそうですが、それ以外にも、日本会議といった極右思想を持つ人たちの政治団体に加入している人たちが政権の中枢にいる人たちもそういう考え方の人がいます。

 幼い頃から、満州や南方に戦争に行きえらい目にあって帰った近所のおじいちゃんの話しを聞き、芋ばかり食べて牛馬同然に田畑山林で働いた両親の話しをきくと、とんでもないというのが僕の正直な思いです。が、それはともかく、同じものを見て、その感じ方や解釈が異なる。いわゆる歴史認識が、周辺国と日本の歴史認識の隔たりがますます大きくなっていることが心配です。

 そもそも、我々の戦後は、あのポツダム宣言を受け入れたことに、いの一番があります。あれを受け入れたがゆえに、今の日本ができたわけですから。それに反対する右翼は、それがゆえに戦後体制を「ヤルタ・ポツダム体制打破!」と叫んできたわけです。

 もし、大日本帝国の体制を肯定しあの体制を取り戻すというのなら、右翼のいうように、ポツダム宣言を破棄すべきだということになるでしょう。その結果どうなるか。マッカーサー・GHQのやったことを全否定し、その後のサンフランシスコ講和条約もなかったことになり、国連加盟もあり得ないので遡及的に脱退。
 いまさら国連を脱退し、財閥復活、大地主制度の復活、家父長制度復活、そして10年に一回戦争する国に戻れるはずがありません。もしやれば、日本を取り戻すどころか、戦後日本をぶっ潰し戦後体制のなかで蓄えた富が雲散霧消するという、革命政府まがいのことを保守政党がやってしまうことになるでしょう。

 私は、中道左派の思想を持っていますが、現実問題としてこの国で力を持っているのは保守政党である自民党です。その意味で、穏健な保守思想を持つ人たちはどうしても必要です。そうでなければ、極右が保守を飲み込んでしまい、もともと弱い左派はあっという間に潰されてしまいます。これは、日本にとっての災いです。

 いま、自民党総裁選が喧しくなっております。僕らは部外者ですが、もし保守を自認するのであれば、保守としての矜持を見せてほしい。「本物の保守は、革新と話しもちゃんとできるし、変えるべきは変えていく。極右と一緒にしないでいただきたい。」と胸を張って言える保守を待望したい。

 戦争のこととはだいぶ離れてしまい、何言ってるのかわからない結論になりましたが、あえて、グダグダな文章にさせていただきました。

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