突然だけど当社比最悪な私の生活告白します
誰にも言えないことがたくさんある
自炊ができない。
具体的に言うなら、レンジで温めるのとケトルでお湯を沸かすの以外の調理ができない。米を炊くことすらできず、レンチンのご飯にレトルトのカレーをかけて食べている。栄養バランスなんかあったものじゃない。たまに野菜がどうしても食べたくなったらカット野菜を買ってきて、レジ横の割り箸をもらって、袋のまま食べる。
食事をベッドの上でしている。
部屋に机と椅子はあるが、そこでは食事をしない。YouTubeを見ながらベッドでご飯を食べて、食べ終わったら器をベッドの脇に置いて、横になってYouTubeを見たりネットサーフィンしたりする。器は次の食事まで洗われることはない。枕にカレーを溢したので、ティッシュで拭って、枕を裏返した。まだカバーは洗濯していない。
お風呂に入れない。
2日に1回入れたらかなり上等な方だ。3日に1回、もっと入れない時もある。お風呂に入れないから出かけられない、という日もよくある。決死の思いでお風呂に入っても上がる頃には力尽きて、ドライヤーができないのもよくあることだ。お肌のケアなんてもっての外である。今日からケアを頑張るんだ、と思って買ってみた化粧水や美容液や乳液は、結局たまにしか使われなくて、不健康な食生活も相まって肌はどんどん汚れていく。
洗濯ができない。
履いた前か後か分からないような靴下や下着が床一面に落ちている。出かける前それをひとつ拾って、使用前だと思ったら着るし、使用後だと思ったらその場にもう一度落としておく。いよいよ明らかに明日着る下着がないと思うと力を振り絞って洗濯機を回す。洗濯機の稼働が終わった1時間後に、洗濯物を回収して干す気力を持ち合わせているかはまた別の話。変な時間に洗濯機を回すので、せっかくベランダのある物件を選んだのにいつも部屋干ししている。
お金がない。
クレジットカードとか使えたものではない。自炊ができずレトルトや外食に頼っているせいだとは重々承知している。生活や心を潤すのに十分なほど働けていないせいでもある。ちょっとでもお金が入ると、別に今絶対必要というわけでもないものを買ってしまう。そして大抵、買ったところまでで満足して、それを使うたびに幸せや活力を得ることなんてない。未来の自分をあまりにも想像できないから、未来の自分がありがたがるようなお金の使い方ができない。
クソでかい嫉妬心を持っている。
友達のSNSには仕事や恋人や配偶者や子供についての投稿が当たり前のように溢れている。それはそう、彼ら彼女らの当たり前だから。同年代の友人のおめでたい報告にも心からおめでとうと言えない。素敵な日常を手にするためにどれくらいの苦労があったか私には分かり得ないが、現状私は持っていないので嫉妬している。私の努力や苦労が足りないだけかもしれない。少し前まではそれでもバイトをしながら趣味はなんとかできていたけれど、最近は趣味にも身体が動こうとしないので、趣味を楽しんでいる友達にも嫉妬している。
私はピエロだ、と思って、匿名ながらこの文章を人の目に晒している。
哀れむなり蔑むなり好きにしてもらって構わない。
最悪や最低などという言葉は軽率に使わないようにして生きてきたけど、今の私にはそういう言葉を充てても差し支えないと思っている。
最悪で最低でも、生きている。
もう少し攻めたことを言うなら、生きていてもいいと思っている。
何ができなくても、だから生きててはいけないなんてことはないと思うのだ。
誰かを助ける立場になくても、自立できていなくても、権力のある人に「生産性のない人」というレッテルを貼られても、だから生きてちゃいけません、ってことはない。
この世に生を受けた時に誰もそんな契約はしなかったはずだ。
逆に人生を終えるのにも、何かを成し遂げないと終われません、なんていう決まりはない。
どんなに人の役に立とうと、惰眠を貪り続けようと関係なく、全ての生き物に唯一約束された未来が死だと思っている。
大丈夫、って言ってしまうと軽々しく聞こえるかもしれないけれど。
生きてちゃだめなんてことはないし、そのうち必ず終わる。
誰かに、この文章のどこかが何かしらの形で響いたら嬉しい。響かなくても、自分の今の胸の内を誰かに知っていただけたことが嬉しい。
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