元不登校・摂食障害持ち中学生が留学に行くきっかけ③ 不登校になって気づいた自分の可能性
こんにちは!Fluffyです😚
今回は留学のきっかけ③ということで…
中2(今年2024)の5月近くから
地元の中学校に通えなくなったという話をします。
ここで1つ前置きさせてください!
私の記事では、
これまで通っていた学校に行けなくなった方(自分も含めて)を
「不登校」と表記させて頂いてます。
不登校という言葉は
マイナスなイメージを受けますし、
私自身不登校と言われると
どこか複雑で劣等感を感じます。
だから本当は見出しや文中に「不登校」という
言葉をあまり使いたくなかったのですが、
色々考えてみても簡単に表せるようなものや
一言で伝わる言い方が他にありませんでした…
そのため私の記事では
一律で「不登校」と書かせて頂きます😓
よろしくお願いします🙇
それでは本題に入りましょう!
1.中学2年生の5月、学校が辛い…?
中学2年生の5月。
学校生活史上初めて
学校に行くのが本当に苦しいと思いました。
本当に人生初の息苦しさ、重だるさ。
それまでの私は不登校なんて言葉とは全く無縁でした。
学校が大好き、楽しい。
中学校に上がってからは特に、
月曜日だってワクワクしてるくらい。
自分でいうのもナンですが、
成績もそこまで悪くはなく、委員会や係活動にも積極的だったと思います。
そんな私が学校に行きたくなくなりました。
ここまで読むと、
「いじめやトラウマになるようなことがあったのか」
と思われるかと思いますが、
そんなことはありませんでした。
特にいじめや何か大変なことが起こって
トラウマになったのでもなく。
人間関係に何かあったのでもなく。
本当に自分でも不思議でしたが、
何もないのにとにかく辛い。体が重い。
という状態でした。
肩に重石がのっているみたいで
授業もあまり集中できないし、友達との会話にも上手くのれないし…
1日やり過ごすだけでもう限界。
数週間もちこたえ、
ゴールデンウィークに突入しました。
休み中部活もあったので、
怠け癖がつくほど長い休みではなかったはず…
なのに、休みが明けたらもう体が学校に行くことを拒んでいました。
勝手にボロボロ涙が出てくる始末。
「疲れが溜まってるのかな。まあたまにあることだし、少し休めば大丈夫だろう。」と思うようにしてゴールデンウィーク明け、
1週間後に数日間、学校を休ませてもらいました。
その休みの間で身も心も休め、生活を見直しました。
しかし、体の重さや苦しさは変わることなく、
学校には行けませんでした。
何とか2日ほど登校して、、
それでもやっぱり休んでしまって。
特に原因も思い当たらないのに、
どうしてこんなにも辛いのか。
今まで出来ていた事がなぜできないのか。
自分はダメになったのか、このまま落ちぶれていくのか…?
そう焦って余計に辛くなりました。
今思えば、前々から何となく中学校というコミュニティにやりづらさは感じてました。
小学校に比べて、中学校は周りから見た自分のキャラみたいなものが決められているような気がして。
だんだんと周りが決める
「自分はこういう人、こういうキャラ」という型にはまらなければいけないとプレッシャーを感じるようになりました。
「自分はどういうキャラであるべきなのか。どんな自分が求められているのか。」
というプレッシャーの中で日々を過ごすようになりました。
中学校に入り、
そんなことを気にするようになってから
何となく感じていた辛さが
気付かないうちに降り積もっていたのかもしれません。
こうして気づけば私は学校に通えなくなっていました。
2.「地元の学校に通わない」という
新たな選択肢
学校に通えなくなってから数週間、
自宅学習をなんとなくでやりながら過ごしているうちに、少しずつこんなことを思い始めました。
「きっと自分は地元の学校に戻らないだろうな…」
この頃には、地元の学校に対して苦手意識が
生まれていました。
通っていた時はそこまで辛さなど
感じていなかったはずなのに、
思い返してみると心なしか体が重くなるのです。
それで、そんなことを両親に話したのですが、
「それならそれでいいんじゃないかな」
と2人とも私を肯定してくれました。
そして、
「地元の学校に通わなくてもいい。
それは逃げるとか怠けるとかではなくて、
新たな道を自分で切り開くということだと思うよ。すごいことだよ。」
「学校に行かなくなったってことは、
今まっさらなスタート地点にたったんだよ。
これからどんな道を選んでどう生きていくか。自由に自分の人生をデザインできる状態にあるってことじゃない?」
と話してくれました。
2人が自分を受け入れ、背中を押してくれたことは本当に嬉しかったし、その言葉のおかげで「これから自由に人生設計できる」という新たな可能性に気付けました。
こうして私は進路についてしっかり考え、
見通しをたてることにしました。
3.不登校。だからこそつかめるチャンス。
学校に通っていないということは、
全ての可能性に満ちたまっさらな状態にあるということ。
自分で道を選び、自分で人生をデザインするということ。
学校に通わなくなって約1ヶ月が経ち、
このことに気付いた私はこれからの人生計画をたてることにしました。
まずは
中学・高校をどうするか。
フリースクール?通信制の学校?
自宅学習?
でもどれもしっくりこない🤔
大切な分岐点だから本当にやりたいこと、学びたいことを選びたい。
…と考えていてふと、
「あ、海外の学校に通うのはあり?」
という突拍子もないことを思い付いてしまいました。
そこで色々調べてみて、
「中高生留学」というものもあるらしい
ということを知りました。
ずっと夢見ていた留学を実現するチャンスなのかもしれない!
…というわけで私は、
中学・高校留学をしたい。
それが自分の本当にやりたいこと、
求めている学びで、地元の中学校に行かない
と選択したからこそ選べる道だとおもう。
と両親に伝えました。
もちろん、「いいね!留学いこう!」とすんなりは行きませんでした。
留学は大きな決断ですし、
うちは大家族でただでさえお金がかかるので
当然です。
それでも2人は私の思いを受け取ってくれ、
できる限りのサポートをすると言ってくれました😭
そして具体的な計画内容ですが…
すぐにでも出発したいのが本心でしたが、さすがに半年は準備期間がいるということで、
入学は日本でいう中学3年生から。
1年滞在したらもう卒業ですが、
1年で帰国は短く感じるし、
高校も日本ではなく海外ののびのびとした環境で学びたいので、
滞在は高校卒業までの4年間。
というふうに進路を決めました!
こうして、不登校になった中学2年の5月。
大学生になったらと思っていた留学が
中学・高校留学という形で明確になってきました😚
まとめ. 不登校中学生の可能性。
最後まで読んでくださったみなさん!
本当にありがとうございます😊
今回はうまくまとめきれないところもあって
とても長くなってしまいました…
簡潔にいうと、
色んなプレッシャーから学校に通えなくなり、
でもそれを機に海外の中学校に通うという
道を歩み始めた!
…という話でした。
そして1つ伝えたいのは、
地元の学校に通わなくなったことは
悪いことではない。
自分の道を自由に選べる、人生を自由にデザインできるまっさらなスタート地点にたったということ。
不登校に限らず、何かをやめるということは
新たな可能性を手に入れるということ。
実際、私もずっと地元の学校に通い続けていたら、ぼんやり何となくで進路を選んで本当にやりたいことを見失っていたかも。
そう思ったら
これで良かったのかも、むしろこれが良かった
なんて思えました😄
ともかく長々と書いてしまいましたが最後までありがとうございました!
誰かの役に立てていたら嬉しいです☺️
次回からはようやく
留学紀行・準備編に入ります♪
それではまた今度👋