ぼくの好きなもの(パニック・オカルト映画編②)
こんにちは!
ぼくの好きなものを、いろいろなジャンルにわたってお伝えするこの「ぼくの好きなもの」シリーズ。
今回は、前回に引き続いて「パニック・オカルト映画」編の第2弾です!
前回第1弾で、パニック映画、オカルト映画とはなにか、その定義を以下のようにしました。
<パニック映画>
「主に1970年代を中心とした、大災害や大事故など、突然発生した異常事態の中で、主人公をはじめとした人々がさまざまな困難に立ち向かい、生き残るまでのドラマを描く映画のジャンル」
<オカルト映画>
「1970年代を中心とした、超自然・神秘・怪奇現象を扱った映画」
前回で紹介した以外にも、1970年代に作られたこれらジャンルに分類される映画でおもしろいものはたくさんあるのですが、いかんせん、現在インターネット配信で観られる作品は意外と少ないのです。
そこで今回の第2弾では、映画の制作年代を問わず、
「これはパニック映画・オカルト映画と言っていいよね!」
という作品を5つ選び、それらを紹介することにします。
古い作品にも、いまなお色あせない名作がありますし、比較的最近の作品でもすごくおもしろいものがたくさんあります。
ということで、はじめましょう!
1.「鳥」(The Birds, 1963)
これは、本当にいまなお色あせない、元祖「パニック映画」の名作ですね!
ある日から突然、鳥たちが人間を襲うようになる。
鳥の集団が人間を攻撃し、死者も次々に出る。
しかし、なぜ鳥が人間を襲うようになったのか、その理由はまったく明らかにならない。
家の中に避難しても、煙突など穴を見つけてはそこから集団で押し入ってくるほど狂暴化した鳥たち。
主人公たちはどうやって鳥たちの襲撃を逃れるのか・・・。
この映画、とにかく見せ方がすごい!
人を襲う鳥たちの群れ、マジで怖いです。
ぼくがこれをはじめて観たのは小学生のとき、TV放映でです。
これを観た後しばらく、外を出歩いていてもカラスやすずめなどの鳥に警戒するようになってましたw
鳥たちがなぜ人を襲うようになったのか、その理由が作中で一向にわからないことも、怖さを増幅します。
さて、ぼくは最初に観た当時から
「この鳥の大群、どうやって撮影してるのだろう?」
と思ってました。
まさか、実物の鳥をこれだけ多数、調教して言うことを聞かせるわけにはいかないでしょうからね。
現在では、どうやって撮影されたかその特殊撮影技術が明らかになっています。
一部の鳥は調教されたいわゆるタレント鳥で、それ以外は合成されたもの。
リアルに見せるため、特殊な方法の光学合成を使っているそうです。
1963年という時代を考えれば、画期的なことだったと思います。
もうひとつよくできていると思うのは、映像のアングルやカット割りのしかた。
よく工夫され考えられていて、実におもしろいのでそこも楽しんでほしいです。
また、恐怖をかき立てるもうひとつの要素、鳥の鳴き声。
なんと、実在の鳥の鳴き声を録音したものではなく、作られた電子音。
当時最新鋭の電子楽器、トラウトニウムを使って作られたのだそうです。
シンセサイザーの先駆となった楽器です。
さらに、この映画の特異な点。
この映画にはBGMがまったく使われていないということです。
鳥の声以外には、劇中でヒロインが弾くピアノ曲、学校の生徒たちが歌う合唱曲くらい。
これも、全体が緊張感で包まれる効果を高めています。
原作はダフニ・デュ・モーリエの同名の短編小説。
監督アルフレッド・ヒッチコックは彼女の小説を、この「鳥」も含めて3作映画化しています。
心理的サスペンスともいうべき描写を得意とする彼女の作品は、ヒッチコックにとってインスピレーションの源泉だったのかもしれません。
彼女の作品「レベッカ」もヒッチコックは映画化しています。(Rebecca, 1940)
こちらもサイコサスペンスの名作です。
こうした、ほかに類を見ない、さまざまな工夫によって作られたこの作品。
2020年代になったいまでも色あせない、不朽の映像芸術です。
観て絶対おもしろい!
