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2019年6月30日を持って、役所を辞めました。その後、ブロッコリーとオクラ農家をして…

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2019年6月30日を持って、役所を辞めました。その後、ブロッコリーとオクラ農家をしています。 FX詐欺にあったりといろいろありましたが、生き抜いていきます。

最近の記事

「人生、人と比べてもしゃーない」

 僕の幼友だちに元借金魔だった人がいます。僕も10数年前に相当彼には貸し込み、もう行方が分からないし取り立ては無理だろうと思っていました。  ところが、掃除をしていると彼と交わした借用書が見つかりました。そこで一計を案じ、住民票で彼の現住所を追跡できるのではないか。もしそうなら内容証明郵便を送って請求しよう。そう考え古巣の役所に行くと案の定可能とのことで、移転先の役所に住民票を請求してはまたその先に請求するという作業を繰り返し、遂に彼の居場所を突き止め、当初の案通り内容証明

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      しばらくぶりの投稿。時期外れですが載せてみました。

      • 台風14号に思う農業のリスク

         シルバーウィーク前半の台風14号で、お勤めの皆さんの中には連休が台無しになったと怒った方が多かったのではないでしょうか。  実は、我々農家にとってもあの台風は、災そのものでした。その最たるものは強風。しかも、塩分を含んだ塩風です。  ご存知の方もおられると思いますが、一般的に植物は塩分が大敵です。最初にアップしている写真のように、普段はキレイにパーっと開いているオクラの葉っぱが、あたかもほうれん草のおひたしのようにクシャッとなってしまうんです。しかも、土壌まで塩分に浸か

        • 田舎人、でも閉鎖的なのがいや

           過疎地で生まれ育ち、東京近郊の大学に通い、ブラックアルバイトばかりにあたり、怖くなって就職氷河期まっただ中の1997(平成9)年4月からなんとか地元の公務員にありつきました。当時、中高年のリストラが話題になり、山一證券や北海道拓殖銀行の破綻、アジア各国の通貨が激安になって経済が崩壊する国がたくさん出るという暗い暗いニュースが飛び交う中で、役所に職を得たことに本当に幸運を感じたのを覚えています。  ところがその職場でパワハラという思いもしなかった経験をすることになり、挙句、

        「人生、人と比べてもしゃーない」

          「死」について考えてみました

           FX詐欺に始まり、去年のオクラの不作、また遡れば役所退職という人生の困難にあって、ふと頭をかすめるのが「死」の文字です。  2019年5月に愛する人を亡くした直後から、「死んだら人はどうなるのか。何を感じるのか。窒息する苦しみを永遠に味わっているのではないか」などなど、大変な疑問と恐怖に苛まれました。  そんな中、過去世療法・催眠療法、臨死体験の本や動画、そして少々宗教の本などを見まくりました。  その中で辿り着いた結論は、やっぱり死は全ての終わりではないということで

          「死」について考えてみました

          FX詐欺に遭いました。被害額200万円超。

           昨年5月、FX詐欺に遭いました。  世に報道されているような典型的なものでした。  海外系マッチングアプリで知り合った方から、唐突に「FXは儲かる」「日本ののでは儲からない」「私は一日でこれだけ儲けた」と、MT5(操作画面の一種です)の画面を送ってきました。  退職金が減っていく一方だったので、ついつい乗ってしまいました。聞けば、相手の叔父が金融庁に勤めていた方で、そのアドバイスに従えば確実に儲かるとのこと。言われるままにお金を暗号資産で振り込み指示どおり取引したところ

          ¥300

          FX詐欺に遭いました。被害額200万円超。

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          嵐の昨年とこれからの想い

           久しぶりの投稿になりました。  今年もオクラを作りました。昨年から初めたオクラ栽培ですが、第一年目の昨年は一言で言うと大失敗。選別の方法は農家ベテランの妹夫婦に聞いたものの、いざ市場に出すと不良品が混ざっていたことから二束三文の値段。市場に出す選別がうまくいき始めると、今度は連日の大雨と芯止まり現象で半月、全くオクラが取れない時期が続きました。 (昨年は8月後半ずっと雨が降りました。芯止まりとは肥料不足のせいでオクラの先端に花が咲かず蕾が付かない現象。これになると次になり

