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元気だった頃をほろ苦く思い出しました。
今を遡ること27年前。隣まで1kmあり、田んぼや畑や山しかない四国の山奥で高校生まで過ごした僕にとって、東京はほとんど外国のような世界でした。 土曜日午後や日曜日にはお風呂の薪を取りにチェーンソーで山に入って間伐材を朝から晩まで切ったり、田植えから農薬散布、真夏の稲刈りとそのあとの田んぼを耕すことなどなど。今のうつ病とてんかん発作に苦しむ自分からは考えられない元気である意味豊穣な生活を過ごしていました。 「家も貧乏やし、高卒で地元の役所に入り司法書士、あわよくば司法試験の勉強しながら独立しよう」と思っていて、大学には行くつもりがありませんでした。 そこに、高校の先生や知り合いから「君、もったいないよ。奨学金や周りの援助でなんとかなるから、大学にいった方がええよ」と言われ、意を決して東京郊外にある大学に初めて推薦入試を受けに行き、幸い合格することができました。 初めていった'92年11月の東京は、クリスマスのイルミネーションが綺麗でした。初めて見る通勤ラッシュでは、無表情な顔をしたサラリーマンたちを見てなんか怖いなぁ・・・と思ったことを覚えています。 中村駅(高知県四万十市)から特急南風に乗って瀬戸大橋渡って岡山に行き、そこから生まれて初めて乗る新幹線で一路東京に。晩秋の東京駅はもう暗くて前述のサラリーマンがいっぱい。生まれ育ったところとまるで違う風景に、半分外国に来たような気分さえしました。 泊まったのはホテルではなく、同郷の優しい先輩の下宿でした。夕方には毎日ファミレスに連れていってくれ、その先輩の車でかかっていたのが「クリスマスキャロルの頃には」。都会の雰囲気をいっぱい感じたのを、懐かしく思い出します。 今、中年になり、社会の嵐に翻弄された末に、うつ病・てんかん発作を患ってます。22年3ヶ月勤めた役所も退職を余儀なくされ、法律系の職業をしています。おまけに3年前にはASD(自閉スペクトラム症)であることも判明し、薬がないと生活できない状態です。 薬に無縁でバイクの免許を取るまでの高校1年間は片道20kgを自転車で行き帰りしていたのが全く苦じゃなかったあの頃。テレビで報道される都会に行けばなんとか生活レベルが上がると信じていた頃が、本当に懐かしいです。その反作用というべきか、中年になった自分が情けなくなったり、「今までこの27年間、何やってきたのやろう」と思うと、苦い思いが蘇ります。 よく、「人は迷ったら原点に帰れ」と言われます。今の僕にとって、原点はあの頃にあるように思えます。ただ、懐古趣味に終わるのではないかと思ったりもして、どうしようか考えてしまいます。 今からでも遅くないのかな・・・