必見映画のひとつと言えるでしょう。
2. 「ゴジラ」(Gozilla, 1954)
日本映画で「パニック映画」といえば、ぼくはまずこれを思い浮かべます!
この「ゴジラ」シリーズの第1作、いや本当に怖いですよ。
これ以降のゴジラ作品をぼくはあまり観ていないのですが、それはこの第1作が強烈にすごいので、あらためて後続の作品を観ようという気にあまりならない、というのが理由でもあります。
それくらい、この最初のゴジラは怖い!
ゴジラが登場するシーン。
最初に現れた島や、東京の街を破壊しながら歩くさま。
実におどろおどろしく、まるでオカルト映画のようです。
そういう意味では、この作品はパニック映画とオカルト映画、両方のテイストを持っていると言えるかもしれません。
制作年は1954年。
第二次世界大戦の終結、いわゆる終戦から9年しか経っていません。
この時代に作られたということは、この作品全体を覆う暗さと不安感、恐怖感に大きく影響していると感じられます。
モノクロ映像であることも、そうした全体の空気感を高めるのに一役買っています。
特撮技術についても、後年のカラー化してからの昭和ゴジラシリーズよりもすぐれていると観てて思います。
同時期のハリウッドSF映画よりもリアル感、ハンパないです。
キャスト陣。
山根博士役の志村喬、
尾形秀人役の宝田明、
山根恵美子役の河内桃子、
いずれも役に合ったキャラクターで好演です。
そして芹沢博士役、平田昭彦は強い印象を残しますね!
それから、序盤で島にはじめてゴジラが現れて家屋が破壊されるシーン。
両手で顔を覆いながら叫ぶ島民の役者さん、あの人の演技すごい。
あのシーン、ほとんど原爆投下そのものですよ・・・。
おそらく制作側は意識してああいう見せ方にしているのでしょう。
ということで、パニックでありオカルトでもある映画。
この時期の日本映画の底力を見ることができる一作です。
3.「死霊館 エンフィールド事件」(The Conjuring 2, 2016)
「死霊館」シリーズの2作目。
ぼくはこのシリーズ、これしか現時点では観てません。
「死霊館」という、いかにもB級ホラー映画っぽいタイトルに当初偏見を持ってしまい、自分が観たい映画の対象からはずしていたのですが、ネットレビューで「これはよい」との評価をいくつも目にしたことで興味がわいた作品です。
観た結果の感想は、「これは実におもしろい!」です。
最近のホラー映画らしいテイストも随所に見られますが、描かれている事件が1977年の実話にもとづいたものだということもあり、「1970年代オカルトフレイバー」の匂いがしまくってますw
ストーリー。
心霊などの超常現象研究家である米国人、エドとロレインのウォーレン夫妻。
エドはカトリック教会が非聖職者としては唯一公認した悪魔研究家。
ロレインは透視や霊視能力を持った霊能力者でもある。
夫妻は教会からの依頼で、英国ロンドン郊外エンフィールドにある家の住民であるシングルマザー一家に起こる怪奇現象を調査することになり、英国に渡りその家を訪れる。
そこではすでに、一家以外の近所の人や警察官など何人もの人が、家具が移動するなどの怪現象を目撃していた。
しかし、ウォーレン夫妻が到着して以降、心霊現象だと明らかに断言できるような現象はなかなか起こらず、霊能力者であるロレインも霊の存在を感じない。
夫妻とともに調査を進める超心理学者や心霊調査協会員の間でも、本当の心霊現象か、一家によるフェイクかで意見が分かれる。
それでも、ウォーレン夫妻は調査を続ける。
実は夫妻は、ここを訪れる前に二人とも異様な体験をしており、その体験がここと関わりがあるのではないかと考えていたのだ・・・。
この作品は、基本的にはオカルト映画的なテイストを持ったホラー映画。
ポイントは、そうでありながらも、同時に「愛」の物語にもなっているという点。
これがとってもいいのです。
子どもたちを守ろうとする、母親の愛。
おたがいを信じ守り合おうとする、兄弟姉妹たちどうしの愛。
そして、ロレインとエドのウォーレン夫妻の、夫婦愛。
邪悪な霊との戦いをとおして、登場人物たちがおたがいの「愛」と「信頼」をあらためて確認していき、結束を強めていくという展開は、前回紹介した「エクソシスト」とも共通します。
キャスト。
ウォーレン夫妻のロレイン役、ヴェラ・ファーミガ。
エド役、パトリック・ウィルソン。
この二人はいいですね。
どちらも特別にイケメンでも美女でもない俳優さんですが、演技がしっかりしていて説得力もあり、観ていてこの二人を応援したくなります。
そして、一家の次女(でしたっけ?)ジャネット役、マディソン・ウルフ。
この子の演技がすごい!
