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高校1年生、閉鎖病棟入院③

少し時を戻して、
入院する時に体重測定があった。

それまでの食欲不振から少し痩せてて
スイッチが入りダイエットに励んだ。

カロリー計算をしたり、
極端に飲む量や食べる量を減らしたり。
体重計には1回につき3回、
それを1日3回乗るのがマイルール。
頑張った分、数字に表れるのが嬉しくて
やめられなくなった。

次第に食事は喉を通らなくなり
食器の蓋を開けることもしなくなった。
薬を飲む為、最低限の水分は必要で
1日200ミリまでと決めた。

ベッドから立ち上がると
目の前が真っ暗になり倒れて何度も頭を打った。
立っているだけで、急に倒れることも増えた。
でもフラフラするのが幸せだった。
自分の中から無駄なもの(無駄ではないが)が
無くなっていく実感があった。

だから、祖母が面会に来る時以外は
意地でも食べなかった。
祖母が週に1度、面会に来る時に
お弁当を作ってきてくれていて
それだけはちゃんと食べていた。
(病院の食事は祖母が食べてた。笑)
だって、朝から "花見?!" ぐらいのお弁当を作って
免許を持ってないからバスで1時間以上かけて
血も繋がってない孫の面会に来てくれるから。
私はそんな祖母の正に無償の愛に
命を繋いでもらっていた。

とは言え、入院中なので
何もなしに食事を拒否し続けることはできず
結局点滴の日々を送ることに。

日を重ねるごとに増える点滴量。
強制的に入れられる点滴のカロリーが怖くて
ある日我慢できなくなり自己抜去した。
処置室を抜け出し洗濯室や病室に隠れて
大騒ぎで探されているのを傍観した。

閉鎖病棟なので勿論数十分で見つかり
烈火の如く叱られた。
即刻診察を受け"自傷他害の恐れ"として保護室へ。

初めての保護室は
"本当にこんな部屋あるんだ!"と
感動だったのを覚えている。
シーツのない布団、
取手のついていないドアの反対には鉄格子
トイレットペーパーが常備されていない剥き出しのトイレ、食事を受け取るポスト程度の小窓、
天井のカメラに24時間見つめられる空間。

保護室担当の看護師さんに小窓越しに
「大丈夫だよ、怖くないから。安全のために
 念のため、ね。みんな心配してるよ」
と声をかけてもらった。
きっと、そのくらい辛い部屋なんだろうけど
当時の私にはすごく心地よい空間で
翌朝起きた時に"よく寝た!"と感じた記憶がある。

保護室に1泊して隔離解除になったら病室移動で
ナースステーションに1番近い部屋になっていた。
当時の私はだいぶ問題児だったようだ。
その時の荷物移動で携帯持ち込みもバレて
言うまでもなく
またまた叱られて没収された(苦笑)

保護室以降は点滴は中止。
ご飯も少しは手をつけるようになり
ダイエットは継続しつつも緩やかになった。

この時はまだ、これから何年も
食事で悩むことになるなんて思ってもなかった。


つづく

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