          ¥1,000

          嵐の昨年とこれからの想い

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          ウクライナに平和あれ。

           note への書き込み、久しぶりです。  昨年は初めて植えたオクラが失敗し、得体の知れない外国人からのFX詐欺に遭い、極め付けに僕の不注意でバイクと接触事故を起こしてしまい全治一ヶ月の怪我をさせてしまったことで裁判所の略式命令(罰金刑)を喰らうわで、散々な年になりました。  財政的に被ったダメージはもとより、それらによる心労によって元来のうつ病がひどくなったことが堪えました。幸い、オクラの失敗については原因が分かったので今年の育て方の方向がだいぶ掴めています。FX詐欺に

          ウクライナに平和あれ。

          やっぱり体育会系組織は無理・・・

           久しぶりに書きました。  ぼくがずっと恐怖を感じるものの中に、体育会系組織、もっと言えば旧帝国陸海軍を連想させる組織や人があります。  今でも忘れられないのは、小学校一年生の時。山奥の木造校舎で複式学級。ぼくの同輩はぼくともう一人の2人でクラスは一つ年上の二年生2人の4人でした。担任の先生は昭和一桁生まれの軍隊チックな女先生。算数での九九なんかのときは、「Hiroくん、立ちなさい。九九!!!」と言われ、直立不動で「いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん・・・・くわしち

          やっぱり体育会系組織は無理・・・

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          元気だった頃をほろ苦く思い出しました。

          今を遡ること27年前。隣まで1kmあり、田んぼや畑や山しかない四国の山奥で高校生まで過ごした僕にとって、東京はほとんど外国のような世界でした。 土曜日午後や日曜日にはお風呂の薪を取りにチェーンソーで山に入って間伐材を朝から晩まで切ったり、田植えから農薬散布、真夏の稲刈りとそのあとの田んぼを耕すことなどなど。今のうつ病とてんかん発作に苦しむ自分からは考えられない元気である意味豊穣な生活を過ごしていました。 「家も貧乏やし、高卒で地元の役所に入り司法書士、あわよくば司法試験の勉強しながら独立しよう」と思っていて、大学には行くつもりがありませんでした。 そこに、高校の先生や知り合いから「君、もったいないよ。奨学金や周りの援助でなんとかなるから、大学にいった方がええよ」と言われ、意を決して東京郊外にある大学に初めて推薦入試を受けに行き、幸い合格することができました。 初めていった'92年11月の東京は、クリスマスのイルミネーションが綺麗でした。初めて見る通勤ラッシュでは、無表情な顔をしたサラリーマンたちを見てなんか怖いなぁ・・・と思ったことを覚えています。 中村駅(高知県四万十市)から特急南風に乗って瀬戸大橋渡って岡山に行き、そこから生まれて初めて乗る新幹線で一路東京に。晩秋の東京駅はもう暗くて前述のサラリーマンがいっぱい。生まれ育ったところとまるで違う風景に、半分外国に来たような気分さえしました。 泊まったのはホテルではなく、同郷の優しい先輩の下宿でした。夕方には毎日ファミレスに連れていってくれ、その先輩の車でかかっていたのが「クリスマスキャロルの頃には」。都会の雰囲気をいっぱい感じたのを、懐かしく思い出します。 今、中年になり、社会の嵐に翻弄された末に、うつ病・てんかん発作を患ってます。22年3ヶ月勤めた役所も退職を余儀なくされ、法律系の職業をしています。おまけに3年前にはASD(自閉スペクトラム症)であることも判明し、薬がないと生活できない状態です。 薬に無縁でバイクの免許を取るまでの高校1年間は片道20kgを自転車で行き帰りしていたのが全く苦じゃなかったあの頃。テレビで報道される都会に行けばなんとか生活レベルが上がると信じていた頃が、本当に懐かしいです。その反作用というべきか、中年になった自分が情けなくなったり、「今までこの27年間、何やってきたのやろう」と思うと、苦い思いが蘇ります。 よく、「人は迷ったら原点に帰れ」と言われます。今の僕にとって、原点はあの頃にあるように思えます。ただ、懐古趣味に終わるのではないかと思ったりもして、どうしようか考えてしまいます。 今からでも遅くないのかな・・・

