真夜中の恋はみな悲しい
普通の人の唯一無二の恋。
ルッキズムや社会的なステータスに囚われない登場人物たちの恋愛を描き、人が恋物語に抱いているある種の綺麗な恋路という幻想にアンチテーゼをぶつけることで、本当の意味での恋を突きつける。
聖は冬子の反対側にいる対称的な(=世俗的な恋遊びをする)存在として配置されている。
タイトルは、フィッツジェラルドの『すべて悲しき若者たち』へのリファレンスか。他にモチーフがあるのかはわからない。
人に芯から恋するということは、真夜中に迷い込むことに似ている。ここでいう、恋人たちとは、恋愛関係にある者たちということではなく、恋する者たちという意味だろうか。
決して美しくない恋物語は、恋とは本質において対外的に美しいものではないことを読む者に伝える。
読者が綺麗なストーリーを望むことは、リアルな恋の気まずさや醜さを無視して、美化された物語を求める邪な心そのものであり、日頃我々がどういうスタンスで恋愛物語に向き合っているのかという事実を浮き彫りにする。その鮮やかさが読後に心地よく残る。
もちろん、SNSを中心に大きな影響を与えている容姿至上主義という世の風潮や、それに影響された無意識下のルッキズムもそこに大きく関わっているように思う。
これは凡人の少し変わった恋とその心情から、コンテンツとして簡単に消費させないコンテンツを抽出した(それはスワイプからのダブルタップで済む程度の心の動きでは処理できない感情を引き起こす創作物ということ)、最もリアルな恋愛の話。
そしてそこに人を好きになることの真の美しさと素晴らしさが滲む。
そうして、彼女は語り出すのだ…