霊に取りつかれる役としてのリアルさは「エクソシスト」のリンダ・ブレアを超えるかもしれません。
彼女の存在によって、この映画のリアリティと怖さが格段に上がっている気がします。
なかなか正体を現さず、目的も見えない霊(悪魔)も、恐怖をあおります。
そして、最後エンドタイトルまで、見逃しちゃいけませんよ!
怖さはそこまであるのですから。
映画全体としての「怖さ」や「重厚さ」は「エクソシスト」のほうが勝りますが、こちらは観終わった後に、
「なんかいい話を観た」
という気持ちになります。
そんなホラー映画を観たいかたに、超おススメです!
4.「コンテイジョン」(Contagion, 2011)
これは最近観ました。
そうそう、2020年~2022年ごろ、コロナウィルスが猛威を振るっていた真っただ中の時期に、その時点より10年以上前に作られたこの映画が話題になってました。
しかしその際にはぼくは観る機会がなく、最近初めて観て
「うわ!」
となりました。
「これ、コロナ禍の状況とそこで起こったこと、まんまやん!」
これが観ての第一感想です。
という、10年近く前にまるでコロナ禍を予言したかのような映画。
すでにコロナ禍を体験したぼくたちには、ふたたび追体験をしているかのような気分になる。
そんな映画です。
内容的には「パニック映画」に属するものと言えますが、パニックといっても人々が災害などから逃げ惑うようなものではなく、じわじわと、静かに、静かに人々に襲いかかってくる恐怖。
ウィルス感染とは、そういう恐怖です。
起こっていく出来事を淡々と映していくドキュメンタリータッチで、それが描かれていきます。
この映画でパニックらしい描写というと、次々と人が死んでいく中、ネットのフェイク情報を信じた人々が、ほかの家を襲ったり店を襲撃したりして品物、なかでもレンギョウから作られたホメオパシーを奪い合っていく、という場面くらいでしょうか。
この、「フェイク情報により効きもしない薬を特効薬と信じる人々」の描写ですが、この映画が作られた時点ではまだソーシャルメディアの普及以前のため、人気ブロガーによるブログをとおして拡散していくという描写になっています。
ですが現在、ソーシャルメディア時代になっても、起こっている事実はまったく変わっていません。
そのことに、あらためて怖さを感じますね。
こういう、災害などの非常事態になると民衆が暴動を起こしたり商店を襲って商品を盗んだりする、というのは、海外では実際にもあたりまえに起こる情景ですが、日本ではコロナ禍でも起こりませんでした。
ここは日本のよいところと言えますね。
さてストーリーをかんたんに。
香港出張から帰ってきた女性ベスが、ミネアポリスの自宅で原因不明の急性疾患で倒れ死亡し、その息子も同じような症状で死亡する。
接触者であった夫ミッチは隔離されるが、彼は発病しなかったため解放される。
どうやら彼にはその謎の病原体に対する免疫があるらしい。
彼は娘ジョリーの命を守るため全力を尽くす。
いっぽう、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)では、責任者エリス・チーヴァーが生物兵器によるものという疑いの線も含め、部下の医師エリン・ミアーズをミネアポリスに派遣し、調査が始まる。
