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高校1年生、閉鎖病棟入院④

私が入院したのは2月で、
2年生へ進級が出来るか否かギリギリだった。

担任の先生をはじめ、
学校の先生が本当にいい方で
渡される課題を終わらせることを条件に
進級を許可してもらえた。

担任はそれまでも、
よく面会へ来てくれていたが
課題が出されてからはもっと面会へ来てくれた。
「会議サボって来たよ」なんて言ってた日もあって、本当に頭が上がらないと思った。
そして面会の度に本を差し入れてくれていたことも
忘れられない大切な思い出。

学校での授業は寝ていたり上の空だったり
ずーっと保健室でグダグダしていた私は
当然、課題を自力でできるわけもなく。

入院してた1つ上のお姉さんに教えてもらったり
担任や看護師さんに教えてもらったりしながら
なんとか終わらせることができた。

無事、2年生へ進級できることは確定したが
学校へ行くと言うことは退院を意味していて
もちろん、そんな日が来ることは当たり前だけど
正直、複雑ではあった。

初めて1人じゃないと思えた場所だった。
"生きてていいんだよ"と言ってもらえた場所。
24時間誰かがいて、喜怒哀楽を共有して
叱ってもらって、守ってもらえて
"居場所"を見つけられたから
それが無くなるのがとても怖かったし
母からの攻撃がまた始まる不安も大きかった。

そして急性期の病棟だったため3ヶ月を目処に
転棟若しくは退院しないといけない。
主治医の先生は転棟を検討してくれていたが
転棟するなら退院する!と自分で決めて
3ヶ月ギリギリで退院することになった。

学生だった為か、診察が基本週1しかないからか
治療方針というものを知らされておらず、
ただ服薬しながら1日を過ごしていく感じで
転棟する私には必要性が分からなかったから。

退院の日までに看護師さん1人ずつに手紙を書いた。
ごめんなさいと沢山沢山ありがとうをみんなに伝えたかったから。
たくさん泣いて、たくさん笑って幸せだった。
人生で1番自分の感情と向き合って、
自分の気持ちに正直に生きた期間だった気がする。


つづく

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