神の絵ダイエット 3週目
もはやダイエット報告なのか?という部分も多いですが、きっと大事なことなので、そして私とっても忘れっぽいので、繰り返し気付きと記録として(個人的な備忘録としても)残しておきますね。
こちらの記事でも書きましたが、私とてもとても自分で「きっとココまでやれるはず!」とハードル上げまくって「できてないじゃんっ…!!」て失望して自分を攻撃してました。
数値ばっかりで一喜一憂していた。増えた減った痩せた太ったと…。
神様の言う「地に足つけて根を張って生きる」とは何なのかも合わせて考えに考えた。
シイハタ(思い煩って振り回される)かもしれないけれど、このもやもやと、誰かの言っている言葉の裏側を解釈して伝えることもまた、私の使命のような気がしているから。神さまどうやら謎かけ好きみたいだからね。
自分に分かった體の変化から先にご報告。
数値ばっかり見てしばらくとっても苦しかった。
でも、いい気分さんやfortuneさん、ひろのさんのSNSでの会話を見てて、細かいことにこだわりすぎていたのかもしれないなと思い直して、
體そのものに向き合うことにした。見た目、触り心地などに。
神の絵を始める前と比べると一番変化を感じるのは、やはりお腹周り。
腸が筋肉で支えられていなくてヘソから下、骨盤のところまであたりがぽよっと前に出ていたのが、いまや美人さんに近付きつつある。
オヘソが浅い。
セクシー線の辺りもうっすら線。
お腹を凹ますと謎の溝が現れる。
あと今週感じたのは、タイツというかレギンスを履いた時。
サイズがなくて、ネットで買えるスポーツ用品レギンス男性用冷感タイプを買ってます。
それでも、お腹周りや太ももがかなり締め付けられ、苦しいサイズ感のものでした。
特に太もも周り・お腹周りはキッツ…!!となり、あんまり着用はしてなかったんですよね。
神の絵を貼り始めてからまだ1回も脚を通してなかったんですけど、朝んぽ行こうとした時に履いてみたんです。
足首とかふくらはぎの締めつけ感がゆるくなっている気がする…。と、履き始めそこにびっくりしました。
お腹周りは履いた直後はいつも感じていたのとそこまで差は感じなかったけれど、歩いて自然を感じていると、いつもは苦しさを感じているのに、全然気にならない。
服が勝手に成長して大きくなる訳がない。
つまりは私自身が細くなったのか…!と確信が得られました。
本当に、運動らしい運動はしてないです。
ほぼ家にいるし、家を出るにしても何かしらのイベントに参加とか、買い物とかだけです。仕事のある日も出勤でバス停まで歩く程度。
ひろのさん伝いに神様から貰った
「運動はしなくていい、世間で言われているダイエットも必要ない。さぼりんぼの希望の星として、ラクに痩せなさい。甘やかすことはできない」(note記事へのコメント)
「地に足つけて生きろ」(SNS経由)
という言葉は、
「数値という外を通したものに置換しなくても、自分の體なのだから直接見たり感じ取ることが出来るだろう」ということも含まれているのかなぁって。
私は30年来の面倒くさがりで怠け者です。筋金入りです。
でもそのことをいい表現に置き換えると
「自分の中で燃えること、好きなことをしっかり自覚している」になるんだそう。
好きじゃないことをやろうとするのは苦痛に感じたり手を抜いちゃったりする。
でも、好きなことは放っておいても生き生きとガンガン進んで行くんです。
ちょっと話が逸れた気がする。
現代人…というと主語が大きすぎるかな。
とにかく私は、オタクさんを20年ほど邁進してきましたが、心と頭にばかり集中して、體のことはほったらかしだったなって思えたんです。
この世にない!作るか!とか
作品を見て心が振るわされること、夢中になると楽しいけれど、その間の體は?ほったらかしていない?
そして、欲には果てがない。
今は癒されて満たされても、いずれ次が欲しくなって、また新しいものを探りに漁りにいく。自作するにしても他人の作品に触れるとしても。
オタクになると自分が抱いた欲って、ずっとサイクルしますね…。
癖(ヘキ)と言ったりしますけど、その属性をずっと求めてしまう。
この、神の絵を貼るだけダイエットを通して、心の成長…というよりは、心ばかりでなく、體からの声もちゃんと聞くのだ、と言われている。そんな気がしています。
お腹は空いていないか、食べたいものは何か。
口に入れたものは辛いか甘いかすっぱいか苦いか渋いかしょっぱいか。
噛んだ時の感触は好きか嫌いか。
満腹感や空腹感はいかほどか。
體に痛い部位はないか。
無理な体勢をしてはいないか。
触ったものは温かいか冷たいか。
ザラザラなのかツルツルなのか
ゴワゴワなのかフワフワなのか。
吹いている風は強いか弱いか。
優しいか切り裂くようなのか。
今日、太陽の光は浴びたか。
聞こえる音はどうだ。
人の声と音楽だけが音だと思ってはいないか。
PCもスマホも置いて自然に潜ったのはいつだったろう。
風が揺らす木々のざわめき。
名も知らぬ鳥の声。
今ならセミも鳴いている。
小川のせせらぎ。海の潮騒。
一昨日の記事でひすいこたろうさんのYouTubeを引用しましたが、こんなことを言っているショート動画がありました。
「現代医療で血液は作り出せない(だから輸血がある)。でも貴方の体は、チキンフィレサンドでもペペロンチーノでも、食べたものから血液を作り出すことができる」
血だけでなく、體の組織もまた、食べたものから作り出している。
別に何かの宗教に入ったわけでも、自然派の考えに同調したわけでもないけれど。
地に足つけて生きるっていうのは、頭と心のみの世界…SNSやオタク活動に精を出すんじゃなく、
ご飯を作ったり、散歩して身近な自然に親しんだり、好きなことにひたすら邁進したり、
今自分はここに居ることを味わい尽くす事なんだろうな、って思ってます。
自然に身を任せること、っていうのも神さまから言われた言葉のひとつ。
それは、心のままに・頭のままに生きるということではなくて、體のままに生きるということかもしれない。
生きる軸を変えてみようと思う、自分が重きをおいていたものを乗り換えて。
2024.0730
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