エリンは、米国内で最初の発生源がベスだというところまでつきとめるが・・・。
ウィルスの分析をしワクチン開発のために全力を尽くすCDCの研究員たち。
妻と息子が感染してなくなってしまった夫ミッチと、彼の残された娘ジョリーとのサバイバル。
CDCがウィルスについての情報を隠蔽しているとブログに陰謀論を投稿し、自己を真実を追求するジャーナリストとうそぶくアラン。
最初の発症者をつきとめるWHOの職員レオノーラと、彼女を人質にとることで自分の出身地の村向けに優先的にワクチンを送るよう本部を脅迫する、WHO香港職員ハン。
こうした、さまざまな立場の人々の行動が同時進行で進む群像劇です。
明確な主役はいないと言ってもいいでしょう。
あえていうならば、主役は「ウィルス」です。
「ジョーズ」のとき、サメがそうだったように。
主要キャストはみんなすばらしい演技をしています。
ミッチ役のマット・デイモン。
彼は真実がなにもわからないまま、ウイルス蔓延の恐怖の中に巻き込まれていく「民衆代表」みたいな役ですが、生き残った娘をなんとしても守ろうとするその静かな勇敢さ、民衆側の主役と言っていいと思います。
そして、CDC職員チーヴァー役のローレンス・フィッシュバーン。
決して冷静さを失わず、ウィルス感染を食い止め、ワクチン開発が進むよう手を尽くす誠実な人柄が伝わってきます。
その部下で発生源の調査にあたるエリン医師役、ケイト・ウィンスレット。
現地に赴き、全力を尽くしてウィルスの発生源を特定しようとする強い使命感を持った役柄を好演しています。
ぼく自身としては、マット・デイモンとケイトの演技が特に印象に残りました。
さらに、WHOの職員レオノーラ役、マリオン・コティヤール。
ワクチンの開発に成功するアリー医師役、ジェニファー・イーリー。
この二人も真摯さが感じられていいです。
この人も、絶対言及しておきたい。
陰謀論ブロガージャーナリスト、アラン役のジュード・ロウ。
ぼくはいままで、この人をいい役でしか見たことがなかったので、この役には少々びっくりでしたが、いやこれハマり役ですね。
説得力あります。
最初の感染・死亡者ベス役、グウィネス・パルトロー。
この人もハマり役だと思います。
いろんな意味で微妙な演技をしなければならない役どころですが、よく引き受けたな、と思います。
ということで、コロナ後のいま観ても、実にリアルなウィルス感染の恐怖を、抑えたドキュメント風の描写で見事に表現した良作です。
5.「ラストナイト・イン・ソーホー」(Last Night In Soho, 2021)
英国好きな人!
特に、1960年代のUKカルチャー・音楽好き!
これは絶対観たほうがいいです!
この映画は、現代のロンドンと1960年代のロンドンを行ったり来たりしながら展開する、ちょっと不思議だけどポップでファッショナブルな映画。
ミステリー、サスペンス、ホラー、オカルト、さらにはタイムトラベルと、さまざまなテイストをうまくブレンドして、怖いけれども同時に楽しい!という、なかなか難易度の高い味わいを作り出している一作です。
BGMにも、1960年代のUKロック・ポップスが満載!
