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論理的言語化と感性

 英文解釈は論理的整合性が非常に重要です。日本史の出来事の流れも因果関係の把握が重要です。生徒たちに知識の伝達をすることを生業としておりますので感覚で教えることは避けなければなりません。つまり、ありとあらゆる事象を論理的にそして首尾一貫して言語化しなければなりません。こうした中、言語化がいかに重要かをしみじみと感じております。

 一方言語化の重要性を認識しているからこそ、言語化できないものには魅力を感じます。例えば絵画、彫刻、音楽などの芸術です。絵画はなぜでしょう、言語化しなくても鑑賞しているだけで状況が内に入ってきます。もちろん主観という色眼鏡を介入して捉えていますので、外部(他人)とは違った解釈になることがあります。しかし、それが許されるのが絵画です。それぞれ諸個人の感性を受け止めてくれる、論理的言語化が必要のない世界。人間の創造した言語という最強ツールの枠外にある感性に問いかけてくる絵画に魅力を感じることは必須です。絵画の歴史を知ることは楽しみの一つですが、そこにばかり捉われなくとも歓迎してくれます。線を重ね合わせることにより新しい世界を生み出すことのできる絵画。ただ単にインクの染み、芯の汚れと言えますが、現存している自然界から採掘した黒鉛の鉛筆から、つまり現世界から脱世界の創造が出来るとは素晴らしいことです。

 論理と感性は相まって人の内に存在しています。昨今、英語学習、プログラミングなど論理的言語化のできる分野に傾向しておりますが、成績の観点からも言語化できない分野にも時間を消費してみてはと思っております。根拠の一つとして学校教育に音楽や美術科目があることを挙げます。かつて主要五科目のみだけを取り扱うことを試みた学校がありました。しかし結果は予想を裏切るもので、生徒たちの成績は伸びませんでした。音楽、美術などの科目をカリキュラムに取り入れた方が成績が良かったのです。受験科目ではない副教科は蔑ろにされておりますが、このことからもわかる通り、感性に問いかける科目をただ単に時間の消費科目と捉えるのでなく前向きに取り組むことによって成長が加速される可能性があるのです。


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ナイジェリアチンパン
バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。