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          ストレス、というか漠然とした不安

           消費生活センターに勤め始めてもう丸7ヶ月。仕事が加速度的に複雑化してきました。  案の定というべきか、うつ症状とのたたかいになっています。原因は二つ。一つはベテランおじさんの荒っぽい物言い。もう一つはクレジットカード会社や、いわゆる「決済代行業者」と言われるところ、あとは得体の知れない業者とのやり取りです。  荒っぽいおじさんとのやり取りですが、これは相手は相手の言語を話していると解釈して対応しています。ただやっぱり、新人とはいえダメ出しをされると辛いものがあります。加

          ストレス、というか漠然とした不安

          うつながら少しは役に立ってるのかな。

           この4月から、あまり行く気はしなかったけどどうしても人不足ということで地元の消費生活センターに勤務を始めました。  ブロッコリーやオクラ農家をしようと思っていて、しかもうつ病の原因にもなったパワハラをもたらした組織で仕事するのはもう嫌だと思ってもいたので、何回も断りました。  相手がどうしてもというので、それならばといういうことで心身がおかしくなったらいつでも辞めるくらいの思いで引き受けました。  法律の心得は若干あるつもりでしたが、色々学びながらの仕事です。その中で

          うつながら少しは役に立ってるのかな。

          性的なものに対する嫌悪感の思い出

           幼い頃から、「風邪をひいた」と言ってはたまに学校を休む類の不登校気味で、今から思えば相当なうつ状態だったことを思うこの頃。愛し合った彼女が亡くなり一年が経ち、一人でいるといつも夜空を仰いでは思い出に浸る毎日です。  よく言われることがあります。「君、そんなに容姿も性格も悪くない、ていうかいい人だし、亡くなった彼女の家族に感謝されるほど愛情が深い人なのに、なんで思春期に彼女がいなかったの?」と。その点について自分でもものすごく不思議で、また車を運転しながら道ゆく思春期のカッ

          性的なものに対する嫌悪感の思い出

          この世が「できるやつ」ばかりになったら?

          ギクッとした題名になってしまった。書いてる僕も誰かがこんなこと書いてたらゾッとする。「なんかのビジネス書か自己啓発本の煽りじゃないか?」と。 僕はできるヤツの対極にいる人間である。まず、できることとできないことの差があまりに極端である。なので、小学校時代から僕の内面には不登校(僕らの時代には「登校拒否」なんて言われてた)の気配がずっと自覚的に存在した。 できない場面での僕は悲惨なものだった。小学校時代のあだ名は「ボケ老人」。22年3ヶ月勤めうつ病になった合わない場所での仕

          この世が「できるやつ」ばかりになったら?

          昭和の時代の残像−僕につきまとう影

           この4月から、人の勧めで農家を一時中断し、事務職に復帰することにしました。  が、まだ10日ちょっとしか経っていないのに、早くも持病のうつ病が再発気味。理由は簡単で、職場のベテランおじさんがえらくきつい物言いをしてくること。確かに役所という事務系の仕事に長くいたものの、新しい職場は一般事務とは違う法律の専門知識が要求される場所。法律の心得は若干あるものの、電話対応を終えるたびに対応の仕方が悪いときつい言葉で注意されるので、頭がうつでフリーズしてどうしていいかわからない状態

          昭和の時代の残像−僕につきまとう影

          ASD・うつ患者が農家をする。

           お正月三が日終えてすぐ収穫を始め、先日ほとんどのブロッコリーを収穫してしまいました。今年は暖冬のために値段が崩れてしまい、当初見込みの 2/3 の額にしかならない様子。うまくいかないことを見込んでいたとはいえ、やっぱり実際のダメージを受ける段になると、リアルにその痛みを感じてしまいます。  来月あたりから、今度は夏に取るオクラの植え付け作業をしようかと思っています。農業は予期せぬことがものすごく多いので、忍耐がどうしても求められます。ちゃんと収入に繋がるのか、これまた心配

          ASD・うつ患者が農家をする。