英国音楽が好きな人にもたまりません。
ストーリーを。
英国の片田舎に住んでいたエリー(エロイーズ)は、洋裁が大好き。
ファッションデザイナーになることを夢見て、ロンドンのファッションデザインスクールに入学し、ソーホーにある老婦人が家主の下宿屋に入居する。
実はエリーには霊感があり、実家にいたときも幼いころに死んだ母親の霊が見えるという体験をたびたびしていた。
下宿に入ってからエリーは毎晩、ベッドに入り寝ると1960年代のロンドンにタイムスリップする夢を見るようになる。
その夢の中で、彼女は毎回歌手志望の女の子であるサンディを見、やがて彼女と一体化するような気分を体験する。
しかし、クラブ歌手として成功したいというサンディはナイトクラブの歌手ブッキング担当であるジャックに近づき恋に落ちるが、次第にジャックは売れるためだとサンディにストリップまがいの行為、果ては売春まで強制するようになる。
夢と現実の間で混乱を深めていくエリーは、夢の続きを見ていく中でサンディの夢は現実に起こったことだと確信するようになる。
そして、夢の続きは恐ろしい展開となっていく・・・。
いやー、いいですねえ、このポップ感とホラー間の同居!
オカルト映画的だなとぼくが思うのは、ヒロイン(のひとり)エリーが持つ霊能力の描写。
霊視体験、母親の霊が見えるとか、夢で過去に実際に起こったと思われる出来事を追体験できちゃうとか、こういう霊能力が1970年代以前ぽくって、なんとも味わいがあります。
そして、エリーとサンディが夢をとおして一体化する描写もいいです。
ダンスシーンで二人が交互に入れ替わって見えるところとか。
現代のロンドン、1960年代のロンドン。
どちらもアートや音楽、ポップカルチャーの最先端の発信元であり、その洒落た世界をよく見せつつ、そこを背景にサスペンス・ホラー的ストーリーを展開していくさまが見事です。
キャスト。
エリー役に、トーマシン・マッケンジー。
ちょっと垢抜けない、都会にあこがれる繊細な女の子というキャラがよく似合ってます。
サンディ役、 アニャ・テイラー=ジョイ。
この人も、まだ売れてない駆け出しの歌手感がよく出てる演技です。
この映画以外にも、ホラー映画によく出演してるみたいですね。
あ、「クイーンズ・ギャンビット」の主演この人か。
観なくちゃ!w
それから、脇を固める役者もいいのです。
下宿の女主人に、ダイアナ・リグ。
「女王陛下の007」のボンドガールで知られる人です。
ジャック役、マット・スミス。
彼はドラマ「ドクター・フー」の11代目ドクター役で知られています。
「ドクター・フー」って日本じゃあまり知名度高くないけど、イギリス人なら全員観てんじゃねえか!ってくらい向こうでは人気あるドラマです。
(というぼくも観てないですが)
そして、あまりくわしく言うとネタバレになっちゃうので役柄は説明しませんが、
テレンス・スタンプ。
マーガレット・ノーラン(「007 ゴールドフィンガーに出演」)も出ています。
エリーの祖母役に、リタ・トゥシンハムが出てるんですよね。
なつかしい。
「ドクトル・ジバゴ」でジバゴとラーラの娘をやってましたね。
エリーを気にかけていて後半サポートしていく黒人のクラスメイトの男の子、ジョン役をマイケル・アジャオという人がやってます。
この人、いいアクセントになっていてぼくは好きだなあ。
ということで、これはいろんな味が楽しめる、まるでミックスジュースかミックスパフェか、フラペチーノみたいな映画!
ただ怖いだけではない、不思議な余韻が残る作品です。
以上、「パニック・オカルト映画編②」として、新旧問わず5つの作品、紹介してきました。
もし、まだ観ていない作品があればぜひ観てほしいです!
また、一度観たけれどあらためて気になったかたも、ぜひもう一度ご覧になってみてはいかがでしょう!
いずれも各種動画配信をとおして、比較的視聴しやすいものを選びましたので。
今後もこのジャンルでおもしろい作品に出会ったら、また紹介します。
ではまた!