自己肯定と自己嫌悪のサイクル
物事をふと俯瞰で見たときに
「あぁ、自分はこう見えていたのか。」
と思うことがある。
なんか嫌だなと思ってみていることが過去の自分と重なったとき、とてつもない自己嫌悪に陥る。何が嫌なのか明確にあるわけでもないんだが、漠然とした雰囲気のようなものに対する嫌悪感。
そう思うのは、もしかすると心のどこかで、自分以外の人間を見下している部分があるのかもしれない。「自分はまともだ。だから今感じる嫌悪感も正しいものだし自分は間違ってない。」と。
だがそれを俯瞰で見たときに過去の自分に当てはまってしまうのだ。
自分が心のどこかで見下している存在に自分も当てはまったとき、それはもう自己嫌悪にしか繋がらない。
それがきっかけで見下すことがなくなるかというとそういうわけでもない。
どうしても人は自分より下を見つけることで心にゆとりを持たせる生き物なのだろう。
実際それが必ずしも悪いことだとも言えない。
それが心に安定をもたらしているのは事実であり、そもそもほとんどの人間がそうして今まで生きているはずだ。
私だってそれは例外ではないし、だからこそ未だに人と比べ優位に立つことでしか正常な心を保てないのだろう。
自分の中で比較対象はなんだっていい。
「この人より自分のほうが音楽を愛している」「この人より自分のほうがゲームが上手い」「この人より自分のほうが考え方が大人だ」とか、なんだっていい。そうやって勝手に自分の中で比べて優劣をつける。
自分が優れているなら心が安定するし、自分が劣っているなら自己嫌悪に陥る。そもそもこれは比較対象がいないと成立しないのだ。それを探すことで余計な労力も消費する。実際、たった一つの人生を歩むうえでこの方法は効率が悪すぎるなと思う。
こういうところが私は不器用なのだろうな。こうしてまた自己嫌悪、この無限ループ。
気分は上がれば落ちるし、落ちれば上がる。しょうもないけどそういう流れがあるんだろう。うまくコントロールする方法はないものだろうか。